デミド・ウラジミロヴィチ

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デミド・ウラジミロヴィチ
Демид Владимирович
ピンスク公
在位 13世紀後半

死去 1292年以降
家名 リューリク家
父親 ピンスク公ウラジーミル・グレボヴィチ
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デミド・ウラジミロヴィチベラルーシ語: Дзямід Уладзіміравічロシア語: Демид Владимирович、? - 1292年以降)は、13世紀後半の、トゥーロフ・イジャスラフ家(キエフ大公イジャスラフの子孫)出身のピンスク公の1人である。

デミドはピンスクウラジーミル・グレボヴィチの次男であり、兄にフョードル、弟にユーリーがいる。1262年には兄弟ともに、ネブラでリトアニア大公国軍に勝利したヴォルィーニ公ヴァシリコを祝ったという記述がある。また、弟のユーリーの死を悼んだという記述のあることから、デミドの死は1292年以降と考えられる(ただしムィハーイロ・フルシェーウシクィイは、ユーリーの死を1288年もしくは1289年であると述べている)。

参考文献[編集]

  • Демид Владимирович // Славянская энциклопедия. Киевская Русь—Московия / под ред. В. В. Богуславского. — Т. 1: А-М. — Olma Media Group, 2001. — С. 341.
  • Пазднякоў В. Дзямід Уладзіміравіч // Вялікае Княства Літоўскае. Энцыклапедыя у 3 т. — Мн.: Беларуская Энцыклапедыя імя П. Броўкі, 2005. — Т. 1: Абаленскі — Кадэнцыя. — С. 588. — 684 с.