Wikipedia:井戸端/subj/プロジェクトに従う義務はないのか?

プロジェクトに従う義務はないのか?[編集]

新木優子ですが、バラエティの単発ゲストは不要だと述べたところ、利用者:Dewiki会話 / 投稿記録 / 記録氏より「「プロジェクト:芸能人」の冒頭には、「これはあくまでガイドラインで従う義務はありません。」とあります。」と言われました。確かに、プロジェクト:芸能人には、そのように記載されています。まず、このように気にいらないプロジェクトに従わない事は問題ないのでしょうか?問題であれば、「これはあくまでガイドラインで従う義務はありません。」のような一文は除去すべきでしょう。次に、問題ないのであれば、プロジェクトはあくまで方法の1つであり、選択する・しないは自由という事でしょうか?で、あればプロジェクトのルールに従う人と従わない人で記事の結果に差異が出てしまうようなルールは撤廃するべきだと思います。方法が違うのは問題ありませんが、結果が違うのは問題です。--JapaneseA会話2018年7月8日 (日) 14:45 (UTC)[返信]

  • コメント Wikipedia:方針とガイドラインとは違い、強制力のあるものではないことは事実です。しかし執筆スタイルに関していえば各プロジェクトで議論を重ねるなどして作成されたであろうものが多く、当然それらはWikipediaの方針とガイドラインとは矛盾しないものであるのが基本です(でなきゃ誰も従おうとは思わないでしょう)。であるならば、強制力はないにせよ仮に編集合戦や議論になった場合、プロジェクトの執筆スタイルに沿った編集をおこなっている側とそうでない側、どちらに分があるかといえば当然前者となるでしょう。そもそもが、有益な2次資料もないバラエティの単発ゲストを全て掲載することに特筆性があるかどうか、プロジェクト関係なく理解出来そうなものですけどね(Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか)。まぁ、きちんとノートでの合意を経た内容などを、プロジェクトのスタイルの自己解釈を理由に覆そうとしたLTAが先日出現したのですが、それはそれでしょうか…。--Aiwokusai会話2018年7月8日 (日) 15:04 (UTC)[返信]
    • コメント 少なくとも私が野球選手の記事を編集する際はそのスタイルに沿ったものにしておりますし、異なる編集(特にマークアップを使用した経歴の箇条書き)が見られる場合はそれを理由に修正しています。万が一プロジェクトの文章が方針・ガイドライン的におかしいものであれば修正を提案することもあるやもしれませんが、そういったものが見られない限りは基本的にそれに沿った編集が優越されるべきでしょう。かといって方針のように従えとなると、ある程度の議論の余地を残しておくがプロジェクトの役目かなぁとも漠然と考えていました。結局はユーザーの良識の問題だと思うのですが、たとえばガイドラインでさえ「従うことが推奨されますが、方針ではありません。」という部分を教条主義的に利用して、方針でないから必ずしも従う必要はない!と言い放つ人も過去にはいましたね。--Aiwokusai会話2018年7月8日 (日) 15:47 (UTC)[返信]
    • コメント 言葉が独り歩きしているようにも思えますが、プロジェクトの文章は編集のための一種の指針であることは間違いなくてもWikipedia:方針とガイドラインに出てくる意味でのガイドラインではありませんので、そのプロジェクトに書かれたガイドラインの意味合いと、通常のWikipediaのガイドラインを混同する方が出てくるなら文面を変えるべきかなとは思います。いわゆるノートページで議論を重ねたものに近い性質をもちますが、方針やガイドライン、各ノートでの合意などの方が優先されることは言うまでもありません。--Aiwokusai会話2018年7月9日 (月) 05:18 (UTC)[返信]
  • コメント プロジェクト:河川の冒頭は、おそらく同じ英文からコピーされているのだと思いますが、「義務があるなどと感じたりするべきではありません」そして「けれども・・・」「つまるところ・・・」で参加者に上手に要求しています。--Triglav会話2018年7月8日 (日) 15:22 (UTC)[返信]
コメント よくわかりません。Wikipedia:方針とガイドライン#位置づけでは「編集者はガイドラインに従うように推奨されます」と謳いながら、プロジェクトでは「あくまでガイドラインで従う義務はありません」ですから、どっちなんだって話です。そもそもプロジェクト自体が執筆の水先案内なのかガイドライン・方針なのかよくわからないところがあります。--Motoriyo会話2018年7月8日 (日) 22:33 (UTC)[返信]
コメント ウィキプロジェクトは方針やガイドラインでないため強制力はありません。プロジェクトはあくまで書式の指針です。一人二人の合意、またはソックパペットの被害を受けたなど名ばかりプロジェクトも多数存在するため、内容自体を疑ったほうがよいでしょう。すなわち書式以外の点について、利用者がプロジェクトに従う義務はありません。
  • ガイドライン (guideline)
    • 多くの利用者に支持されている、最善の方法(ベストプラクティス)を集めたものです。編集者はガイドラインに従うように推奨されますが、それについては常識に基づいて判断し、個別の事情に応じて例外を適用してもかまいません
  • ウィキプロジェクト
    • ウィキプロジェクトとは、特定の分野の項目について、それがウィキペディアでどのようなフォーマット(書式)で整形され、どのように説明されるとよいかなどを検討するためのものです。
    • プロジェクトで提案されたものは強制力は持ちませんが、その分野の指針となります。

これがガイドラインとウィキプロジェクトに書かれた説明です。--2403:99DD:6FE5:6E00:805E:33C4:68CE:4D7B 2018年7月9日 (月) 00:53 (UTC)[返信]

