Wikipedia:井戸端/subj/テレビ番組のスタッフやキャストクレジットは信頼性に乏しい情報源か

テレビ番組のスタッフやキャストクレジットは信頼性に乏しい情報源か[編集]

利用者‐会話:220.221.249.249の「信頼性に乏しい情報源について」にて私はぬまんとGowithitjamさんとで意見が分かれたのですが、テレビ番組においてのエンディングなどで流れるスタッフロール、キャストクレジットなどは信頼性の乏しいものと言えるのでしょうか?例えば「テレビでこう言っていた」とか不明瞭極まりないものは論外ですが、スタッフなどはっきりと明記されているものは解釈の分かれ様のないものです。発端となった議論のような役者の出演歴なども同様です。こういった明らかに問題ないようなものは一次資料として使用しても問題ないのではないでしょうか?--はぬまん会話2015年8月6日 (木) 15:34 (UTC)[返信]

参考までに過去の議論を幾つかピックアップし貼っておきます。
これらの議論によれば映像ソフト化を待つべきとの意見が多く見受けられます。またプロジェクト:放送番組#スタッフには『スタッフは、出版物や放送局のホームページなど検証可能性を満たす資料に基づいて書きましょう。』とあり、映像ソフト化されてないテレビ番組を出典とするのは不適切であると考えます。私からは以上です。
--Gowithitjam会話
コメント信頼性よりも検証可能性の問題なのではないでしょうか。
スタッフロール等の一次資料としての信頼性(?)は番組自体に関するWP:SELFSOURCEだと考えますので、はぬまん氏の主張(=信頼性に問題は無い)を支持します。ですが過去の特定時点でのみ確認可能であるものは即ちWP:Vを満たさないと考えますので、Gowithitjam氏の主張(=出典として不適切)を支持します。そして既に元々の議論に於いて、Gowithitjam氏ははぬまん氏の主張を認めていますし、はぬまん氏もGowithitjam氏の主張を認めていますので、既に議論は尽きています。なのでこのまま続けたところで永遠に結論の出ない水掛け論にしかなりません。
本件問題は元々の議論に於いて、Gowithitjam氏がその主張を行なうにあたって根拠として信頼性(検証可能性ではなく)を取り上げたことに起因した「誤解」が議論を錯綜させ話をややこしくしているのだと考えます。元々の議論からの私見では、この「誤解」とは「建設的な編集をする意思が無い『他者の編集に難癖付けて回ること』を目的とした利用者」である「疑惑」なのではないかと思います。つまりはぬまん氏の主張は「信頼性だとか一次資料だとか」ではなく、「より建設的な編集をするように心掛けてもらえないか」ということだと推測します。
この推測が正しいとしてもなお、このまま水掛け論を続けたところで余程上手に「議論誘導」しなければ「より建設的な編集」の話にはならないと思います。そして事情を知らない第三者を巻き込むわけですから、「議論誘導」に失敗すればはぬまん氏が「話を逸らして議論擾乱/個人攻撃している」と受け取られることにさえなりかねません。その場合には本件井戸端を立ち上げたのがはぬまん氏であることも心象を悪くする一因となることでしょう。
クローズするか、議題を再考した方が良いのではないかと考えます。
世界最狂の魔法使いCray-G会話2015年8月7日 (金) 01:58 (UTC)[返信]
コメントありがとうございます。井戸端で提案したのは話の趣旨が個人間のやり取りのみに終始するものではないなと思いまして、Gowithitjamさんも結論が出ている話題ではないというお話でしたので直接会話ページでするよりも他の利用者の方からもご意見がいただければと考えたからでした。検証可能性は検証性の難度は問題としないため(何十年も前の希少本でも公に出版されていれば認められるように)テレビだからとだけで検証性がないというのにはやや疑問を感じていたのもあります。
Cray-Gさんご指摘の「疑惑」も否定いたしません。正直、結論が出ていないことを持ち出して指摘しているようにも見受けられましたし、話をしていても結論が出ていないから以上の反論がなされているように思えませんでしたので、ではGowithitjamさんご自身のお考えはというのがはぐらかされているようにも感じられました。ただ、個人に対して攻撃する意図はありませんし会話ページではその調子で終始して平行線で終わってしまうことが予想されましたので第3者を交えての議論ができればと井戸端を場に選びました。--はぬまん会話2015年8月7日 (金) 12:19 (UTC)[返信]
返信 そのご質問の回答については「Wikipedia:信頼できる情報源#概要」の2段落目に明記があります。
  • 伝統的な印刷物やオンライン上の活字資料に限らず、放送番組のコンテンツを含め、「音声、動画、マルチメディアといった素材も、評判の良い第三者によって記録され、放送、配布、もしくはアーカイブされたものであれば、信頼できる情報源として必要な基準を満たしているかもしれません。」と説明されています。
  • ただし無条件ではなく、「活字の情報源と同様に、信頼できる第三者によって著され、そして出典として適切に用いられなければなりません。さらに、当該メディアと同一内容の記録物が存在していることも必要です。」との条件が付されています。
  • さらに、「同一内容の記録物」の条件について、「著作権を侵害していないこと、他の編集者が内容を確認する際に利用可能であること」との注意書きが脚注で補足してあります。これはすなわち、テレビ番組の録画内容を非合法にYoutubeなどへアップロードして第三者に資料確認の手段を提供したり、第三者が合法に試聴することのできない個人用途の録画物を所持しているというだけでは「信頼できる情報源」の条件は満たさない(編集者本人が事後確認する録画物すら無く放送で見たことを記憶しているというだけの情報はもちろん論外)ということになります。
ですので、前述のような信頼性に乏しい情報源に依拠した編集を安易に行う編集者に注意を促し、事後対処の手間を減らすという判断は十分理にかなっていると思います。
では、そのような信頼できる情報源とはいえないソース、すなわち信頼性に乏しい情報源を記事に使用することが絶対にNGかといえばそれはまた別問題で、基本方針のひとつである「Wikipedia:検証可能性#信頼性に乏しい情報源」には「もしもその情報が重要で残す値打ちがあるものならば、それをくだんの情報源によるものと明示してください。」とあります。ここでの質問の内容からは若干外れますが、その点についての判断は注意を要すると思います。--ディー・エム会話2015年8月7日 (金) 15:00 (UTC)[返信]
基本的に、第三者による出典があった方が良いのは重々承知しております。ただ今回の疑問点としては、スタッフクレジットなどは信頼できる第三者による保証が必要となるようなものなのでしょうか?という点でもあります。ある番組に対してこれこれこういう番組であった、と記述するのに対しては確かに記述者の解釈なども混ざりがちですし信頼できる第三者というのは必要不可欠といえます。しかし、クレジットなどは誰がどう読もうが書かれているまま、解釈によって分かれるようなものではありません。wikipediaにおける記述において、なぜ検証可能性が必要となるのか、なぜ信頼のおける情報源でなければならないのか、そういった点で考えていくと、クレジットなどは一概に否定されるものではないように思えるのです。例えとして正しいのか分かりませんが、明記されている本の著者名などが解釈が別れて検証を必要とすることがありえないようなものです。--はぬまん会話2015年8月7日 (金) 18:18 (UTC)[返信]

