ヤロスラフ・ユーリエヴィチ (ピンスク公)
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ヤロスラフ・ユーリエヴィチ Ярослав Юрьевич | |
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ピンスク公 | |
在位 | 1183年 - 1190年以前 |
死去 |
1190年以前 |
配偶者 | エフロシニヤ |
家名 | リューリク家 |
父親 | トゥーロフ・ピンスク公ユーリー・ヤロスラヴィチ |
母親 | アンナ・フセヴォロドヴナ |
ヤロスラフ・ユーリエヴィチ(ロシア語: Ярослав Юрьевич)は、1183年にピンスク公となった人物。
概要
[編集]ヤロスラフは、トゥーロフ・ピンスク公ユーリー・ヤロスラヴィチと、アンナ・フセヴォロドヴナ(グロドノ公フセヴォロドの娘)との間の子である。また、ニコライ・バウムガルテン(ru)の説では、ユーリー・ドルゴルーキーがキエフを治めていた時期に、ユーリー・ドルゴルーキーの孫娘(ボリス・ユーリエヴィチの娘)のエフロシニヤと結婚したとされる。
1183年、ピンスク公ヤロスラフは、ゴロデツ公ムスチスラフ、ドゥブロヴィツァ公グレプ等と共に、キエフ大公スヴャトスラフの率いるポロヴェツ討伐軍に参加し、オレリ川の戦いで、コンチャークの率いるポロヴェツ軍を撃破した。
1190年頃に、ヤロスラフの兄弟のヤロポルクがピンスク公として言及されていることから、何人かの歴史家は、ヤロスラフは1190年までに死去したと推定している。
参考文献
[編集]- Славянская энциклопедия. Киевская Русь — Московия: в 2 т. / Автор-составитель В. В. Богуславский. — М.: ОЛМА-ПРЕСС, 2001. — Т. 2. — 816 с.
- Войтович Леонтій.Князівські династії Східної Європи (кінець IX — початок XVI ст.): склад, суспільна і політична роль. Історико-генеалогічне дослідження. — Львів: Інститут українознавства ім. І.Крип’якевича, 2000. — 649 с.
- Константин Рыжов. Все монархи России (600 кратких жизнеописаний). — М.: Вече, 2007.
関連項目
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