Wikipedia:コメント依頼/Dumpty-Humpty

これまでの経緯[編集]

Dumpty-Humptyさんは、わたしのNHKの不祥事についての編集で、事実とちがう虚偽の主張をし、さらに投稿ブロックを請求しました。 これはちょっと常軌を逸しています。[1][2]この編集でわかるとおり、わたしは理由をきちんと書いており、しかも編集したのは一回だけです。また、編集理由も明確でDumpty-Humptyさんも一部部分的に受け入れています。このような、編集に対して、「無言で、または議論を軽視して、他者編集を差し戻したり」などという、反論は当たらないし、またこの行為自体が虚偽に当たると考えます。

彼はこのケースでもそうですが、公的団体の不祥事について彼自身の独自の主張による記載制限をしたいようです。しかし、その是非は置いて置いても、彼の主張に対する賛同を求めもしないうちに独自の、編集方針で編集し、それに反するものをブロック依頼するなどちょっと常軌を逸しています。このような、破壊的な行為はちょっと軽視できません。

また、彼の主張である、 「そもそも企業や団体の不祥事を扱う記事項目の作成や、不祥事に便乗した関係者個人(とおぼしき個人)を扱う記事項目の作成は、禁止ないし制限してもよい気がします。主観的批判の記述は多く、これと対峙ないし対立する主張の記述は少なくなってしまいますから。」という主張も、不祥事の記述の禁止ないし制限というかなり過激な制限を明確な理由もなく導入しようとするもので、恣意性を免れないと思います。

いずれにしても、彼の主張がいわゆるある種の権力の不当な擁護につながらないように、注視する必要があると思います。水平線80 2008年9月11日 (木) 19:36 (UTC)[返信]

被依頼者のコメント[編集]

(コメント)名指しされましたDumpty-Humptyです。本コメント依頼の依頼者は3日間投稿ブロックされました。といっても、私の警告や報告が通ったからではありません。そもそも事の発端は、依頼者の一連の編集行為とそれに対する多数の編集者の反応、それらを受けた私の警告や報告であり、決して個人対個人の問題ではありません。
この依頼者は私に逆警告し、私を名指しした対抗報告を出し、さらに、私が「投稿ブロック」依頼サプページを作成しないうちに、これを請求したと称して、対抗して投稿ブロック依頼と本コメント依頼を提出したものです。本依頼のような、報復を動機または目的とする、対象者やその行動に関する罵詈雑言に満ちた依頼は、対象者がだれであっても認められないものと考えます。
「NHKの不祥事」については記事項目とノートの履歴から、私が一部除去の編集時に編集要約で「ノート参照」と明示し、約15分後にノートに理由等を記述したが、この依頼者がそれに応じないまま差し戻したものであることがわかります。
この依頼者は私が後にこの差し戻しを受け入れたと主張しますが、当の私が受け入れていないわけですから、これは身勝手な解釈です。100%取り消せば編集合戦になっていたでしょう。それを避けようとしたに過ぎません。内容以前に差し戻し行為自体を私は受認していませんから、内容が一部残ったからどうこう、という依頼人の主張は反論を形成しません。
なお、この依頼者は出典を明示しないまま、第三者の会話ページにおける私の発言から切り取っておりますが、著作者として私はこうした転載は許可しておりません。転載された私の主張は考案段階のもので、出典において私がこの案をしかるべきところに提出する可能性を示している段階です。当然ですが、依頼人が主張する、この主張に基づいて私が編集を強行したというような事実はありません。
--Dumpty-Humpty 2008年9月12日 (金) 13:28 (UTC)[返信]

コメント[編集]

