Wikipedia:秀逸な記事の選考/運命の力 20060211

運命の力[編集]

賛成/条件付賛成/保留/反対 0/1/2/0  この記事は取り下げの合意がなされています。2006年4月10日 16:14 (UTC)(2006年4月11日 01:14 (JST))までに異議がなければ、取り下げとなります。


(ノート) 《推薦理由》 非常に読みやすく、また力作で、必要とされる事項が網羅的にまとまっているので、秀逸な記事として推薦いたします。審議よろしくお願いします。竹麦魚(ほうぼう) 2006年2月11日 (土) 22:42 (UTC)[返信]

  • (条件付賛成)同じオペラジャンルになるトゥーランドットと比較した際に内容にこれが足りないというのはないのですが、1つの文が平均的に長すぎるんではないかな?と思います。そのために読んでいて息継ぎの出来ない記事で読むのに疲れます。何かを加筆したり削除してほしいわけではないので条件付賛成とします。秀逸=模範になるには後一歩。素人が読んでも疲れない明快さをお願いします。Elthy 2006年2月14日 (火) 05:49 (UTC)[返信]
  • (保留)なじみのないオペラなので、コメントしづらいですが……。概要では、ヴェルディのオペラの中で、どういう位置づけにあるのか、あるいは人気はどうなのかなどの説明がほしいと思います。また、序曲以外の音楽面の記述が少ないように感じます。そういう作品なのかもしれませんが。あと、好みの問題なのでしょうが、作曲の経緯が長すぎる、あるいは細かすぎる(?)と感じます。例えばですが、原作『運命の力』のあらすじや、オペラとの差異などについては、別にまとめるなど、経過の記述を簡潔にし、後で節を立ててより詳しく述べる方が読みやすいのではないかと思います。トゥーランドットのときは賛成したので、基準にぶれがあるといわれると弱いですが。トゥーランドットの方は読んで面白い、という気がします。--みっち 2006年2月14日 (火) 06:25 (UTC)[返信]
  • (保留)Elthyさん、みっちさんのご意見と同感です。やはり「トゥーランドット」と比較してしまうのですが、こちらはバランスが良くないように思われます。もちろん名作オペラではあるのですが、「トゥーランドット」に比べるとその認知はまだ低いと言わざるを得ません。ですから、冒頭に、一言でいうとこんなオペラです、という説明が必要だと思います。そして、みっちさんがご指摘の、ヴェルディの諸作の中で、あるいはオペラ史・音楽史での位置づけといったものが重要だと思うのです。確かに詳細な作曲の経緯はすばらしいと思うのですが、最初にあれだけの長い作曲の経緯があるのは読みにくいかなと思います。その後のオペラ自身のストーリーがまた、陰惨で救いのない物語だけに、最後に憂鬱な気分になってしまいます。まぁ、オペラのストーリーはどうしようもないので仕方がないと言われればその通りなのですが・・・。--汲平 2006年2月18日 (土) 03:02 (UTC)[返信]
  • (コメント)この項目を書いたにごうです。お三方のご意見ありがとうございます。勝手にまとめを作れば下記のようになるでしょうか。
  1. 「作曲の経緯」が長い:これは私の個人的な興味がそのように筆を走らせてしまっている面があります。日本語では書籍/オンラインを問わず、この部分がいい加減に扱われているものが多いという不満もありましたので。
  2. 「文の息」が長い【Elthyさん】:これは私が数十年来(!?)言われ続けている悪癖です。反省しきり。
  3. ヴェルディのオペラの中での位置づけ:これに関しては、「ヴェルディと妻ジュゼッピーナは『レニャーノの戦い』までを初期、『ルイザ・ミラー』から『仮面舞踏会』までを中期、『運命の力』から『アイーダ』までをmoderno(大体英語のmodernに同意)と位置づけていた」という記述が某海外文献にあるのですが、ウラがとれていないので書いていません。ただ、『運命の力』『ドン・カルロ』『アイーダ』の3作はそれ以前の作品とはその音楽上、ドラマ上の重厚さにおいて大きく相違しているのは間違いないところなので、そういったことがらを加筆していくことが一案としてあります。
  4. 長々とした記述の後に粗筋が配置された構成上のバランスの悪さ:これは、私がWikipediaでオペラ項目を起稿する際に参照した既存項目(「フィガロ」だったか、「トスカ」だったか)での構成をそのまま引きずっていることが一因ですね。サブページ化するなんてのも暴挙だろうし、どうしたらいいか悩ましいところです。
  5. 原作との差異の扱い:これに関してですが、1990年代まではいわゆる「改訂版」ばかりが採り上げられていたのが、ゲルギエフ指揮、マリインスキー劇場で「原典版蘇演」がなされ、そのCDやDVDもそこそこ注目されている(ゲルギエフ・ファンは多いですから)、という最近のトレンドがあります。原典版と原作の近縁性、それとヴェルディはそれをどう改訂することで、兎にも角にも他の劇場でも受容される改訂版にしていったのかを書いておかないと、という私の問題意識はそこに端を発していますが、単に長々と退屈な記述になっている感は否めません。
実はドイツで1920年代に流行し、アメリカで1980年代まで主流だった異版(アルマ・マーラーの夫ヴェルフェルが翻訳したのでヴェルフェル版という)もありまして、私はその異版のことも、ドイツでのいわゆる「ヴェルディ・ルネッサンス」との関連において記載したいとの野望があったのですが、そこまで入れ込むと確かに百科事典としてはますますバランス悪いですねぇ。ともあれ、「秀逸」になるレベルではないのは間違いないところです。今後数年かけて記事が成長(更なる肥大化?)していくのを暖かく見守って、そして加筆していただければ幸甚です。今回のコメントまことにありがとうございました。--にごう 2006年2月18日 (土) 03:54 (UTC)[返信]
  • (取り下げ提案)遅まきながら、選考の取り下げを提案いたします。これは条件付き賛成票が入っていて、早期終了の対象とならないためです。提案理由として、にごうさん執筆者とお見受けしますがのコメントにあるように、選考は事実上終わっているような雰囲気であること、1ヶ月以上あらたなコメント等がないことです。この取り下げには、規定に基づき竹麦魚(ほうぼう)さん、Elthyさんご両名の同意を必要とします。ご両名の同意が揃って48時間経過し、選考続行の意思表示がない場合、選考は終了となります。--S kitahashi(Plé)2006年3月24日 (金) 20:33 (UTC)[返信]