Wikipedia:井戸端/subj/学士論文を利用することと個人名(プライバシー)との兼ね合いについて

学士論文を利用することと個人名(プライバシー)との兼ね合いについて[編集]

ある記事の編集に際し、出典として学士論文の利用を考えています。

先行議論としてWikipedia:井戸端/subj/卒業論文は信頼できる情報源として使用可能かがあります。ここでは、強固な否定的見解から、使用可能という見解までいろいろな方の見解が示されていますが、一般論としての一律に可否を判断するよりは、個々の事案に即して判断するべきという見解が多いように思います。

この観点に関しては、私は今回は文系的な分野(具体的には地理・歴史)でのベーシックな情報についての出典として用いようとしており、高度な学説を裏付けるような使い方ではないので、OKだろうと考えています。

ところが実際の使用にあたって、その学士論文の執筆者の名前を記載することに対し、個人情報との兼ね合いで迷いがあります。その論文は国立大学のある研究室のHPで公開されている論文で、本文や紹介ページでは個人名が当然記載されています。

国立大が一般に公開している情報とはいえ、博士・修士でさえない学士の氏名を書くことには躊躇があります。また、URLそのものが個人名(英字化されていますが)を含むもので、個人名を書かなくてもリンクを貼っただけでそれと判ってしまいます。論文へのリンクが並んでいる研究室のURLまでに留めれば、個人名を書くこと自体は避けられるのですが・・・。

ご意見をお聞かせください。--柒月例祭会話2014年9月1日 (月) 05:18 (UTC)[返信]

