久貝正世
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時代 | 江戸時代前期 |
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生誕 | 慶長10年(1605年) |
死没 | 寛文9年2月3日(1669年3月4日) |
別名 | 通称:甚三郎、忠三郎、八兵衛、忠左衛門 |
墓所 | 下谷白泉寺 |
幕府 | 江戸幕府 旗本寄合 |
主君 | 徳川秀忠→家光→家綱 |
氏族 | 久貝氏 |
父母 | 父:久貝正俊、母:宇佐美長元娘 |
兄弟 | 正之、正世、正信、正偏 |
妻 | 阿倍正之娘 |
子 |
松平氏信室、女子、山崎重政室 養子:八兵衛[1]、正方[2] |
久貝 正世(くがい まさよ)は、江戸時代前期の旗本寄合。久貝正俊の子。河内国に5000石を領する。現在の枚方市に領地を所有していた。
略歴
[編集]慶長19年(1614年)、徳川秀忠に拝謁し、その後小姓組となったのち、200石を賜る。寛永3年(1626年)秀忠の上洛に付き従い、寛永10年(1633年)その功により200石加増される。正保4年(1647年)12月、父・正俊が病となり大坂に赴く。翌年正俊が没すると家督を継ぎ5000石を領し、それまでの封地400石を弟・正偏に与えた。
慶安2年(1649年)姫路城を松平直基への引渡し役を堀直景と共に務める。承応2年(1653年)閏6月同地の番を離れ寄合に列した。明暦元年(1655年)日光門主守澄法親王上京にお供をする。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『新訂寛政重修諸家譜』第16巻