三好悟

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。Asturio Cantabrio (会話 | 投稿記録) による 2022年10月5日 (水) 14:16個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (修正)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

三好 悟
個人情報
国籍日本の旗 日本
生誕 (1963-06-10) 1963年6月10日(60歳)
福井県三方郡美浜町
身長182 cm (6 ft 0 in)
体重80 kg (176 lb)
スポーツ
競技ボート競技
獲得メダル
日本の旗 日本
男子ボート競技
アジア競技大会
1986ソウル 舵手なしペア
1990北京 舵手つきエイト

三好 悟(みよし さとる、1963年6月10日 - )は、福井県三方郡美浜町出身のボート競技選手。

経歴

1963年(昭和38年)6月10日、福井県三方郡美浜町に生まれた。美浜町は三方五湖の湖岸にあり、久々子湖を用いたボート競技が盛んな町である。

1984年(昭和59年)にはロサンゼルスオリンピックのボート競技男子舵手つきフォアに出場した[1]。漕手は三好のほかに阿部肇英語版川本俊介英語版前口英明英語版の4人であり、舵手は小池明広英語版である。準決勝で敗退(8位)した。

1986年(昭和61年)3月、中央大学商学部を卒業した[2]韓国ソウルで開催された1986年アジア競技大会では、阿部肇とのペアで男子舵手なしペアに出場して金メダルを獲得した。

1988年(昭和63年)にはソウルオリンピックのボート競技男子舵手なしペアに出場した[1]。漕手は三好と小林眞樹英語版である。敗者復活戦で敗退した。中国北京で開催された1990年アジア競技大会では、舵手つきエイトに出場して銀メダルを獲得した。

現役引退後は母校の中央大学ボート部で指導者を務めた。2018年(平成30年)12月には日本ボート協会の強化委員に就任し、2019年(令和元年)12月には強化委員会オフィサーに就任した[3]。2020年(令和2年)10月1日、強化委員長の長畑芳仁の辞任を受けて[3]、強化委員長兼タレント発掘委員長に就任した[4]

大会結果

大会 競技 種目 順位
1984年 ロサンゼルス五輪 ボート競技 男子舵手つきフォア 8位(準決勝敗退)
1988年 ソウル五輪 ボート競技 男子舵手つきペア 敗者復活敗退

脚注

  1. ^ a b "Satoru Miyoshi Olympic Results". Sports-Reference.com. Sports Reference LLC. 2018年9月4日閲覧
  2. ^ 中央大学出身の東京五輪日本代表選手に14名、監督・コーチに7名の方々が決定いたしました”. 中央大学 (2020年7月9日). 2022年10月3日閲覧。
  3. ^ a b ボート協会の長畑強化委員長が退任、後任に三好悟氏”. 日刊スポーツ (2020年9月25日). 2022年10月3日閲覧。
  4. ^ 強化委員長 兼 タレント発掘委員長、三好悟氏が就任”. 日本ボート協会 (2020年10月1日). 2022年10月3日閲覧。