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訓読みをつかわない表記法の是非[編集]

最近、わたしは高島俊男氏の『漢字と日本人』や中西進氏の『ひらがなでよめばわかる日本語の不思議』をよんで訓読みのおかしさに気がついて、やまとことばはできるだけひらがなで表記するようにしているのですが、Wikipediaにおいても訓読みをつかわない表記法が許容されるべきではないでしょうか。日本語をまなぶ外国人が理解しやすいというメリットがあるとおもいます。--Rikumio 2010年5月23日 (日) 13:46 (UTC)[返信]

「許容されるべき」一番あやふやな表現だと思います。具体的にはどうしたいのですか?--112.136.32.203 2010年5月23日 (日) 14:42 (UTC)[返信]
やまとことばをひらがなで表記してもとがめられないようにするということです。ただし、固有名詞や、「着る」と「切る」のような混同されやすいやまとことばは別です。--Rikumio 2010年5月23日 (日) 14:58 (UTC)[返信]
その事によるメリットって何でしょうか? そもそも、禁止も推奨もしてないと思います。どのようなことを念頭に置いていますか? --ゆきち 2010年5月23日 (日) 15:30 (UTC)[返信]

反対。理由1.そのような表記法は市民権を得てない。理由2.漢字を併用することで現在の日本語の文章は確立しているのであり、今更一部の人間の価値観によって戻したら返って混乱する。現に「やまとことばはかな表記にすべきだ」という一文だけでも目に痛い。理由3.提案者の意見はアバウト過ぎる。混同されやすい物はOKとか基準が曖昧。あと他にも「肉」みたいな用法とかどうするのか。わかっているようで意外とわかってないのが訓読み、大和言葉であって、やっぱり混乱を起こす以上の意味が無い。1と被るが市民権を得て無いということは、それを適切に活用、判断できる人間もまた少ないということ。理由4.編集権は自由だからRikumio氏が個人の価値観に従って勝手にやるのは元より自由。しかし、それを漢字にする場合もまた自由であり、その時に相手の編集権を尊重するなら元よりこのような例外的ルールは不要だし、抗議や差し戻しを行うなら結局、いらぬ編集合戦を呼ぶだけ。本来、少数派の意見は尊重すべきであるが上のノート・トーク論争見ても、関数・函数見ても、征伐・攻め・役とか見てもわかるように表記法で揉めると、非常にとても大そう大変に甚だしく悉く極めて面倒なので元より火は消す。--EULE 2010年5月23日 (日) 16:39 (UTC)[返信]

