Wikipedia:査読依頼/熊野三山本願所 20101107

熊野三山本願所 - ノート[編集]

15世紀後半以降の熊野三山の造営・修造を支えた組織。2010年7月に初版を投稿して以降、集中的に加筆を進めてきた記事ですが、この間執筆者がほぼ私一人に限られているため、査読をお願いします。専門知識(関連分野・周辺分野含む)をお持ちの方だけでなく、あまりなじみの無い方、熊野三山本願所を知らない(あるいは当記事を読むまで知らなかった)方からも、正確性、分かりやすさ、面白さ、疑問点、「こんなことが知りたい」という点など、気づいた限りのご指摘を頂ければ幸いです。ikedat76 2010年11月7日 (日) 02:37 (UTC)[返信]

【査読】 ──専門家の方による審査結果。
【検証】 ──参考文献などと照合しつつ正確性を評価頂いた結果。
【書評】 ──専門外の方による評価および助言。
【感想】 ──専門外の方による感想。
基準は、2010年11月30日 (火) 18:21; Ikedat76さんの版ですが、 「本願所」という言葉が冒頭に定義されていないので、以降のこの本願所がたどった過程の理解がやや困難になっていると思います。そこを記述していただいてから、もう一度、査読したいと思いますが、いかがでしょうか?定義の付加は可能でしょうか? 日本の神道に詳しくない人にとってすると、ちょっと冒頭が唐突過ぎる感があります。--Tantal 2010年12月3日 (金) 13:30 (UTC)[返信]
冒頭定義部の第1段落のことでしょうか。第2段落で日本における寺社造営の歴史に触れる中で、本来寺社外部の存在である勧進聖による活動が恒常的な組織となったのが本願所であると、記したつもりですが、それでは不足でしょうか? --ikedat76 2010年12月3日 (金) 19:03 (UTC)[返信]
了解しました。腰を据えて読んでみますので、コメントはしばらくお待ちください。--Tantal 2010年12月3日 (金) 21:17 (UTC)[返信]
インデント戻します。基準は、2010年12月24日 (金) 14:45; UNAZONALEGGERAさんの版です。
前述したように、冒頭部分がやや分かりづらいと感じました。この査読依頼の冒頭に書いてあるikedatさんの文章である「15世紀後半以降の熊野三山の造営・修造を支えた組織」という一言が冒頭にあるだけで、文章の理解の一助になると思います。歴史節まで読まないと本題にたどり着けないモヤモヤ感が残っている印象を受けました。もっとも、この一言を冒頭に挿入するだけではやや不足で、「衰退と終焉」節に書いてある文章をコンパクトにまとめた文章を合わせて挿入しないといけなくなりますが。
具体的にどういう組織化というのは、丁寧に文章が記述されているので問題ないと思います。今後の課題は、赤リンクの解消でしょうか。「那智参詣曼荼羅」・「歓心十界図」などですね。今後の新規投稿に期待します。
細かいところで、恐縮ですけれども、参考文献節で、Template:Cite bookを利用することをお勧めします。今後も研究が進むにつれて、新しい文献の追加がなされるでしょうけれども、その際にスタイルがバラバラだと見栄えが悪くなりそう……。--Tantal 2010年12月26日 (日) 07:06 (UTC)[返信]
以上、専門外ですが、コメントとさせていただきます。ただ、少なくとも、GA・FAの選考にかけても耐えられる文章だという認識です。--Tantal 2010年12月26日 (日) 07:06 (UTC)[返信]
大部のものを査読いただきありがとうございます。ご指摘を以下の3点にまとめたうえで回答します。
1.冒頭部分が分かりづらい
実を言うと、“何をしていた組織なのか”という点については、冒頭部第1段落末尾にて、「熊野三山(熊野本宮、熊野新宮、熊野那智)の造営・修造のための勧進を担った」と明言しています(「15世紀末以降」云々はないけれど)し、“最後はどうなったのか”という点は、冒頭部第3段落の第3~4文にあります。
おそらく第2段落が間に挟まっているのが、分かりづらくしているのかもしれません。ただ、この記事の主題は「日本の神道」というよりも、「日本における寺社造営」を含めた寺社の財政・経済に関する歴史(「寺社経済史」といいます)の問題に属しています。そして現状のjaWPでは寺社経済史に関する記事は全く整備されておらず、その意味で、熊野三山本願所について記述する上で必要な文脈や前提を(本願所の定義も含めて)補う必要がある、という点で外しにくいのです。
すぐにどうする、とは申しにくい(ひょっとしたら何も直さないかも知れない)のですが、あの第2段落がある事情としてはそうしたことがあります。
2.赤リンクの解消
ご指摘の通りです。資料を読み進めてはいますが、民俗学の方面の知識が足りないせいで難航中です。いつまでとは明言できませんが、執筆の意思はある、というところで今回はご容赦ください。
3.参考文献のスタイルの統一
修正(一部未済)してみましたが、いかがでしょうか。{{Cite book}}({{Cite book/和書}})ですが、日本語環境でハーバード方式(に準じる)文献参照方式・文献挙示方式をやる上では互換性がないため、面倒ではありますが手入力としています。
以上です。--ikedat76 2010年12月26日 (日) 16:18 (UTC)追記・修正--ikedat76 2010年12月26日 (日) 16:21 (UTC)[返信]
言っている傍から難ですが、構成を変更しました。今度はどうでしょうか。--ikedat76 2010年12月26日 (日) 16:53 (UTC)[返信]
ここへ書いても良いのかわかりませんが、「前史」の部分を神社造営のみならず三山経営の立場から補強しました。本願の役割が神社や寺院の建物造営のみに限定されていないということであれば、視野を大きく取るべきでしょうね。なお、最近、那智山の参詣曼荼羅があくまでも社僧の立場からではなく、本願の立場から描かれているということを明らかにした大高さんの本が出されました。薄々ささやかれてきましたがこれで確定でしょう。参考までに。--利用者:118.14.56.85 2012年9月11日(火) 16:37
加筆ありがとうございます。この査読依頼はいちおう終わりになっているので、頂いたコメントをノート:熊野三山本願所に転記致しました。--ikedat76会話2012年9月11日 (火) 14:56 (UTC)[返信]
【その他】 ──表記・文体など