トーマス・ブラムウェル・ウェルチ

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トーマス・ブラムウェル・ウェルチ
Thomas Bramwell Welch
生誕 (1825-12-31) 1825年12月31日
イギリスの旗 イギリス イングランド グラストンベリー
死没 1903年12月29日(1903-12-29)(77歳)
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 ニュージャージー州バインランド
墓地 シロアム墓地英語版
配偶者
Lucy M. Hult
(m. 1847; d. 1894)
[1]
Victoria C. Sherbume (m. 1895)
子供 Charles E. Welch(歯科医、実業家)
Emma C. Welch Slade(1854-1928、歯科医)
Abraham Welch
Mary Fussel
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トーマス・ブラムウェル・ウェルチ(Thomas Bramwell Welch、1825年12月31日 - 1903年12月29日)は、イングランド系アメリカ人メソジスト牧師歯科医である。ぶどうジュース低温殺菌して発酵を止める方法を考案した。これは、地元の教会での聖餐式ワインの代わりに使用され、「ウェルチ博士の未発酵ワイン」と呼ばれた。後にこのジュースを市販するためにウェルチという会社を設立した。

生涯[編集]

1825年12月31日にイギリスグラストンベリーで生まれた。1834年に父親とともにアメリカに移住し、ニューヨーク州ウォータータウンの公立学校に通った[2]

1843年、17歳のトーマス・ウェルチは、この年に設立されたウェスレアン・メソジスト連合英語版に参加した[3]。ウェスレアン・メソジスト連合では、当初から、酔いをもたらす酒の製造・売買・使用と奴隷の保有・売買に強く反対していた[4]

ウェスレアン・メソジスト連合は、その戒律の初版で、主の晩餐聖餐式)には発酵していないワインのみを使用することを明示的に要求していた[5]。これは、ウェルチが低温殺菌を考案する約25年前のことである。つまり、未発酵ワインの製造に用いられる方法は低温殺菌だけではなかったということである。それまでにも、未発酵のワイン(ジュース)をいつでも使用できるように調製する伝統的な方法があった。例えば、ぶどうジュースを濃縮して還元する方法、干しぶどうを煮出す方法、ジュースに保存料を添加する方法などである[6]

10代の終わり頃、ウェルチは南部から逃亡した奴隷をカナダに輸送する秘密結社「地下鉄道」に積極的に参加していた[3]。ウェルチは、「地下鉄道」とつながっていた多くのウェスレアン・メソジストの一人であった[7]

19歳のときにガバヌーア・ウェスレアン神学校英語版を卒業し[8]、ウェスレアン・メソジストの聖職者に叙階された[3]。最初にニューヨーク州ウェストチェスター郡パウンドリッジで、その後ニューヨーク州ハーキマー郡で牧師を務めた[8]

その後、声が出なくなったため聖職者を辞めざるを得なくなった[8]。ニューヨーク州シラキュースニューヨーク州立大学アップステート医科大学英語版を卒業し、ニューヨーク州ペンヤン英語版で医師となった。1856年にミネソタ州ウィノナに転居し[8]歯科医になった。

1864年、メソジスト監督教会の総会は、「全ての場合において、主の晩餐のお祝いにはぶどうの純粋な果汁を使用すること」を明示的に推奨した[9]

1865年、姉が既に住んでいたニュージャージー州バインランドに転居し、バインランド・メソジスト監督教会の会員となり、聖餐の執事を務めた[10]。1869年、ぶどうジュースを低温殺菌して発酵を止め、ワインにならないようにする方法を発明した。彼は地元の教会にこのノンアルコールワインを聖餐式に採用するよう説得し、「ウェルチ博士の未発酵ワイン」と呼ばれた。

ウェルチは1880年までバインランドで歯科医を続け、非常に成功し、利益を上げていた[8]

息子のチャールズ・E・ウェルチも歯科医で、1875年にバインランドに戻り、後に自分の歯科医院もバインランドに移転した。この頃までには、父トーマスは禁酒法の運動家として成功していた[3]。トーマスはチャールズに「ぶどうジュースを勧めるのを邪魔するつもりはない。君の職業と健康を妨げない範囲で、君がそうするのは正しいことだ」とアドバイスした[3]。チャールズとトーマスは、フィラデルフィアにウェルチズ・デンタル・サプライ・カンパニーを設立し、歯学雑誌を創刊した[3]。チャールズはぶどうジュースの販売と消費のプロモーションを行った。ウェルチ家は副業としてぶどうジュースを販売していた[3]。ジュース業界は1890年までゆっくりと成長していた[8]。そのため、1890年以降、ウェルチ家はこの業界に注力できるようになった。1893年にウェルチのぶどうジュース会社が正式に設立され、チャールズはぶどうジュースの販売に本格的に注力するようになった[3][11]。しかし、父トーマスは投資の見返りを一銭も受け取っていなかった[3]