  • コメント プロジェクト合意は方針ガイドラインの「下」にあるものなので、方針ガイドラインに照らし違法性がありそうな合意には従う必要はありません。実例としてプロジェクト‐ノート:ボクシング#新王者の記事乱立の禁止を提案します。にて人物記事の立項を全面禁止しようとした利用者の提案がありましたが、これはその後提案合意に基づき提出された削除依頼2件で方針ガイドラインに沿わないことが確認され全否定されました。──で。プロジェクト合意はこういった例外的事例を除けば大抵の場合は方針ガイドラインに合致した内容になっている場合が殆どですので、プロジェクト合意に従わない場合、その合意の大本、根本となっている方針ガイドラインに違反する場合があり、プロジェクト合意に反する行動の結果が全ての利用者が遵守すべき方針(例えば徹底的な厳守が求められているWP:BLP)に抵触するなどした際には行動そのものがWikipedia:妨害的編集になる場合があるでしょう。そして、そうでなくプロジェクト合意が「上位の方針に照らして」おかしい、と感じた場合は誰でもプロジェクトのノートページにて議論提起し更に良い形に向かって改訂を行うことができます。 / なんと言いますか、ガイドラインの説明に有るソレはWikipedia:善意にとるに従えば今後のより良い改訂可能性のために残されている文言であって、その一文の字面の上っ面だけを読み取ることしかできない編集者は前述の通り大体の場合に於いて別の方針に抵触しますでしょうから、現状で何ら問題を感じません。◆むしろ現時点でガイドラインとされているものを一律無条件に方針に格上げした場合の方がウィキペディア全体に大混乱を引き起こす悪手でしかないと思います。--Nami-ja (会話 / 履歴) 2018年7月9日 (月) 06:50 (UTC)[返信]
  • コメント 追記 方針ガイドラインは移り行き変わっていくものであることは周知であると思いますが、古いプロジェクトの中には合意が古い時代の方針ガイドラインに基づいたまま改訂されない結果、現時点で矛盾が発生しているものがあります。大きなところですと日本語版でWP:Vが方針化されたのは2006年6月ですので、それ以前に何らかのプロジェクト合意をしているプロジェクトの中には検証可能性を重視しない合意が現時点でも残っている可能性もあるかもしれません(例:プロジェクト‐ノート:ボクシング#記事執筆用テンプレートの廃止提案。--Nami-ja (会話 / 履歴) 2018年7月9日 (月) 07:04 (UTC)◆蛇足の蛇足ながら実例前例を追記。--Nami-ja (会話 / 履歴) 2018年7月10日 (火) 12:55 (UTC)[返信]
  • Wikipedia:井戸端/subj/プロジェクトの強要について。 ここでの見解が概ねの見解。 汎用的な広範囲をターゲットにするガイドラインでは、漏れてしまったり、舌足らずになってしまう個別分野ごとの懸案や指針をまとめるのが、まずは目的である(合理的な理由に基づくのであれば上位概念に反する規定だって十分にありえる。ガイドラインは憲法で、プロジェクトは条文というわけではない)。その上で、はっきりとした合理性が認められたり、慣習として成立しているとみなせるほど長い期間があるものなら、それを援用することは問題ないし、援用を否定するならプロジェクトの意味がない。合理的な理由があれば規定を無視してもいいのはガイドラインも同じなのだから、当然、プロジェクトも同じ。合理的な理由を示さずに、ただ強制力がないという理由で拒絶するのは、解釈に問題がある。--EULE会話2018年7月11日 (水) 11:33 (UTC)[返信]
コメント ウィキペディアは規則主義ではないを背景に個別の議論・合意でもって方針文章ですら従わない権利が許容されていて、プロジェクト文章も従わない権利(意見)は許容されるのではなかろうかと。その上で、ある程度の結果収束が期待できないルールは撤廃・改訂を提案するのが望ましいように思います。…プロジェクト:河川の冒頭のスマートさには感動しました。--111.101.40.218 2018年7月11日 (水) 17:45 (UTC)[返信]
PJ河川の冒頭にもある雛形文は中々良い文章なのでプロジェクトの規模に関わらず残っているPJがそれなりにありますね(73/227)。本題の焦点となりうる「提案に従う義務があるなどと感じたりするべきではありません」という文面もPJ:AMEPJ:NYを除き残されているようです。ただ、元が雛形文にすぎないということもあり、その旨が形骸化しているPJとかもありそうですね。--ButuCC+Mtp 2018年7月17日 (火) 16:27 (UTC)[返信]

コメント 皆様、御意見ありがとうございます。あるいはプロジェクト:天体のようにシンプルにするのもありだと思います。プロジェクト:河川は、目的外利用者は来ないでしょうが、これが政治とか宗教であれば、「これらの提案に従う義務があるなどと感じたりするべきではありません」に つけこむ人が出て来るような気はします。勿論、悪用する側に対処していればキリがないですが、ある程度の隙はなくした方が良いと思います。プロジェクト:芸能人は、ファンが編集する事が多いのか、バラエティ・情報・音楽等番組の単発ゲストを記載する人が多いです。ファン心理としては、「これはあくまでガイドラインで従う義務はありません。」と書かれていれば、それを盾にするでしょう。自分の推している芸能人は、瑣末な事など書かずとも、十二分に記事が成り立つ、と考えて欲しいものですが。--JapaneseA会話2018年7月19日 (木) 16:53 (UTC)[返信]