上記コメントにおいて、被依頼者は、「私が「投稿ブロック」依頼サプページを作成しないうちに、これを請求したと称して、対抗して投稿ブロック依頼と本コメント依頼を提出したものです。」との発言をしていますが、では、依頼者の投稿ブロック依頼以前に行われたこの編集[3]において、投稿ブロック依頼の手続きに着手している事実をどう説明しますか?  この時点で「投稿ブロックを請求した」と見るのも致し方ないかと思います。まあ、報復ブロック依頼を行った依頼者の行為はいただけませんけれどね。--森藍亭 2008年9月13日 (土) 02:42 (UTC)[返信]
(コメント)NHKの不祥事だけを見る限り、確かにノートでの対話を行なわなかったこと、差し戻す行為は好ましいことではありませんが、無言で差し戻すならまだしも、要約欄で理由の明示はされているわけですから、果たして依頼者がそこまで不誠実だったか、と疑問に思います。被依頼者は当該文章の削除[4]を行なう前に削除内容について、ノートに提言(のち期間を置き削除)を行なっていれば、おそらく問題は起こらなかったのではないでしょうか?
しかし、警告を返す、報復ブロック依頼など依頼者の行動に問題があるのは確かです。とにかく依頼者は場を広げずにノート:NHKの不祥事で返答を待っていた方がよかったのではないでしょうか?そもそもの問題は議論で解決できる話と依頼者も[5]認識している事柄ですので。
ただし、被依頼者がこのNHKの不祥事以外のことを含めてのブロック議論などに入るのは別問題ですので、それはまた違った場の話となります。--雨降らせて地固める 2008年9月13日 (土) 13:26 (UTC)[返信]
森藍亭さんが「どう説明しますか」と問うておられますが、私は正確に“「投稿ブロック」依頼サプページを作成しないうちに”と書いています。手続き着手後だったからこそこの表現になったものですから、編集要約で「矛盾あり」と断言しておられますが、失礼ですよ。
こちらが手続き着手後で請求前の段階、依頼文をまったく提出していない段階で、本件依頼者はこれを請求したものとして対抗投稿ブロック依頼やコメント依頼で応じています。問題を議論で解決しようと本心から願う者がとる行動とは思えませんが。
本件依頼者は、私が一利用者会話ページで書いたに過ぎない意見であり、しかも直後で私がこの意見につき議論をおこす意向を示唆しているところ、この意見の文言だけを無断で出典明示なく切り張りした上に、私がこの意見に基づき編集を強行しているなどという、事実無根かつ出典と正反対の方向に悪用しています。
本件依頼が対話や議論を重視する目的による正常な依頼ではないことは明白だと考えます。
そろそろ本件依頼の投稿ブロックが明ける見込みですが、私はこのたびのような無益なやりとりを続けるつもりはありません。
本件依頼者が帰ってくるなら、これまで多数の編集者から悪意に解釈されることが多かった編集行為につき、もし充分な善意があったのなら、その釈明をすることもできるでしょう。
自分が一番偉いとでも勘違いしているような一連の反発行為で、結局、本件依頼者は心の狭さを露呈したように思います。帰ってくるなら、他者の存在を尊重する謙虚な態度になっていただきたいものです。
--Dumpty-Humpty 2008年9月14日 (日) 18:08 (UTC)[返信]
(コメント)上記の通り、果たしてそこまで問題だったのか疑問が生じる行動を荒らしとして警告し、その流れのまま、ブロック議論に入ろうとすれば誰でもとは申しませんが、冷静さを欠くのは想像がつくことです。
だから、依頼者の行動を正当化するというわけではありません。依頼者の行動は非常に問題はありますが、被依頼者はいきなりブロック依頼ではなく、コメント依頼で依頼者の行為についての意見を乞う、などの行動を取ったほうがよろしかったのでは?
私も本来は指摘出来るほど経験を積んでいませんので気分を害しましたら、謝罪いたします。ですが上記の通り、削除前にノートへ、ブロック依頼ではなくコメント依頼など、被依頼者にもこのように手段がある以上、一段階クッションをおく必要があったのでは、と考えます。--雨降らせて地固める 2008年9月15日 (月) 04:51 (UTC)[返信]
  • (コメント)こちらにはいらっしゃらないようですが、ブロック依頼で話す内容ではないのでこちらに書きたいと思います。被依頼者はWikipedia:投稿ブロック依頼/Dumpty-Humptyにおいて、『警告と荒らし報告をきっかけに同君が冷静さを失って猛反発』したと書かれていますが、上記の通り、そもそもがはたしてあれは荒らしといえるほどの行動だったのかが疑問であります。この騒動はWP:ATWVをもう一度被依頼者が見て、もう一度対話という手段を取っていれば起こらなかったことではないでしょうか。また、『自分が投稿ブロック依頼手続きに着手したことを一度も否定しておらず』とのことですが、その前の発言である『投稿ブロック請求も実質的には行っていません』という発言は取りかたを変えれば、ブロック請求を行なっていないという発言にも取れます。さて、被依頼者は『ウィキペディアのコミュニティにおける協調の確保』のためにはどうしたらよかったのかを主題においていると見ました。その上で、上記の私の発言は協調の確保としてこのようにしたらよかったのでは、と記述しております。「どっちもどっちであった」という結論では円満にはならないのでしょうか?一部被依頼者の発言を引用させていただきました。--雨降らせて地固める 2008年9月17日 (水) 09:50 (UTC)[返信]