みなさまも『漢字と日本人』と『ひらがなでよめばわかる日本語の不思議』をよまれてみれば大体理解できるとおもわれますがいかがでしょうか。--Rikumio 2010年5月23日 (日) 17:48 (UTC)[返信]
それをルール化しようとするのであれば、反対です。常識の範囲内において、「一般的」かつ「必要性」があるのであれば使用すればいいし、そうでなければ使うべきではありません。日本語を勉強する外国人のため…というのは、少々極論だと思います。たとえば、多くの中学生・高校生でも理解できるレベルにするために必要なのであれば、適当な範囲で使用してもいいのではないでしょうか? 異論・反論があった際には、その都度に議論を行って謙虚に対応していけば、なんら問題はないと思います。--アイバー 2010年5月23日 (日) 20:23 (UTC)[返信]
ルール化するのは私も反対です。メリットよりデメリットのほうが遙かに大きすぎるでしょう。Rikumioさんがご使用になるのは止めませんが、その編集を差し戻されるのもまた正当な編集です。そもそもwikipedia日本語版で「日本語を学ぶ外国人」を考慮に入れる必要はあまりないと思います。wikipediaは日本語版だけではありません。母国語やより理解しやすい言語版のwikipediaを利用すればよい話ではないでしょうか。ルールとして組み込みたいのであれば、最低でもその表記法が、万人に受け入れられてからでないと。この場合、表記法の歴史や正当性の是非はあまり問題ではなく、その表記法を受け入れられる編集者が圧倒的に少ないであろうことが問題です。私も記事が全部かな表記に変えられたら差し戻します。将来的にはともかく、少なくとも現在はその表記法になじみのない大多数の利用者全員に「読め、理解しろ、使え」と強要する段階ではないでしょう。--藤之 2010年5月23日 (日) 22:40 (UTC)[返信]
>みなさまも『漢字と日本人』と『ひらがなでよめばわかる日本語の不思議』をよまれてみれば大体理解できる
逆ですよ。ある一部の書籍を読まないと納得・理解できない表記法を一般化しようってのが無理です。--EULE 2010年5月24日 (月) 01:15 (UTC)[返信]
私も高島俊男のファンでして、そのエッセーのもつ毒舌調の文体には、ある種の小気味のよさすら感じますよね。私自身、高島氏の著作を元に、四字熟語混種語#日本語の混種語和製漢語などの加筆をしています。
さて、高島氏の「訓読み害悪論」ですが、同様の主張はウェブ上でも少なからずなされています。例えば国語学や歴史学のアマチュア研究家である信太一郎氏の論はウェブ上でも参照できますね(「訓読みは必要か?」)。
高島氏は、他の著作でも同様の意見をたびたび述べていまが、それらを総括すると「日本語と漢字は本来相性の良くないものであるが、もう千数百年にわたって、日本人は漢字を使用し続けているのだから、こうした矛盾を受け入れざるをえない」ということですね。
確かに、「見做す(みなす)」「流石(さすが)」のような当て字は、文芸作品ならともかく、百科事典の表記として不適切に感じます。一方で、「森(もり)」だとか「大きい(おおきい)」などの表記は、すっかり国語として定着しているので、無理にかな書きする必要はないのでしょうか。高島氏の論も大体そういう趣旨だと思うのですがいかがでしょう。
ウィキペディアでは自由な編集が認められています。Rikumioさんが不適切と判断された表記を適宜修正したとしても、それが常識の範囲内の編集であるならば、誰にもその行為を咎める権利はありません。私個人としては、読みにくい文章や不適切な漢字遣いを適切に修正することは、むしろ歓迎すべきことだと思っています。
なお、日本語版ウィキペディアには「Wikipedia:表記ガイド」の中で漢字とかな書きについてのある程度の指針がすでに示されています。頭ごなしに訓読み漢字を否定するのではなく、現行の指針を補完する形で「閲覧者にとって読みやすく分かりやすい文章を書くためのガイドライン」を立ち上げてもよいかもしれません。それならば以降の議論はWikipedia・トーク:表記ガイドで行うべきでしょう。--Damena 2010年5月24日 (月) 03:37 (UTC)[返信]
ごていあんは、たとえていうならば、とくていのしょせきのしそうをふとくていたすうのりようしゃにおしつけるかのようにみえ、こうていしかねます。たしかにつだそうきちのように「しなもじ」をてっていしてけんおしたがくしゃもいるのですが、ぎゃくに、「いまのかなづかひはおかしいとわたくしはかんがへる、ふくだつねありの『わたくしのこくごきようしつ』」をよんで、せいかなづかひでかくことこそみとめられるべきだ、そのいぎはほんをよめばわかる」といわれたらどうおもうでしょうか。こんかいのごていあんはそれとおなじことだとおもいます。しょうじき、くんよみをそのようにひらかれるととてもよみにくいし、わたしならきじちゅうに「つかわない」「おもいます」とあれば、すべてかんじかなまじりひょうきにするでしょう。よみにくいし、かっこうがわるいし、にっぽんのしょうがっこうなどでならうじょうようかんじでよみがしめされており、たといじどうであってもくさとりでこうかきかえるだろうとおもうからです。もしがいこくじんがりかいしやすいかきかたがよいとすれば、むしろこんかいのわたしのこめんとのかきかたもじゅうぶんにありだし、このように、すべてひらがなでかくかきかたも、いや、このかきかたこそがきょようされるべきだとかんがえます。--Tsop9 2010年5月24日 (月) 09:13 (UTC)[返信]

日本語はややこしいですね……そもそもの言葉の本当の最初の由来の多くが散逸している事、などが割と致命的……かと思います。が、まぁ、そのような日本語ですが私は好きです。極めて個人的には自由度が割と微妙に高い気がする様な感じだったりするからなのです。--基 建吉(MOTOI Kenkichi) 2010年5月25日 (火) 17:25 (UTC)[返信]

