二条宗基

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二条 宗基(にじょう むねもと、享保12年5月20日1727年7月8日) - 宝暦4年1月18日1754年2月9日))は江戸時代公卿。父は九条幸教。養父は二条宗熙。母は徳川三千君(尾張藩四代藩主徳川吉通の長女)。子に二条重良二条治孝、五千姫(基子。本願寺文如室)がいる。号は後敬心院。元文4年(1739年)正月、将軍家より諱を得るという二条家の伝統に則り、養父同様、将軍徳川吉宗から偏諱(「宗」の字)を授かる。

略歴

享保12年(1727年)に権大納言九条幸教の子として京に生まれる。元文3年(1738年)に二条宗熙の妹多米姫と結婚し二条家養子縁組する。この年、桜町天皇より今後の即位灌頂は二条家で行うようにと宸翰を得る。元文5年(1740年5月28日、叙従三位。後に従一位1752年(宝暦2年)1月10日、叙)。内大臣1745年 - 1748年)、右大臣1749年 - 1754年)などを歴任。宝暦4年(1754年薨去