WP:TVWATCHを知っていればテレビの画像自体出典として使えないのはわかるとは思いますが…。それはそうと声優やアニメの記事ではWP:TVWATCHWP:RADIOLISTENに抵触している記述が余りにも多過ぎます。Wikipediaは百科事典であってまとめサイトやファンサイトでもありません。--210.235.75.82 2015年8月7日 (金) 23:28 (UTC)[返信]

ウィキペディアで「信頼性に乏しい情報源」と言った場合の「信頼性」は、一般的な日本語における「信頼性」とはやや異なる使い方がされています。一般的な意味では確かにはぬまんさんの言う通りスタッフクレジットは信頼できる情報でしょうが、放送されたテレビ番組はDVDなどでメディア化されていたり、テレビ番組アーカイブなどでいつでも再試聴が可能でなければ、他の人が検証できないのでウィキペディアでいうところの「信頼性に乏しい」ことになります。--アルビレオ会話2015年8月8日 (土) 00:51 (UTC)[返信]

結局のところ世界最狂の魔法使いCray-Gさんのご意見に尽きるのではないでしょうか? 虚偽の恐れは少なく正確であろうという意味では信頼性の問題は少ないが、アーカイブでもされない限り後日の第三者による確認が難しいと言う点で検証可能性に難ありで、出典としては(一律不可ではないにせよ)弱い、より確実な出典を求められた場合は抗弁しきれないのではないかと。--240F:65:BD61:1:1456:AA18:E147:5458 2015年8月8日 (土) 14:19 (UTC)[返信]

スタッフのクレジットなどが、単なる「記事の容量稼ぎ」になってるという問題もあるような気がします。ちょうど今年の正月特番について削除依頼を提出していますが、「公式サイトに載っていないスタッフの情報」などは番組(録画含む)を見て書いたとしか考えられない訳で。--KAMUI会話2015年8月8日 (土) 21:53 (UTC)[返信]

様々なご意見ありがとうございます。基本的には検証が可能であるかないかがまず前提となり、その上で信頼されるものかどうかという段階に移るものだとご意見から思いました。この議題に対して色々考えました、虚偽であった場合の検証方法は確かにない、が検証性というのは基本的に性善説で成り立っており書籍でもかなり危ういような虚偽の記載なども現実に可能となってしまっている、とか、映像のアーカイブ化されているものなどはそれをどのように示せば認められるのだろう?だとか、単純に検証性がないからダメ、で終わってしまうには考えられることが色々あったためこのような明らかに閉めのタイミングになってしまうコメントをするのに迷いました。検証可能性自体は議論の余地がなく合意で覆されるものではない、というのは理解していましたし自分でそう指摘したような覚えもあります。理解しているものと感覚的な違和感の誤差は否めなかったのですが、皆さんのご意見をいただけたことでいくらか違和感は解消されたように思います。

と言いつつ別の話をしてしまいややみっともない限りで恐縮ですが。KAMUIさんの仰る問題は、信頼される情報か記事に対し書くに値する情報かはまた別の問題なのではないでしょうか?ソフト化しているようなものでも書くことはできますが書く必要があるかはまた別(アニメで原画マン一人一人書いてたらきりがないわけで)の話となり、その辺は特筆性の問題になるのではないかと。--はぬまん会話2015年8月9日 (日) 15:36 (UTC)[返信]