パヴェル・コルチン

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獲得メダル

パヴェル・コルチン
ソビエト連邦の旗 ソビエト連邦
男子クロスカントリースキー
オリンピック
1956 コルティナダンペッツォ 4x10kmリレー
1956 コルティナダンペッツォ 15km
1956 コルティナダンペッツォ 30km
1964 インスブルック 4x10kmリレー
ノルディックスキー世界選手権
1958 Lahti 15km
1958 Lahti 30km
1958 Lahti 4x10kmリレー
1962 Zakopane 4x10kmリレー

パヴェル・コルチン(Pavel Konstantinovich Kolchin、 ロシア語: Павел Константинович Колчин1930年1月9日 - 2010年12月30日)はソビエト連邦ヤロスラヴリ出身のクロスカントリースキー選手。1950年代から1960年代にかけて活躍した。1954年に同じく元クロスカントリースキーオリンピック代表選手のアレフティナ・コルチナと結婚し、息子のフョードル・コルチンノルディック複合でオリンピックに出場した。

プロフィール[編集]

1953年にソビエト連邦選手権のリレー種目で初タイトルを獲得、銅選手権通算では13個のタイトルを獲得した。

1956年のコルティナダンペッツォオリンピックでオリンピック初出場、リレーで金メダルを獲得したほか、15kmと30kmで銅メダルを獲得、50kmで6位入賞した。

1958年ノルディックスキー世界選手権フィンランドラハティ)では銀メダル3個(15 km、30 km、リレー)獲得、1960年スコーバレーオリンピックにも代表に選出されたが病気のため競技には出場できなかった。

1962年ノルディックスキー世界選手権ポーランドザコパネ)、1964年インスブルックオリンピックでともにリレー銅メダル。

ホルメンコーレン大会では1958年に50kmと15kmで優勝、1963年には妻アレフティナとともに夫婦でホルメンコーレン・メダルを受章した(他にアストリド・サンビークトールビョルン・イゲセットも同時受章)。

現役引退後1968年から1972年までソ連クロスカントリースキーチームのコーチを務め、1973年からは妻アレフティナとともにエストニアのOtepää に移り住み、コーチとして後進を指導した。

2010年12月30日に亡くなった[1]。80歳没。

脚註[編集]

外部リンク[編集]