マーン・シング (マールワール王)

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マーン・シング
Man Singh
マールワール王
ジョードプル藩王
マーン・シング
在位 1803年 - 1843年
戴冠式 1804年1月17日
別号 マハーラージャ

出生 1783年2月13日
ジョードプル
死去 1843年9月4日
マンドール
王朝 ラートール朝
父親 グマーン・シング
宗教 ヒンドゥー教
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マーン・シング(Man Singh, 1783年2月13日 - 1843年9月4日)は、北インドラージャスターン地方マールワール王国及びジョードプル藩王国の君主(在位:1803年 - 1843年)。

生涯[編集]

マーン・シングと従者

1783年2月13日、マーン・シングはマールワール王国の君主ヴィジャイ・シングの6男グマーン・シングの息子として誕生した[1]

子供のいない叔父シェール・シングの養子となり[1]1791年11月7日には祖父ヴィジャイ・シングに後継者指名された[1]

その後、1793年7月にヴィジャイ・シングが死ぬと、マーン・シングの従兄弟ビーム・シングが王位を継承した[1]。しかし、マーン・シングは自身の正当性を主張して対抗し続け、1803年10月19日にビーム・シングが死ぬまで争った[1]

同年11月5日、マーン・シングはメヘラーンガル城に入城したのち、臣民や貴族に王位の継承を認められた[1]。翌1804年1月17日、マーン・シングの戴冠式が城で執り行われた[1]

1818年1月6日、マーン・シングは第三次マラーター戦争のさなか、イギリス東インド会社と軍事保護条約を締結した[1]。これにより、マールワール王国は藩王国となった(ジョードプル藩王国)。

1843年9月4日、マーン・シングはマンドールで死亡した[1]。死後、一族のタクト・シングが藩王位を継承した。

出典・脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i Jodhpur 11

関連項目[編集]

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