九鬼良隆

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九鬼良隆
九鬼良隆の墓(兵庫県三田市心月院)
時代 江戸時代前期
生誕 慶長10年(1605年
死没 寛永11年3月5日1634年4月2日
墓所 兵庫県三田市の心月院
官位 従五位下志摩守
志摩鳥羽藩世嗣
氏族 九鬼氏
父母 九鬼守隆、天翁院橘宗忠
兄弟 久昌院、芳樹院、於若、自照院、自光院、良隆、鏡智院、貞隆隆季隆重久隆
本多政武
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九鬼 良隆(くき よしたか)は、江戸時代前期の志摩国鳥羽藩の世嗣。官位従五位下志摩守

略歴[編集]

初代藩主・九鬼守隆の長男として誕生。母は天翁院橘宗忠の娘。正室は本多政武の娘。

鳥羽藩嫡子として生まれ、慶長19年(1614年徳川秀忠に拝謁する。元和6年(1620年)叙任するが、寛永9年(1632年)に病弱のため、家督を継ぐことなく廃嫡された。同年、父・守隆が死去し家督相続を巡って、三弟・隆季と末弟・久隆の争いとなる。結局、家督は久隆が継ぐことになるも、所領を摂津国に移封されてしまう。また、隆季にも所領が与えられ、九鬼家分家として存続することとなった。

良隆自身は廃嫡後の寛永11年(1634年)、30歳で没した。