ストライキ (1912年の映画)

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ストライキ
Strike
監督 ジョージ・ヤング
原作 キャスパー・ミドルトン
出演者 キャスパー・ミドルトン
ローランド・コンウェイ英語版
製作会社 オーストラリア映画シンジケート
公開 1912年4月1日
上映時間 3,000フィート
(およそ50分相当[1]
製作国 オーストラリアの旗 オーストラリア
言語 サイレント映画
英語インタータイトル
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ストライキ』(Strike) は、ジョージ・ヤングが監督したオーストラリアの映画。ヤングにとって最後の監督作品であったが、現在では失われた映画とされている[2]。また、オーストラリアにおいて、初めて労働者の姿を本格的に描いた映画作品であった[2]

あらすじ

とある外国人フォン・ヘク (Von Haeke) は、鉱山主の娘を誘惑し、彼女の家に出入りして父親の金を盗もうと企てる。彼は、娘と結婚するという運びになるが、そこへ彼に捨てられた妻が現れ、彼の正体が明らかになる。企てが破れたフォン・ヘクは、腹いせに労働者たちをけしかけてストライキを起こさせ、娘を誘拐して水没した坑道に閉じ込める。ヒーローのジャックが娘の危機を救うのに間に合い、格闘してフォン・ヘクを倒す。フォン・ヘクは崖から転落して落命し、ジャックは娘と結婚する。[3]

制作

この映画の一部は、1912年1月にイラワラなど[4]ニューサウスウェールズ州炭鉱で撮影された[2][3]

公開

この作品は、「有名な作家 (the well-known author)」キャスパー・ミドルトン (Casper Middleton) に示唆を受けて制作されたと宣伝された。1912年1月には、公開が当初予定より遅れるとの告知がなされ、実際に公開されたのは3月になってからとなった[5]

公開は、シドニーで限定的に行われただけであった[6]

脚注

  1. ^ Organ, 2005, p.46
  2. ^ a b c Organ, 2005, p.45
  3. ^ a b Andrew Pike and Ross Cooper, Australian Film 1900–1977: A Guide to Feature Film Production, Melbourne: Oxford University Press, 1998, p33
  4. ^ Organ, 2005, p.48
  5. ^ Organ, 2005, p.49
  6. ^ “Advertising.”. The Sydney Morning Herald (National Library of Australia): p. 2. (1912年4月1日). http://nla.gov.au/nla.news-article15321793 2012年3月23日閲覧。 

参考文献

外部リンク