  • 依頼者による冷静さを失った行動も問題の無いものではありません。しかしながら、被依頼者Dumpty-Humptyさんによる「荒らし報告」への報告は、適切なものではないはずです。この「荒らし報告」で対象としているのは明白な破壊行為であって、議論がかみ合わない相手を黙らせる手段ではありません。未だにDumpty-Humptyさんはこの自身による「荒らし報告」について問題のある行為だと思っている様子は見受けられず、深い懸念を抱かざるを得ないでしょう。まず十分な対話の試みがなされ、コメント依頼を経て、それでも解決しない場合は「ブロック依頼」となるべきで、このプロセスの過程に「荒らし報告」が利用されることはあり得ません。「荒らし報告」、尚早すぎる「ブロック依頼」未遂、そして削除依頼まで提出する被依頼者の行動は管理者資源の浪費でしかありません。現状、きわめて少ない管理者資源を疲弊させるこのような行為は厳に謹んでいただきたいと思います。--Peccafly 2008年9月19日 (金) 09:03 (UTC)[返信]
  • (コメント)どうもこう、私がこのたびの警告や荒らし報告等を正当化しているという、誤った前提で議論を進めようとされているが、Peccaflyさんは荒らし報告・対抗報告をあわせて削除されたご本人であり、そのことに、私は会話ページで御礼申し上げている。結果を見れば、荒らし報告が最善の手段でなかったことは言うまでもない。「荒らし報告で対象としている明白な破壊行為にあたるかどうか」は個人で解釈や判断に差があるが、このたびは他管理人から安易な報告とする指摘、複数ウィキペディアンから報告の必要性への疑義が挙がっており、私はそれらを受け止めているし、反論しておらず、する気も無い。何を根拠に「議論がかみ合わない相手を黙らせる手段」などと一方的に悪意に解釈されたか不明だが、個人を排斥する趣旨ではまったく無かったことを、私の一連の発言から、管理者なら読み取って戴きたいものである。そもそも、荒らし報告など、心から喜び勇んでするものではないと考えている。(実際、このたびが2件目。1件目は報告前に対象者が無期限ブロックされた。)WP:ATWVは草案段階だからか、雨降らせて地固めるさんの言及で初めて知った。このたび私が指摘した水平線80さんの編集は「荒らしの定義が次のようなものを含んでいないことに注意してください。」の5項目に該当しないが、今後は、こうした草案があることも踏まえ、同様な状況に遭遇しても即、荒らし報告に移ることがないよう、判断のセンスを研ぎ澄ましたいと思っている。--Dumpty-Humpty 2008年9月19日 (金) 13:31 (UTC)[返信]
    • (コメント)WP:-(にこのような言葉があります。
その一方で、百科事典を改良するためになされた誠実な努力が感じられるような編集は、見当違いや不適切なものでも、荒らしとは捉えません。一見すると不誠実に見える編集であっても、議論の余地なく明白に不誠実であると見なされない限り、Wikipediaでは荒らしとは判断しません。例えば、一度の独断的な編集は、荒らしではありません――それはただ役立たないだけであり、単純に取り除かれるか、書き直されるべきものです。
決して、Dumpty-Humpty氏の行為が悪かったなどと私から発言することはありません。氏の行為は『個人を排斥する趣旨ではまったく無かった』という発言もあるとおり、NHKの不祥事などをよりよくしようとした結果ゆえの行動だったと思います。ですが、他人を荒らしと呼ぶ行為は相手を恐縮もしくは激情を刺激し、結果的に相手を黙らせることに繋がることもまた事実です。Peccafly氏もまたこのことを言っているだけに過ぎないのではないかと思います。「反省しろ」と言っているわけではなく、荒らしとして報告する以上、WP:-(#関連項目などを見て、荒らしかどうかを思案した上で報告することが好ましかったのではないでしょうか。また、利用者‐会話:水平線80#非協調的編集行為に対する警告水平線80氏のコメントを見れば、対話という手段がまだ取れることに気付けたはずです。WP:AGFを読まずとも、依頼者もまたNHKの不祥事をよりよくしようとしたはずであるという視点ではじめることが必要だったと考えます。--雨降らせて地固める 2008年9月20日 (土) 09:41 (UTC)[返信]

