アントニオ・ディアス・カルドーゾ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。YuukinBot (会話 | 投稿記録) による 2021年9月19日 (日) 13:32個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (Botによる: Bot作業依頼 スタブテンプレートを{{Europe-politician-stub}}に貼り替え)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

アントニオ・ディアス・カルドーゾ1933年 - 2006年6月24日)とは、1975年にアンゴラ解放人民運動(MPLA)に参加するまでアンゴラ民主運動の党首を務めていた人物である。

カルドーゾはルアンダで生まれた。彼は1961年にPIDEによって逮捕され、カーボベルデに追放された。

彼はポルトガル前立腺癌にて逝去した。彼は独立後MPLAの新聞『進歩』(Progresso)の編集者として働いた。彼は多くの本と詩の作者であり、Poemas de Circunstancia (1961)、Panfleto (1979)、Poemas da Cadeia (1979)、Economia Politica (1979)といった作品が挙げられる。

外部リンク