コメント 井戸端での先行議論に首を突っ込んだIPです。直接の回答ではなくて恐縮ですが、著者名を記載するかどうか以前に、卒論は雑誌やその他の書籍などで公表されたもののみOK、というのが私の意見です。要は、一般の本・雑誌の著者と同じ扱いです。卒論は一概には言えませんが、ぶっちゃけゼミ論に毛が生えたようなものです(量は多いですが質的に)。研究室のHPのみで公表されている卒論は、個人サイトの記事と同じです。ウィキペディアの出典として使うのは不適と考えます。著者の名前を記載するかどうか躊躇されている辺りで、すでに御自身でも不適との認識があるわけです。書籍等で公表された卒論ならば、その様な躊躇も必要ないわけです。--123.220.9.32 2014年9月1日 (月) 07:56 (UTC)[返信]
信頼性については以前書いたので省略します。こちらの事情として、WP:VWP:RSは著者自身の性質にも左右されますから、使うなら名前を出すべきです。学生側としても、Wikipedia とは言え参照されれば自分の名前で著作物を公表することの意味を実感するはずで、教育上好ましいでしょう。むしろ内容だけ貰って名前を伏せるのだとしたら、著作者の権利を侵害することになると思います。真っ当な文化的活動を匿名化することは、個人情報保護の理念ではありません。- NEON会話2014年9月1日 (月) 08:25 (UTC)[返信]
仮に出典として用いるのであれば著者名を出すことを躊躇ってはいけないでしょう。しかし、厳格な審査を経て合格が認められ、国会図書館にも所蔵され、研究者としての集大成(かつての文系分野)あるいは名刺(理系分野、現在の文系分野)とも言える博士論文ならともかく、信頼性という点(特に卒論の審査は甘い、または形式的な審査だけで実態は素通しに近いおそれがあります)でも著者のプライバシー(学部卒業のために書いているのであって、自分の名のもとにその内容を世に広めようという意思は薄い)という点でも修士論文・卒業論文を出典として用いることは投稿論文という形になりにくい文系分野でもなるべく避けるべきではないでしょうか。特に、今回は「文系的な分野(具体的には地理・歴史)でのベーシックな情報についての出典として用いよう」とのことですので、学部生向け程度の専門書でも十分に代用が期待できるかと思います。--Claw of Slime会話2014年9月1日 (月) 09:11 (UTC)[返信]
利用者:NEONさんのご説明で尽きていると考えます。また、Claw of slimeさんと重なりますが、基本的な概念の説明であればなおのこと、卒論ではなく、専門書なり専門事辞典を情報源とするべきでしょう。
著作者の権利についてはおそらく「氏名表示権」が関係します。著作者にはどんな権利がある?公益社団法人著作権情報センター)に掲載されている説明(著作権→著作人格権→氏名表示権)によれば、著作者(=学士取得者)は自分の著作物(=卒論)に「著作者名を表示するかしないか、するとすれば、実名か変名かを決めることができる権利」を持っているとあります。実態としては大学のいうままなのでしょうけれど、氏名表示(=著作者名として実名を表示している状態)があるにもかかわらず氏名を伏せることは、権利侵害を構成する恐れがあるのではないでしょうか。
一言付け加えるなら、実名であれ筆名であれ「著作者名の無い(伏せられた)論文」というのは語義矛盾であって、怪文書と変わりありません。むしろ暗黙のうちに信頼が置けないという仄めかしをしてしまうという意味で、著作者への尊重を欠くことになるのではないかとも思われます。--ikedat76会話2014年9月1日 (月) 13:56 (UTC)[返信]
コメント 卒業論文がWikipediaの出典として適切か否かは別の話になるので省略しますが、もし敢えて出典として使うのであれば著者を伏せるべきではなく、もし著者を示すことに躊躇されるのでしたらその論文は使うべきではない、と思います。--Penn Station (talk) 2014年9月1日 (月) 14:19 (UTC)[返信]
コメント 皆さん(書籍等に未掲載の)卒論が出典に使えると決まってないのに、「出典として使ったら」の場合の話をあれこれしても始まりません。卒論は使えるとのコンセンサスがありましたっけ?それとも、「まだガイドライン等で決まってないので、それまでは個人的要望としてだけど、なるべくなら使わないでね。でも、どうしても使いたいのなら、ちゃんと著者名は明記してね。」とおっしゃっているのでしょうか。「出典として使えない」とも決まってないというならば、この場はそういう結論で仕方ないですが。--123.220.9.32 2014年9月1日 (月) 15:23 (UTC)[返信]
皆さんの発言を拾ってみると、「卒論は雑誌やその他の書籍などで公表されたもののみOK」(IP:123.220.9.32会話 / 投稿記録 / 記録 / Whoisさん)「仮に出典として用いるのであれば」「専門書でも十分に代用が期待できる」(利用者:Claw of Slimeさん)「従って個人的には卒論を信頼できる情報源とは考えません」(差分利用者:NEONさん)「もし敢えて出典として使うのであれば」(利用者:Penn Stationさん)「卒論ではなく、専門書なり専門事辞典を情報源とするべき」(利用者:ikedat76)などとあります。原則と例外という関係で言えば、出典として採用「できない」が原則で、例外的に「できる」場合が無い訳ではない…というところで共通認識はとれているのではないでしょうか。--ikedat76会話) 2014年9月1日 (月) 16:30 (UTC)(敬称略)さない。--ikedat76会話2014年9月3日 (水) 15:07 (UTC)[返信]
いろいろなご意見、ご指導ありがとうございます。
まず、固有の問題としては、代替できる出典がみつかり、件の学士論文(卒論)を使う必要性がなくなりましたので、問題は解消しました。
一般論として「学士論文が出典として使えるか」と「実名を出すか」は別の問題であり、皆さんの見解はそれぞれなるほどと思います。ikedat76さんがまとめてくださったように、皆様の見解は概ね一方向に収束しているように感じました。
皆様ありがとうございました。感謝します。--柒月例祭会話2014年9月2日 (火) 06:03 (UTC)[返信]
コメント なるほど。そうやって肝心な部分を抜き出してみると、コンセンサスはかなり取れていると言えるようです。卒論は、相当数の参考文献・一次資料がキチンと脚注式で出典づけられているので、データベースとしてはかなり重宝します。--123.220.9.32 2014年9月3日 (水) 03:24 (UTC)[返信]

データベース(文献目録)として使える位しっかりした卒論ばかりご覧になってこられたのだとすると、それは幸運なことだと思います。そうした卒論もあるのは確かでしょうが、「原則と例外」の原則、または期待値の問題として、卒論がそんなにしっかり書かれているものだとは言うのは難しいでしょう。最大限緩く表現しても「取り扱い注意」(失礼)というところなのではないでしょうか。--ikedat76会話2014年9月3日 (水) 15:07 (UTC)[返信]