キティ・ジェノヴィーズ事件
キティ・ジェノヴィーズ事件 | |
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場所 | アメリカ合衆国 ニューヨーク州クイーンズ郡オースティン通り82-62 |
標的 | キティ・ジェノヴィーズ |
日付 |
1964年3月13日 3時20分 – 3時50分 |
攻撃手段 | 帰宅途中の被害者を襲撃 |
攻撃側人数 | モースリーの単独犯 |
武器 | ナイフ |
死亡者 | キティ・ジェノヴィーズ |
犯人 | ウィストン・モースリー |
動機 | 被害者への暴行のため |
防御者 | 犯行現場の住人(声のみ) |
対処 | 裁判の結果、犯人は終身刑に処される |
キティ・ジェノヴィーズ事件とは1964年3月13日、アメリカニューヨーク州クイーンズ郡キュー・ガーデン地区で発生した殺人事件である。この地区に住むキティ・ジェノヴィーズ(Kitty Genovese)(キャスリーン・ジェノヴィーズ)が帰宅途中であるキューガーデン駅の近くで殺害された。ニューヨーク・タイムズは、彼女は大声で助けを求めたが、近所の住人は誰ひとり警察に通報しなかったと報じた[1]。この事件がきっかけとなり、傍観者効果が提唱された。
事件の概要
事件当日、ジェノヴィースはキュー・ガーデン地区とは別地区であるホリスにてバーのマネージャとして未明まで仕事をしていた。自宅近くの駐車場まで車で帰宅し、そこから自宅まで歩いているところをモースリーにナイフで背中を刺された。ジェノヴィースは悲鳴を上げると、アパートの窓に明かりがともり、一人の住人が窓を開け、ジェノヴィースを離すよう怒鳴った。モースリーは住民を見上げ、肩をすくめると、ジェノヴィースから離れ、自分の車まで歩いて行った。しかし、窓の明かりが消えると、モースリーは、また向きを変えて、自分の部屋に帰ろうとしたジェノヴィースを再度刺した。ジェノヴィースは再び叫び声を上げると、建物の明かりがともった。モースリーは自分の車に乗って立ち去った。だが、その後モースリーはジェノヴィースのもとへ戻り、首などを刺す致命傷を負わせた。その後、同じアパートに住む男性が警察に通報したが、彼女はすでに亡くなっていた。事件から6日後、モースリーを逮捕し、起訴した。裁判の結果、一審では死刑を宣言されたが、二審では終身刑となった。
脚注
- ^ “A Picture History of Kew Gardens, NY – Kitty Genovese–” (2008年8月17日). 2008年10月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年11月28日閲覧。
参照文献
A.M.Rosenthal 著、田畑暁生 訳『38人の沈黙する目撃者 キティ・ジェノヴィーズ事件の真相』(初版)青土社、2011年6月10日。ISBN 978-4791766086。