Wikipedia:井戸端/subj/バンドの記事内容

バンド記事について[編集]

最近よくインディーズバンドの記事が作成され、よく削除依頼にて削除議論がなされてますが、その依頼理由を読むと著名性が無いし、宣伝的であるから削除、これはわかるんですが、「メンバー・ディスコグラフィ・活動履歴を除くと何も残らない」との理由に疑問を感じます。バンド記事を残したいがための否定的な疑問とかでは無くて、「じゃあそいつらを除いたら何が残るの?」ってな疑問です。 逆にそいつら以外を書くとなると独自研究や宣伝的な記述がなされ百科事典的な記事とならないような気がするんですがどうなんでしょうか。--突撃ひとり(利用者/会話/履歴 2007年12月4日 (火) 01:58 (UTC)[返信]

「メンバー・ディスコグラフィ・活動履歴を除くと何も残らない」のはイコール著名性がない、という意味だと思います。
なにか百科事典に残すだけの意義があるものだけを書く。その基準のひとつが「著名性」です。著名性があれば、インディーズであっても記録的な売り上げがあったとか、なんか特別な活動をして記事になったとか、そういった記述内容があるはずです。そうではなく、ただとあるバンドがありますよという事実だけしか記述されていない記事であれば、それは著名性がないと判断されるから削除でいいんじゃないの? ……と、そういう主張の過程をすっ飛ばして断片的に書いたのが「メンバー・ディスコグラフィ・活動履歴を除くと何も残らない」という言葉だと思います。違ったらごめんなさい。--なのこえ 2007年12月4日 (火) 02:12 (UTC)[返信]
メンバー・ディスコグラフィ・活動履歴というのはどちらかといえば単なるデータベース的情報に近いと思うので、それが記事のメインになってしまうのは好ましくないのだと思います。もちろん独自研究で適当な事を書き込むのもよくないですので、「削除すべき」というよりも、「単独記事としてはふさわしくない」ということになるでしょうか。もっとたくさん書くことが出てきてから新規作成しても全然遅くはないわけですし。--KM-0901 2007年12月4日 (火) 02:28 (UTC)[返信]
インディーズバンドの乱造は、何ヶ月前かに、孤立ページを見ていて、目に付いた感はあるので削除依頼自体は「来るべきときが来たか」と感じています。 個人的な基準ですがバンドに限らず(例えば企業も含まれます)活動性のあるものは、著名活動があれば当然2つ3つぐらい評価されている出典があってしかるべきだと思います。 ベストなのは、評価の中でも社会影響について触れられているものです(影響範囲自体は地方限定でも構わないでしょう)。 複数の情報源により評価が与えられているのであれば、それだけ一般に注目される可能性が高いので紙媒体ではないwikipediaにおいて削除されるべきではないとも考えます。 否定的な立場から言わせてもらえば「そういった情報がポンと出てこない」のであれば、やはり著名活動に懐疑的になります。--秋月 智絵沙(Chiether) 2007年12月4日 (火) 02:22 (UTC)[返信]
ここ数年顕著なのですが、もはやオリコンは評価基準として業界の一部分しか見えなくなっていると感じています。メジャーの流通網を使わなくてもインディーズの流通網だけで食べていける状況がCD以外にダウンロード販売の経路が確立された事によって加速されたわけですが、いわゆるビジュアル系であるとかヒップホップ系などはインディーズの中である種閉じた世界で産業として成り立ってしまっているように見えます。この閉じた世界で産業として成り立っているというのが厄介で・・おたく向け産業であるとか同人系であるとかと似たような状況なのかもしれません。一般の人は知らない、でも書店とかにいくとその世界の商品が置いてある、そして一般の人は評価基準が判らない、でも専門分野の雑誌にはインタビューなど掲載されているから検証可能性はあるだろう、私はそういうスタンスを取っています。--Lcs 2007年12月4日 (火) 02:39 (UTC)[返信]
Wikipedia:ウィキプロジェクト 音楽/著名性のガイドラインが参考になるかと思われます。人物などの著名性は翻訳中のようですが。--かんな文移 2007年12月4日 (火) 04:22 (UTC)[返信]
質問者の方に同感。「メンバー・ディスコグラフィ・活動履歴を除くと何も残らない」ってのは、ほとんどのミュージシャンが該当すると思います。TVやラジオへの出演とかも活動履歴だし、全国コンサートやアルバム作成も、活動履歴でしょう。各種賞の受賞経歴や売り上げ実績だって、所詮は活動履歴の範疇(活動結果)。それ以外で特筆すべき記述が必要なのは、新たなジャンルを切り開いたとか音楽界に大きな影響を与えたような少数の方々だけです。結局、ヒット曲があるとか、メジャーか否かとか、インディーズでも活動期間が長くて固定ファンが多いとか、って所詮は知名度の点が判断基準になっているだけのように思えます(それが著名性なのかも)。「メンバー・ディスコグラフィ・活動履歴を除くと何も残らない」から削除ってのは、何か勘違いしているとしか思えない。--カイの迷宮 2007年12月4日 (火) 06:39 (UTC)[返信]
管理者は方針に則って行動しています。そのような理由で記事が削除されることはありえませんので安心して平気でしょう。管理者の皆さんは利用者に信任されてこその存在ですから、方針に存在しない理由による依頼に応じて削除するほど馬鹿ではありません。単なる杞憂だと思います。万が一手違いなどが生じて削除されても、他の管理者が対応するのを待つか、もしくは復帰依頼をすれば解決です。--After 0 2007年12月4日 (火) 08:25 (UTC)[返信]