場合によって、訓読み漢字が多少混じるのが、本来の日本語の特徴です。あえてややこしいものを多用するべきではありませんが、日本語版は広く受け入れられる自然な日本語で書くべきであって、許容範囲のぶれは許容されるべきであって、多くの日本人が違和感を感じるルールや、外国人のために配慮するためのルールを制定するのは誤りでしょう。ドイツ語版で長い合成単語には、外国人のために間に+をつけていきましょうとか、なるべく中性名詞に置き換えるように表現しましょうみたいな議論です。 第一主旨を理解してもらうために、音読み漢字とはこうで、訓読み漢字とはこうですみたいなところから解説が必要な、そんなルールは守られないだろうし、作るべきはないでしょう。--58.85.24.91 2010年5月30日 (日) 23:34 (UTC)[返信]

コメント 私思う、正しい日本語が機械翻訳に通る。正解。 I think, correct through Japanese machine translation. Right.私は、機械翻訳を通してマシンに正しい日本語を介して理解すると思う。かしこまりました。 I think, Understand through machine translation is correct to machine thru the japanese language. All right.--基 建吉(MOTOI Kenkichi) 2010年6月5日 (土) 05:05 (UTC)[返信]

極端に言えば、こういうことになります。両方とも冒頭の文章を改変したもので、できる限り訓読みをひらがなにしています。

  1. 最近、わたしは高島俊男氏の『漢字と日本人』や中西進氏の『ひらがなでよめばわかる日本語の不思議』を読了して訓読みの滑稽さに注意を喚起され、やまとことばは可能な限度においてひらがなで表記するようにしているのですが、Wikipediaにおいても訓読みを使用しない表記法が許容されるべきではないでしょうか。日本語を学習する外国人の理解が容易になるという利点があると思料します。
  2. ちかごろ、わたしは高島俊男氏の『漢字と日本人』や中西進氏の『ひらがなでよめばわかる日本語の不思議』をよんで訓よみのおかしさに気がついて、やまとことばはできるだけひらがなであらわすようにしているのですが、Wikipediaにおいても訓よみをつかわないあらわしかたがゆるされるべきではないでしょうか。日本語をまなぶよそのくにのかたがたがわかりやすいというメリットがあるとおもいます。

私としては、文言を弄られたくないからいずれかの表記を採用する、というのは耐え難いです。よく考えれば、著者の「たか」「しま」氏や「なか」「にし」氏の苗字、いずれも訓読みですね。--Tsop9 2010年6月6日 (日) 19:49 (UTC)[返信]

もう何か本人、自分で出した議論無視して、勝手にやってるみたいだから、これ見てるかどうかもわからないけど、ライターで「覗ける」を「のぞける」にしてしまったせいで「除ける」とも読めるようになってしまってますね。混同されやすい言葉は別だとはおしゃってますが、提唱者本人がやってしまうんなら、もうダメでしょう。実利が無いのに実害はあるってのはね。--EULE 2010年6月10日 (木) 13:49 (UTC)[返信]

ほったらかしにしてすみません。文脈をたどるとか別の単語(「覗ける」→「みられる(見られる)」)にするとかすれば、やまとことばをひらがな表記にしても混同することはすくないとおもいます。とにかく、いまの日本語は漢字の表意性にたよりすぎているような気がします。また、「ノート」を「トーク」に変更する際の議論でも、「日本語を大事にすべきだ」と主張する人が「会話」という漢語をだしてきているのはどうかとおもいました。日本語を大事にしろというならば「はなしあう」の方がいいはずです。Wikipediaはなにかを主張する場ではないことは承知していますが。--Rikumio 2010年6月11日 (金) 02:47 (UTC)[返信]
書き換えれば良いかも知れませんが、書き換えてませんでしたよね?混同してしまう可能性があるって書き換えた時に思わなかったですよね?問題はそこです。今更「こうすればよかった」じゃないんです。あとは全く関係の無い話なので特に言うことは無いです。--EULE 2010年6月11日 (金) 03:27 (UTC)[返信]