カパジャ

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カパジャ (Capaya) は、ベネズエラミランダ州アセベド市にある町である。行政上はカパジャ区にあたる。

1784年の人口構成[1]
インディオ21517%
白人454%
ムラート14512%
黒人13311%
黒人とムラートの奴隷71457%
1252100%

バルロベント平野の北部、アセベド市の北東部、カパジャ川の中流に位置する。もとはインディオが作った町(または村)で、マラスマ (Marasma) といった。

植民地時代のカパジャ周辺には、黒人奴隷を使ったカカオの大農園が広がり、近くに逃亡奴隷が作った村もあった。1811年カラカスでベネズエラの独立が宣言されると、スペインは黒人奴隷に王党派の軍への参加を呼びかけた。カパジャは、こうしておきた1812年のバルロベントの奴隷反乱の中心地になり、カラカスに向けて軍を送り出した。

もとはアセベド郡のカパジャ市だったが、1980年代の地方制度改革でアセベド市のカパジャ区になった。

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  1. ^ Historia del Estado Miranda, p50, p61

参考文献[編集]

  • Jose Marcial Ramos Guedez, Historia del Estado Miranda, Ediciones de la Presidencia de la Republica, Caracas, 1981.