トーマス・ウェルチはメソジストで禁酒主義者であり、ニュージャージー州や隣接する地域のアルコール飲料の販売を減らし、終了させたりするために積極的に働いた。

私生活と死去[編集]

1847年にルーシー・M・ハルト(Lucy M. Hult)と結婚した[1][8]。ルーシーとの間には7人の子供がいた[8]。その中には、いずれも歯科医になったチャールズ・E・ウェルチ(Charles E. Welch)とエマ・C・ウェルチ・スレイド(Emma C. Welch Slade, 1854-1928)がいる[12]。1894年にルーシーと死別した。

1895年、ヴィクトリア・C・シャーバン(Victoria C. Sherbume)と再婚した。

トーマス・ウェルチは1903年12月29日にバインランドで亡くなり、シロアム墓地英語版に埋葬された。

脚注[編集]

  1. ^ a b Lucy M. Hult Welch (1825-1894) - Find A Grave Memorial”. 2021年1月30日閲覧。
  2. ^ Welch's Grape Juice - Dr. Thomas Bramwell Welch”. Vineland Public Schools. 2018年2月10日閲覧。
  3. ^ a b c d e f g h i Hallett, Anthony; Hallett, Diane (1997). "Thomas B. Welch, Charles E. Welch". Entrepreneur Magazine Encyclopedia of Entrepreneurs. John Wiley and Sons. pp. 481–483. ISBN 0-471-17536-6
  4. ^ Haines, Lee M.; Thomas, Paul William (1990). “A New Denomination”. An Outline History of the Wesleyan Church (4th ed.). Indianapolis, Indiana: Wesley Press. p. 68. ISBN 0-89827-076-6 
  5. ^ Tucker, Karen B. Westerfield (2001). “The Lord's Supper”. American Methodist Worship. New York: Oxford University Press. p. 151. ISBN 0-19-512698-X. https://books.google.com/books?id=I1TDD5-CLlEC&q=unfermented&pg=PA151 
  6. ^ Bacchiocchi, Samuele (1989). “The Preservation of Grape Juice”. Wine in the Bible. Signal Press & Biblical Perspectives. ISBN 1-930987-07-2. http://www.biblicalperspectives.com/books/wine_in_the_bible/3.html 
  7. ^ Crooks, Elizabeth W. (1875). “Call to the South”. The Life of Adam Crooks. Syracuse, New York: Wesleyan Methodist Publishing House. p. 17ff. http://docsouth.unc.edu/nc/crooks/crooks.html#p17 
  8. ^ a b c d e f g h Welch, Charles (1903年). “Dr. Thomas B. Welch”. 2005年9月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年1月28日閲覧。
  9. ^ “Appendix”. Doctrines & Discipline of the Methodist Episcopal Church. Cincinnati: Poe & Hitchcock. (1864). p. xvii. https://books.google.com/books?id=E3ba3d2Y4-8C&q=total+abstinence+temperance+grape+juice&pg=RA1-PR17. "The Methodist Episcopal Church had already ruled against drinking intoxicating liquors. Again, the 1864 General Conference earnestly recommended grape juice always for the Lord's Supper and called each pastor to preach specifically and 'to urge total abstinence from all that can intoxicate.'" 
  10. ^ Iovino, Joe (2016年6月28日). “Methodist history: Controversy, Communion, & Welch's Grape Juice – The United Methodist Church” (英語). The United Methodist Church. 2018年10月8日閲覧。
  11. ^ Welch's Company History”. 2013年5月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年1月28日閲覧。
  12. ^ “Dr. Emma C. Welch Slade of Vineland, New Jersey”. New York Times. (1928年8月5日). https://www.nytimes.com/1928/08/05/archives/obituary-7-no-title.html 2015年3月23日閲覧. "Dr. Emma C. Welch Slade, who had practiced dentistry here for fifty years, died last night at the age of 74. She graduated from a dental school in Ohio. Her father ..." 

関連項目[編集]

外部リンク[編集]