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ロッキーマウンテン兵器工場

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ロッキーマウンテン兵器工場(英:Rocky Mountain Arsenal、略:RMA)とはコロラド州デンバー市北部にある米国の化学兵器製造センターである。 用地は20世紀を通して米国陸軍によって管理され、閉鎖まで地元の居住者の間で環境汚染に関する論争の的だった。 1942年に、アメリカ陸軍は第二次世界大戦中に武器を製造するための施設として、19,915エーカー(80.59km)の土地を取得した。 さらにステイプルトン空港の拡張に伴い、主にドイツ人捕虜のための捕虜収容キャンプがいくつか設営されたが、後にデンバー市へと移された。

生産活動

ロッキーマウンテン兵器工場で製造される武器は、ナパームサリンVXガスなど大量の軍用化学兵器であり、アメリカ最大の化学兵器貯蔵施設でもあった。これらの兵器の製造は、1969年まで続いた。 その後、1985年まで全米の化学兵器を廃棄するための設備として使用された。 化学兵器生産が中止された後は、1946年から1982年まで、軍は農薬、化学肥料、石油製品の生産のためにロッキーマウンテン兵器工場の施設を民間企業に貸した。 主な利用者はシェル石油モービル石油、ジュリアスハイマン社、コロラドFuel&Iron社などが 1952~1982年にロッキーマウンテン兵器工場で製造を行っていた。

ウサギの入った籠を持ってサリンガスのガス漏れが無いかチェックしている。(1970年撮影)

汚水池と汚水処理井戸

F汚水池(Basin F Wastepile)は1956年にアメリカ陸軍によって作成されたすり鉢状の廃液処理施設である。 軍と施設を利用する民間企業から出る廃液の処分に利用された。 盆地の内側は厚さ約3/8インチのアスファルトで覆った上に12インチの保護土で覆われていた。 最大貯蓄量は2億4300万ガロンにもなった。 水が自然蒸発するにつれて有毒成分が濃縮され周囲に異臭を放つようになり 周囲の民家にまで悪臭が漂うようになり環境が悪化していった。 軍は地元住民に空気清浄剤を配付した。 コロラド州健康管理部と毒性物質登録管理局などが調査を行い悪臭の原因となる化学物質を特定して重大な健康被害が無いことを宣言した。

汚水池の廃液処分のために1961年に深さ12,045フィート(3671m)にもなる汚水処理用の井戸を掘った。 廃液処理のために作られた汚水池の廃液、約568,000ガロンが圧力注入され2150mの深さまで廃液で埋まった。 廃液は地下2000メートル以下の地盤へ注入され、廃液が地下水に達する可能性は極わずかであると言われている。 1962年の春頃から廃液の注入作業を行っている間、一ヶ月に数十回から多いときで60回以上も地震が発生した 軍は地震と廃液注入の因果関係は認めなかったが、1966年2月に井戸の使用を禁止した。 この地震はデンバー地震と呼ばれ地質学的にも因果関係が研究されている。

井戸は廃液を注入したまま20年あまりも放置された後、1985年に穴を埋て永久に封印された。

1998年12月に処理の完了が宣言された。

廃液処理の総経費は約4500万ドルであった。

解体

ロッキーマウンテン兵器工場で生産された大量のサリンは一度も使用されること無く、ロッキーマウンテン兵器工場の倉庫から出荷されることもないまま、廃棄処分されサリンを分解した廃液は大深度地下へと注入された。 VXガスに到っては分解が困難であることもあって、砲弾に充填された状態のまま老朽貨物船に積み込んで船ごと沈めて海洋投棄された。 結局のところ、ここで生産された兵器の大半は未使用のまま廃棄処分され、工場そのものも廃棄処分となった。 後に残った物は、膨大な化学兵器の生産による廃液でロッキー山脈を汚染する結果となり、2011年完了予定で回復計画が進行中である。

2004年4月に約4,927エーカー(19.94km)の土地はUSFWSに移管された。 2004年6月に敷地の南西の片隅917エーカー(3.71km)がコマース市に売却された。 2006年10月に約7,200エーカー(29km)の土地がUSFWSへ移管された。 そして、12,500エーカー(51km)がロッキー山脈野生動物保護地区を作るために使われる 残っている約11,080エーカー(44.84km)の環境回復は進行中で2011年に完了の予定。