Wikipedia:秀逸な記事の選考/源頼朝 20050816

源頼朝[編集]

(ノート) 《推薦理由》一次史料に即した丹念な記述で、やや長大な記述ながら年表などによりわかりやすくする努力が功を奏している。義経でも指摘された一文の長さと、ところどころやや細かくなりすぎているかもしれない記述をどう評価するかは分かれるかもしれません。個人的にはこれだけの大きさの項目ながら、参考文献に研究書がないことが気になりました。一次史料だけというのはこれはこれで偏っているので、記事を書くためにつかった資料を挙げてくださるとなおよいかなと思います。Aphaia 2005年8月16日 (火) 20:35 (UTC)[返信]

  • (保留)歴史ファンが細か過ぎる逸話までとりあえず必死に浪曲のごとく語ってるという感じの前半がやはり問題。年表以降には目を見張る部分があるのにここが冗長すぎて辿り着くのに疲れるのは非常にもったいないです。どこを削るかが難しいところではありますが。Elthy 2005年8月17日 (水) 06:08 (UTC)[返信]
  • (コメント)伝記部分が人物で歴史を語っちゃっているようにも思えますね。頼朝みたいな日本史の超有名人の場合はこうなりがちようにも思います。本人に直接かかわりの無い「歴史」部分は補足説明程度にとどめてばっさりとカットできるようにも思えますがどうでしょう、平家追討や奥州合戦の節にある人名羅列とか。あと伝記部分は充実しているにしろ、「人物」が貧弱のようにも思えます。それと見出しが多いのも気になりますね・・これは個人的好き嫌いかもですけど。--でここ 2005年8月21日 (日) 21:58 (UTC)[返信]
    • みていくと、合戦などは個別項目でたっているので、思い切って削る試みを一部でしてみました。具体的には以下のような編集を行っています。
      • 冒頭3節を瑣末な点や直接本人とかかわらない点を落とし、1つにまるめた。
      • 奥州合戦の説を、一部は別項目に逃がし、また項目が別にあるところは思い切って簡潔にまとめた。
      • 人名の羅列は落とした。(個別の合戦なり「奥州合戦」なりをたてて書いたほうがいいように思います)
      この方向性でいいなら、源平合戦のところなども、別項目と調整しながら、かなり削れるのではないかと思います。いかがでしょうか。--Aphaia 2005年8月23日 (火) 10:53 (UTC)[返信]
  • (反対)記事の多くをちまちまと長期間に渡り追記してきた者です。自分の知らない所で記事を批評され、その結果をいきなり反映されるのは、余り気分が良くないですね。地道に史料を読み、必要と思い記したものを削られるのは、なかなか虚しいものです。まぁそれは置いておいて、個人的にはまだ書きかけなので「秀逸」では無いです。以下に現在の記事について思う所を書いておきます。
    • 生涯の章が冗長で細かすぎる感は有った。書いた自分でも通して読むのは面倒。しかし他のそれほど有名ではない歴史上の人物記事ならば、当然記される内容だったろうし、知りたい人は読んだであろうと思われる。また、本人に直接かかわりの有る「歴史」部分のみを書いたつもりではあった。
    • 参考文献はネットに有る史料のみで、研究書は参照していない。
    • 人名羅列は要らないかもしれない。しかし頼朝と御家人の関係を知る上では重要な気もする。
    • 人物が貧弱。生涯を書き終えたら書き足そうと思っていた。
自分も気が向いたらまた協力しますので、よく考えて議論して、秀逸な記事に育てて下さい。-- 2005年8月23日 (火) 14:51 (UTC)[返信]
      • (コメント)知らないところで、という件は確かにそうですね。せっかく「秀逸候補」のテンプレートがあるのに張ってなかったですし・・・そこに先に気づかいできなかったのはまずかったです、すみません。Elthy 2005年8月24日 (水) 00:55 (UTC)[返信]
      • コメント: Wikipedia:記事の所有者に一度目をお通しになってはいかがでしょうか。俊さんが多く執筆していらっしゃるのは自明ですから、声をかけるなどの配慮がほしかった(それがよりよい議論に繋がるから)、というのであれば了解できますが、自分の知らないところでとまで仰るのには賛成しかねます。 Kzhr 2005年10月16日 (日) 07:35 (UTC)[返信]
  • (コメント)さんの着実なお取り組みに敬意を表します。その上で、今の内容でも十分秀逸に値すると思うのですが、伝記に多くを割いている点が気にかかることも否めません。源頼朝が歴史に果たした役割についても、更にいろいろ加筆できるだろうと思うのです。徒手空拳の立場から、関東において前例のない武士政権を樹立したこと、それを成し遂げた頼朝が当時の公家社会/武家社会/民衆社会にどう受け止められたか、さらに後世の武家政権にとって頼朝がどのような重みを持っていたか、また頼朝政権が当初は叛乱勢力と見なされながらも、最終的に中央政府から承認され、独自の権限を獲得するまでに頼朝が果たした役割の政治史的分析(後白河上皇との角逐など)、鎌倉殿という立場の意味、右近衛大将に補任されたことの意義、征夷大将軍への就任が後世に与えた影響、篤い神仏崇拝者としての側面、江戸期の白石や山陽らによる評価、戦前の皇国史観からの評価、マルクス主義からの評価、小説家らの評価、近年のプレーンな視点からの再評価、これらの評価の変遷などなど。できれば自分も加筆に加わりたいのですが、能力が劣るのと、他項目に取りかかってるのとで難しいのです。ごめんなさい。その代わりに参考になりそうな文献を挙げさして頂きますと、『頼朝の精神史』(山本幸司、講談社選書メチエ)、『頼朝の時代』(河内祥輔、平凡社)、『源頼朝』(永原慶二、岩波新書)、『征夷大将軍』(高橋富雄、中公新書)、『武家の棟梁の条件』(野口実、中公新書)。どれも判りやすい内容で参考になりますし、なおかつ、書店や図書館などで容易に入手可能な書籍です。最後に、本当は今の内容でも素晴らしいと思うのですが、折角、秀逸候補に挙げられてるので、贅沢を申し上げさして頂きました。--しもー(shimoxx) 2005年8月27日 (土) 15:01 (UTC)(一部修正)--しもー(shimoxx) 2005年8月28日 (日) 03:26 (UTC)[返信]

(見送り)推薦より3ヶ月経過の時点で賛成/反対/保留:0/1/1につき見送りとなります。Elthy 2005年11月22日 (火) 01:42 (UTC)[返信]