九鬼隆季
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時代 | 江戸時代前期 |
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生誕 | 慶長13年10月7日(1608年11月14日) |
死没 | 延宝6年5月25日(1678年7月13日) |
戒名 | 大極院殿前吏部侍郎空山了本大居士 |
墓所 | 三重県鳥羽市の常安寺 |
官位 | 従五位下式部少輔 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家光、家綱 |
藩 | 丹波綾部藩主 |
氏族 | 九鬼氏 |
父母 | 九鬼守隆、西山民部娘隆生院 |
兄弟 |
良隆、貞隆、隆季、隆重、久隆、 九鬼隆徳室、久昌院、芳樹院、於若、 慈照院、鏡智院、九鬼直隆室 |
妻 | 土方雄重娘、井上正就娘 |
子 | 隆常、三枝守輝正室、秋田季久正室 |
九鬼 隆季(くき たかすえ、旧字体:九鬼隆季)は、江戸時代前期の大名。丹波国綾部藩初代藩主。
生涯
[編集]慶長13年(1608年)、初代志摩鳥羽藩主・九鬼守隆の三男として生まれる。九鬼水軍で知られる九鬼嘉隆の孫にあたる。
父・守隆の死後、弟・久隆との間で家督争いが生じ、藩内を二分する騒ぎとなったが、江戸幕府は遺言書に基づき久隆がこれを相続するものと裁可を下した。ただし、隆季にも新たに丹波綾部に2万石を与え、寛永10年3月5日(1633年4月13日)に丹波綾部へ転封とし綾部藩を立藩した。寛永19年12月30日(1643年2月18日)、式部少輔に叙任。寛文元年3月28日(1661年4月27日)、弟・隆重に500石を分与、1万9500石となった。隆季は藩政においては、城下町の建設などに尽力している。
延宝2年11月16日(1674年12月13日)、家督を長男の隆常へ譲り隠居。
延宝6年5月25日(1678年7月13日)に死去した。享年72。葬儀は遺言により、鳥羽の常安寺で行われた[1]。
系譜
[編集]脚注
[編集]- ^ 鳥羽市史編さん室(1991):333ページ
参考文献
[編集]- 鳥羽市史編さん室 編『鳥羽市史 上巻』鳥羽市役所、1991年3月25日、1126pp.