Dumpty-Humptyさんは、他人に無駄な労力を強いることに対する抵抗感はないのでしょうか。Wikipedia:進行中の荒らし行為を読めば、「攻撃のような意図的な荒らしに関してだけ、このページに警告を加えてください。」と書いてあることはお分かりいただけるかと思います。つまり、記事の白紙化だとか、侮辱的な投稿などですね。対話困難などの、「意図的な荒らし」とは性質の異なるものについては、コメント依頼なり投稿ブロック依頼なり、それぞれ別の場が容易されています。「私の一連の発言から、管理者なら読み取って戴きたいものである。」などと偉そうにふんぞりかえった物言いをしておいでですが、今回の不用意な「荒らし報告」や「削除依頼」によって(未遂におわった「投稿ブロック依頼」についても、決して適切なタイミングではなかったと確信しています)、多くの執筆者・管理者が「一連の発言から読み取」るような無駄な労力を強いられることに対して、何ら反省が見られない点は憂慮しております。管理者は用務員のようなものですが、ロボットでも奴隷でもありませんし、管理者以外にも多くの方が要らぬ労力を裂いている状況です。生身の人間たちがDumpty-Humptyさんのために働かされていることを、お忘れではないでしょうか。--Peccafly 2008年9月20日 (土) 10:32 (UTC)[返信]

