エラスムス・ガウワー

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エラスムス・ヘンリー・モーリシャス・ガウワーErasmus Henry Mauritius Gower1830年 - 1903年)は英国の鉱山技師で、幕末明治期のお雇い外国人。弟は長崎および箱館領事を務めたエイベル・ガウワー。資料によっては、ガワー、ガウエルとも記されている。

経歴

1830年7月22日、イタリアのリヴォルノに生まれる。

英国の炭坑で働いていたが、1857年ジャーディン・マセソン商会の炭坑技師となって上海へ渡り、1859年に来日。

1866年、弟のエイベルが箱館領事になると、共に蝦夷地に渡る。ここで、茅沼炭鉱の再開発を提案し、それが受け入れられて幕府に雇用された。茅沼炭鉱に敷設されたトロッコは日本最初の鉄道と言われている。

1867年、英国公使ハリー・パークス一行に同行して佐渡鉱山を視察、幕府より佐渡鉱山の再建計画立案を命ぜられて翌年佐渡に渡たり、坑内排水用ポンプの設計・使用、火薬採鉱法の伝授などを試みたが、幕府の崩壊によって3ヶ月ほどで引揚げた。1869年、明治新政府に雇用され、再び佐渡鉱山の改革に務めた。竪坑の開削と運搬技術の改良に成果を上げたが、洋式製錬法の改革には失敗し、1873年に責任をとって辞任した。

その後高島炭鉱の近代化にあたり、1880年に日本を去った。

1903年12月16日、73歳で死亡した。

参考文献

外部リンク