百科事典の記事というのは、普通、その項目と関係ない人が、よくわからんから調べると思うのですね。ある分野に強い関心がある読者については、専門の事典を見るとか、もっと個別の情報を探るとかいうこともできるし、詳細な情報やトリビアはファンサイトでやればいい。日本のバンド名鑑を百科事典の内部で作るかどうかというのは、やったらダメというものではないけれど、無条件にオッケーとなるようなものではないと思います。

これが、たとえばどこかの国の記事のように、百科事典として必要と思われる項目であれば、人口や使用言語など、基本的な情報だけでも十分有用と考えられるでしょう。しかし、バンドの場合は、とりたてて重要ではないバンドの項目までも網羅的に掲載するという欲求は、百科事典が抱えるべきものではないと思います。

ウィキペディアは重要なものから書く必要はありませんが、知っていることを投げ込む場所ではなくて、百科事典を作るという目的があります。自分が百科事典を編纂するとして、どういうバンドを入れるか、というのを考えてみるのもいいかもしれません。ひとつの思考実験です。「科学」だとか「アリストテレス」といった項目は当然含みますし、作家や映画監督やスポーツ選手も、そのバンドと同程度の基準で選ばれるべきでしょう。ビートルズあたりからはじめて、どういうバンドが、世界各国の音楽史の中で重要な働きをして、あるいは人気を集めたり、高い評価を得たり、後に影響を及ぼしたのかを、いくらか調べて、列挙していくとします。自分が書こうとしているバンドは、何番目か、何十万番目か、何百万番目か、想像してみてください。百科事典にそのバンドの項目を採用すべきとするには、それなりの理由が記事の中で示される必要があるでしょう。

メンバーやディスコグラフィや活動履歴というのは、すごくシンプルな事実の列挙に過ぎないです。どんなバンドでも相応の記述ができるものでもあります。また、それを知ったところで、求める情報ではないことも多いです。80年代の若者文化や音楽産業の変化の文脈でザ・スターリンの名前が出てきて調べてみるような場合は、三代目のベーシストの名前がどうであれ、関係ないですね。もちろん、その項目に近いところに関心がある人にとっては有用ですし、基本的な情報として必要ですけれど。で、百科事典としては、その項目が、世界というか社会というか、そういうもののなかで、どういう位置づけになるかという記述が必要となってくる。「およげ!たいやきくん」なんかは明らかに社会現象ですが、そうでなくとも、たとえば、ビジュアル系と称される一群のバンドがあって、それはシーンとしてどう変化して、そのなかで「このバンド」は、どういう位置づけにあってどういう役割を果たした、というようなことを意識していれば、「このバンド」の項目で何らかの記述はできるはずですし、ビジュアル系の外側にいる人たちにとっても、有用だと思うのです。そういう位置づけが不可能なら、百科事典の記事としてはあまり望まれていないと考えられると思います。