  • (コメント1)「投稿ブロック未遂」について、被依頼者は、「こちらが手続き着手後で請求前の段階、依頼文をまったく提出していない段階で、本件依頼者はこれを請求したものとして対抗投稿ブロック依頼やコメント依頼で応じています。」と発言されています。手続きを始めた時点で請求を開始したとみなすのは不自然なのでしょうか? 相手が冷静さを欠いた状況下において投稿ブロック依頼の手続きを開始すれば、たとえ、手続きを終了していなくても、投稿ブロック請求を行ったと早合点してしまうのも致し方ないかと思います。その可能性はお考えにならなかったのでしょうか? 
  • (コメント2)依頼者の行った投稿ブロック依頼は「報復である」との判断をされています。つまり、当該投稿ブロック依頼は、被依頼者の行った依頼を前提にしているという認識が存在するのです。この点から見ても、依頼請求手続きと依頼請求を別とする被依頼者の考え方には疑問を覚えます。一連の被依頼者の言動及び判断は(当該投稿ブロック依頼等において、各人にコメントをつけた件も含む)は、被依頼者の意図――誤解のないよう簡明に表明せず、「読み取る」労力を強いる時点で、私は問題視しますが――は別として、不用意かつ不適切なものだったと考えます。--森藍亭 2008年9月20日 (土) 13:48 (UTC)[返信]
  • (コメント) Dumpty-Humptyさんご自身が「決して個人対個人の問題ではありません」「個人を排斥する趣旨ではまったく無かったこと」とおっしゃるのでしたら、水平線80さんも個人的な報復や悪意から特定個人を排斥しようとしたのではなく、ウィキペディア日本語版の正常な運営を意図したのだと、Dumpty-Humptyさんもお考えになられれば良いのではなかろうかと思います。--mizusumashi(みずすまし) 2008年9月20日 (土) 16:29 (UTC)[返信]
    • mizusumashiさんのこの指摘は頭に素直にすーっと入ってきたのですが、このたびの対象者さん(本件依頼者)の一連の行為をそのように解釈するには、よほど寛大、そうですね、ことわざに仏の顔も三度と言いますが、五度でも十度でも赦す仏さんみたいな寛大さが必要かと思われます。もっとも、ウィキペディアにおいて、だれかを赦してやるなどという高飛車な発想は私にはありませんが。コミュニティまで含めた当事者に配慮した穏当な指摘、ありがとうございます。--Dumpty-Humpty 2008年9月20日 (土) 20:34 (UTC)[返信]
  • 森藍亭さんが問うておられる、なぜ区別して考えるか、は後述します。このたびは、こちらは個人攻撃や個人排斥が趣意ではなく協調確保を目的に掲げていても、相手は攻撃とみなして反撃することがある、という事例ですね。違う手段をとるべきだったかと、客観的に今、振り返ることもできますが、正直実のところ、いくつか手段を検討しました。たとえば、本件依頼者は過去に私以外からコメント依頼を出されており、そのコメント依頼なる手段の存在は私も知っていましたが、対象者(本件依頼者)を針のムシロに座らせるような(ある意味、対象者にとって荒らし報告や投稿ブロック依頼よりも酷かもしれない)個人的印象があり、また、投稿ブロック依頼については、投稿ブロックの方針の改定案が試行中である関係で、私が指摘しようとする対象者の一連の行為がブロック理由とならない可能性も考えられました。いずれの依頼についても、出すべきかどうか、出すならどのような内容がよいか、躊躇・逡巡しており、「迷う場合は、これまでさまざまな議論を見て判断してきた管理者に」という考えもあって、荒らし報告を選んだものです。相手があることで難しいですが、今後、同様な状況で迷った場合には、時間をおいて再考するなどして、無益な反発を受けるだけの結果に至らぬように終わらぬよう留意したいと思います。雨降らせて地固めるさんに紹介されて初めて知ったWP:ATWV(Wikipedia:安易に荒らしと呼ばない)のページ下方、目立たないところに関連項目としてWikipedia:個人攻撃はしないにリンクしている右に、「荒らし呼ばわりを攻撃と取る人もいます。」という文言があります。このたび手段の検討にあたり、この文言を読んでいれば、選択や実行タイミングが違っていたかもしれません。このWP:ATWVが、草案段階だからかWikipedia:荒らしにおける扱いが小さく、ページ下方、これまた目立たないところに関連項目としてリンクを張っているだけである点が惜しまれます。もちろん、こうした再考を促す文言が目立たなかったから私の判断が正しかった、などと主張する意図はまったくありませんが。--Dumpty-Humpty 2008年9月20日 (土) 20:34 (UTC)--一部文言書き換え。--Dumpty-Humpty 2008年9月21日 (日) 16:27 (UTC)[返信]
