シャルル・ダルトワ

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ウー伯シャルルの胸像、シャルル・ガヴァル(Charles Gavard)による素描、19世紀

シャルル・ダルトワCharles d'Artois, 1394年頃 - 1472年7月25日)は、中世フランスの貴族、ウー伯(1397年 - 1472年)。ウー伯フィリップ・ダルトワと、ベリー公ジャンの娘でオーヴェルニュ公領ドイツ語版の女子相続人であるマリーの間の長男。

父がニコポリスの戦いで捕虜となって客死したため、わずか3歳でウー伯領を相続した。1415年、21歳の時にアジャンクールの戦いに参加してイングランド軍の捕虜となり、23年間もの長い捕虜生活を送った。1438年に解放された時は、44歳になっていた。その後はノルマンディーギュイエンヌの王領地の知事を務め、1465年に70歳の高齢でパリ軍事総督に就任する。

1448年にジャンヌ・ド・サヴーズと結婚したが翌1449年に死別。1454年9月23日に母方の従兄にあたるヘント城伯ジャン4世ドイツ語版の娘エレーヌ・ド・ムラン(1473年没)と再婚するが、2人の妻との間に嫡子を授かることは無かった。1472年に死去すると、ウー伯爵領は妹ボンヌの息子であるヌヴェール伯ジャンが相続した。

参考文献

  • Detlev Schwennicke: Europäische Stammtafeln III.1 (1984) Tafel 70
先代
フィリップ・ダルトワ
ウー伯
1397年 - 1472年
次代
ジャン