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マルクス・アエミリウス・レピドゥス(ラテン語: Marcus Aemilius Lepidus, 紀元前120年 - 紀元前77年)は、共和政ローマの政治家・軍人。共和政末期ローマで第二回三頭政治の一頭であるマルクス・アエミリウス・レピドゥスの父である。
スッラの支配体制の下で、紀元前78年に執政官に就任した。スッラの死後、ガリア・キサルピナでローマに反旗を翻したが、グナエウス・ポンペイウスに敗北して、サルディニアへ逃亡したものの、その地で死去した。