  • 特定編集者の行為に善意が充分認められるなら、私は警告等の行為はしません。雨降らせて地固めるさんが言及されている、当方警告に対する対象者のコメントから、対象者が「指摘された一連の編集行為を善意で行ったもので、対話による解決を心から望んでいた」可能性を認めることには無理があります。私が警告等に至った理由は「一度の独断的な編集」などではありません。他記事において無言編集を行った事例や、議論無視を理由に私以外の者から編集を取り消された事例を指摘されても、対象者はそれを無視して、当人と私しか関与していない一記事の事例だけを挙げて反発しています。その記事「NHKの不祥事」の事例にしても、編集要約にあるノートへの誘導を対象者が見落としたか無視して、差し戻したものです。(ノートに対象者が反論を書き込んだのは警告後。反論するなら差し戻す前に行い、返信を待つべきでした。)私からの「投稿ブロック依頼」に実質が無かったことをあえて指摘したので、森藍亭さんが疑問を呈されていますが、「相手はこう主張した」とする根拠に実質が無いものまで含んで実質が無いものまで根拠に挙げて「相手はこう主張したから」と反発することは、だれから何をどう指摘されようと意に染まない声には耳を傾けない姿勢を示すものです。他者からの指摘をすべて受け止めた上で反発している姿勢とは違います。実質の有無で区別して考える理由はここにあります。対象者は、これまで複数の編集者に懸念を示されてきた事実から逃避し、「相手がウソの指摘をした」と主張して個人対個人の構図を偽装しようとしたわけです。そうした一連の反発につき、その責任を私が対応手段を誤ったことに負わせようとする主張は失当ですが、百歩譲って、もし私の手段の選択や実行タイミングが異なれば、対象者はこうした態度に出ることは無く冷静に指摘に応じていたのなら、悔やまれることです。--Dumpty-Humpty 2008年9月20日 (土) 20:34 (UTC)--一部文言書き換え。--Dumpty-Humpty 2008年9月21日 (日) 16:27 (UTC)[返信]
  • 管理者は管理者として個人的見解を述べること自体に慎重であるべきだと私は考えます。ウィキペディアにはたとえば、管理者でも本人が当該編集に関与している場合、記事に全保護をかけることができない決まりがありますね。なぜか。管理者は中立に徹することが期待されるからです。生身の人間は単純なプログラムで動くひと昔前のロボットとは異なり、同様な状況に毎回、同様な判断を下すとは限らず、その判断が結果的に最善であるとも限りません。批判であれ絶賛であれ、対象がだれであれ、管理者という立場を前面に出すなら、個人的見解の表明は必要最低限にすべきであり、その意味において管理者はたとえ管理事務で疲れていても、言論の自由はある程度、制限される立場であると、私は考えます。--Dumpty-Humpty 2008年9月20日 (土) 20:34 (UTC)[返信]
  • 突然失礼致します。水平線80さんとのお話については他の方がご指摘されていますので、私からはDumpty-Humptyさんの振る舞いについて第三者の立場より気になったことを書きます。全般にわたり拝読させて頂いたのですが、とにかく今は落ち着かれることをお勧めいたします。もし「私は冷静です」ということでしたら、僭越ながら申し上げます。「とてもそんな風には見えません」と。
  • ブロック依頼、及び当ページでの度重なるコメントの記述、管理者伝言板、削除依頼での貴殿の立ち振る舞いは、率直に言いまして、正直目に余るものと写りました。貴殿が意図したことか否かは分かりませんが、貴殿にとって決して利になるような振る舞いにはなっていないと思います。もちろんこの意見を持って水平線80さんに問題がなかったとは言いませんが、Peccaflyさんの仰るとおり、ある程度の自制はされるべきと思います(発言をするな、とは申しませんし、私にその権限はありません)。
  • また、管理者の見解を述べることの是非についてですが、これはケースバイケースでしょう。管理者だって、管理者である以前にウィキペディアの参加者の一員です。もちろん、管理者に中立性が求められるというご意見はごもっともですが、だからと言って、言論の自由が制限されるべきとのご意見はいささか強引に写ります。管理者の皆さんの多くはブロック依頼などにおいて、配慮の上で行動されています(自分が票を投じた依頼の処理を行わない、当事者になっている依頼についてはよほどのことがない限り賛否を表明しない、など)。全てのケースにおいて精査したわけではありませんので例外はあるでしょうが、私が見た限りおおむね、こういった配慮は行われていると思料します。Dumpty-Humptyさんは、こういった現状を鑑みた上で上記のようなご発言をされているのでしょうか。--ブースカ(talk) 2008年9月24日 (水) 02:39 (UTC)[返信]
  • 管理者依頼は管理者に負荷をかける行為であり、その不適正な乱発は管理者として困る、と、管理者をする立場から苦言を申し上げたことに対して、「私の一連の発言から、管理者なら読み取って戴きたいものである。」、「その意味において管理者はたとえ管理事務で疲れていても、言論の自由はある程度、制限される立場であると、私は考えます。」と応じられるDumpty-Humptyさんの態度は甚だ理解に苦しみます。管理者とは何かについて、大きな誤解を持っていると考えざるを得ません。ここで「管理者」を、たとえば「フランスに関連する執筆者」に置き換えて考えてみてください。「フランス関連記事ではこういう決まりになっている。こういうことは迷惑なので止めてほしい。」という苦言に対して「俺の一連の発言から読み取れ。」「フランス関係執筆者は黙っていろ。」ではまったくお話しになりませんね。管理者がいかなる特権も権威もない、ある特定作業を担わされているだけの一般執筆者である以上、「フランス関連の執筆者」に対しておかしいとみられる態度と、「管理者」に対しておかしいと見られる態度は過不足なく同じものです。--Peccafly 2008年9月25日 (木) 16:46 (UTC)[返信]

本件は終結しました(2年強前の話ではありますが)--113.197.140.200 2011年3月31日 (木) 08:32 (UTC)[返信]