「メンバー・ディスコグラフィ・活動履歴を除くと何も残らない」から削除するというのは、必ずしも妥当ではないですが、「メンバー・ディスコグラフィ・活動履歴を除くと何も書けない」なら、そのバンドが百科事典の項目として必要かどうかには疑問に思います。書くべきことはあるはずなんだけど、どう書いたらいいのかわからない、ということであれば、そこで必要なのは、どうすればいいかを考えること、でしょう。

学術的な研究は少ないですが、たくさんの雑誌を集め、インタビューやレコード評の記述を丁寧に扱うことで、宣伝でも独自研究でもない、百科事典らしい記述はできるはずです。というか、サブカル/ポピュラー文化のことを百科事典に掲載するというのは、そういう労力をかけていかなければならないもので、その作業の膨大さや、扱う上で必要なマナーの学際性から、なかなかちゃんとした専門事典が登場しない。あるアイドルの音源や掲載誌を網羅的に収集し、コンサートを観るというのは、そうとうの労力と費用を必要としますが、「追っかけ」と呼ばれる人たちは、そういう経験や資料を既に持っていたりします。どこかの研究者が資料を集め参与観察することと、そういう資料を使って、出典を明示しながら客観的に記述することを比べれば、後者のほうが実現可能性が高そうではないか、と考えれば、執筆に求められるいくつかの重要な方針によって方法論を示し、たくさんの人の手と、音楽への愛情で、ポピュラー文化における学術的な研究の基礎資料となるような水準のものを完成させるというのは、ウィキペディアが担いうる非常に重要な役割だと思うのです。

逆に言えば、いちおう学術的な研究の蓄積のある分野、たとえばクラシック音楽と比べても、バンド記事を書くのは難しいのです。なので、それなりの覚悟を持って臨んでほしい。すぐには書けないとしても。ぼくが書いたチンドン屋は、バンド記事ではないですが、大衆文化を書ききることを示したという自負があります。ZEROさんの資料を集め検証可能性を綿密に保持していく姿勢や、漫画ですが加筆コンクールで評価を得た黒田硫黄での資料の使い方なども参考になるはずです。--Ks aka 98 2007年12月4日 (火) 10:11 (UTC)[返信]

いわゆるバンド記事でも秀逸な記事に選出されたGARNET CROWのような記事もあります。メンバーの使用楽器や、バンドの創作過程、音楽性など、丹念に雑誌媒体等で出典を探し出してしっかり書けば、「実績」意外でも百科事典としての体裁を伴って記述できることはいくらでもあるという、いい例証ではないでしょうか。GARNET CROWの水準は難しいとしても、(百科事典としての拘束のない)ファンサイトのノリで、悪い意味で適当な編集がなされすぎているのではありませんか。そうした水準の記事の作成・維持がごく限られたユーザの個人的努力に余りにも依存しているのも問題でしょう。以上の様な意味で、「実績以外に何を書くのか」という開き直り(問題提起ではなく)は、ウィキペディアがあくまでも百科事典であること、そして百科事典記事を書くというのが決して楽な作業ではないというところを閑却しているという点で怠惰のそしりを免れないように思われます。手厳しいようですが...--ikedat76 2007年12月5日 (水) 14:53 (UTC)[返信]
難しく考えることはありません。信頼できる情報源から情報を拾い集め、集めた情報の中からウィキペディア(百科辞典)に記載する必要があると思われる情報を探す。その結果、記載する必要がある情報の量が記事としての成立する量であれば記事として成立し、そうでなければ削除の対象になり得るということです。私は必ずしも著名性が必要だとは思いませんが、私の言う「記載する必要があると思われる情報」の量を確保するためには、結果としてある程度の著名性は必要になってきます。--Asuli 2007年12月7日 (金) 13:38 (UTC)[返信]