ベンジャミン・ホチキス

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Benjamin Berkeley Hotchkiss

ベンジャミン・バークリー・ホチキス
生誕 (1826-10-01) 1826年10月1日
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 コネチカット州ウォータータウン英語版
死没 1885年2月14日(1885-02-14)(58歳)
フランスの旗 フランス パリ
職業 銃器設計者
配偶者 マリア・ホチキス英語版
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M1874ホチキス・リボルビング・キャノン
ホチキスが手がけた37mm多砲身砲(1879年)

ベンジャミン・バークリー・ホチキス(Benjamin Berkeley Hotchkiss, 1826年10月1日 - 1885年2月14日)は、アメリカ合衆国出身の銃器設計者。

アメリカでの活動[編集]

1826年、コネチカット州ウォータータウンにて生を受け、幼い頃にシャロン英語版へ移る。彼は父親の機械工場で経験を積み、1850年代からはハートフォードにて銃器工となり、コルト製のリボルバーやウィンチェスター製のライフルを製造した。

フランスでの活動[編集]

南北戦争終結後、アメリカ合衆国政府は兵器の新規調達への関心をほとんど失っていた。1867年、ホチキスはフランスへ移り、オチキス社(Hotchkiss et Cie)として知られる弾薬工場を創業した[1]。工場は当初ロデーズからほど近いヴィヴィエフランス語版にあり、その後パリ近くのサン=ドニへ移った。この頃、彼は新型の銃身回転式機関砲を設計し、この砲は彼の名をとってホチキス砲英語版(Hotchkiss gun)と呼ばれた。ホチキス砲は37mmから艦載用の57mmまで4種類の口径があった。

ベンジャミン・ホチキスは1885年にパリで死去した[2]。しかし、その後もオチキス社は存続し、新型の空冷式機関銃を設計した。この機関銃はホチキス機関銃英語版と総称され、第一次世界大戦ではアメリカやフランスを始めとする各国の軍隊で広く使用された。

私生活[編集]

マリア・ビッセル・ホチキス英語版は、のちにシャロンでホチキスを記念してホチキス・ライブラリー(Hotchkiss Library)と名づけた図書館を創設した。レイクヴィル英語版ホチキス・スクール英語版も、ベンジャミン・ホチキスを記念するために彼女が出資したものである。

脚注[編集]

  1. ^ History”. British Hotchkiss Society. 2015年7月7日閲覧。
  2. ^ What Judge Andrews Decided at Waterbury Saturday”. Bridgeport Morning News (1888年11月26日). 2015年7月7日閲覧。

外部リンク[編集]