プロジェクト‐ノート:漫画雑誌/連載作品の一覧

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。


連載作品の一覧

一部の漫画雑誌記事で連載作品のデータ部分が表化されているものがありますが、あれはいかがなものでしょうか。

例を出せば週刊少年ジャンプ連載作品の一覧とかゲッサンになるんですが、番号が無意味(連載開始順ですらない)、読み仮名が無意味(各記事でやるべきこと)、連載中[2009年x月現在。]が脚注を増やすだけで無意味(週刊少年サンデー等のような方式で十分)。なにより、全体的に複雑になりすぎて通常利用者が手を出し辛くなっている。記事全体の容量も無意味に増えている。

以上の問題点から、表化の廃止を提案します。この手の編集をしている人がこのプロジェクトの主導者なので一応ここで提案。--119.150.8.2 2009年6月17日 (水) 09:05 (UTC)[返信]

(コメント)上記の記事拝見しましたが、確かに見づらく、無駄に容量を増やしているように思います。前々から思っていたことなのですが、小学館漫画賞の記事も読みにくく、編集しづらいと感じています。表化についてこちらも合わせて議論をお願いしたいです。--Camelia 2009年6月17日 (水) 09:26 (UTC)[返信]
ます表を採用している目的は、ソート可能とすることにより、データを客観化する事にあります。「作品順で並べるのか良いか?」・「開始順で並べるのか良いか?」・「作者順で並べるのか良いか?」というのは読者がどのような情報を求めているかによって異なり、一つのデータ集を多角的に読者に提示するためのテーブル化です。ただの羅列では、表示順が固定され、「執筆者に取って良いもの」を読者に強制する事となります。英語版でもen:List of series run in Weekly Shōnen Jump等で採用されいますし(そもそもとして、どの記事であったかは失念致しましたが英語版での記述法を私が輸入し、日本語に対応させた物です)、一覧データの扱い方としてはかなり一般的な物かと。以下個別問題に対する返答です。
番号が無意味
無意味ではありません。とデータの総量を示すためとソートを元に戻すための通し番号です。原則として連載開始順であり、同時の場合は五十音順としています。
読み仮名が無意味
無意味ではありません。ソートを正しく行なうための物であり、これがなければ日本語ではテーブル化する意味がありません。表計算ソフトの様に非表示にできるのであればより良いとは思いますが。
連載中[2009年x月現在。]が脚注を増やすだけで無意味
無意味ではありません。草案ではありますが百科事典として非常に重要な内容ですので、Wikipedia:すぐに古くなる表現は使わないをご覧下さい。
全体的に複雑になりすぎて通常利用者が手を出し辛くなっている。
記事のあり方としては執筆者の利便よりも読者の利便を追求すべきであり、上記理由により表を採用しています。編集の仕方が分からないのであれば、ノートでお知らせ頂ければ対応致しますし、コメントアウトで雛形を用意する事により追加は容易にしています。
記事全体の容量も無意味に増えている。
上記理由により無意味ではありません。必要があるから容量を使用しています。
小学館漫画賞についてはPJ:漫画雑誌の範疇からは外れますし、根本的にテーブルを採用する理由が異なりますので、該当ノートで提案して頂く方が良いように思います。--マクガイア 2009年6月17日 (水) 13:06 (UTC)[返信]

まず前提としてWikipedia:表のガイドラインあたりを読んどいてください。長すぎるの作るなとか他のウィキペディアンにとって記事が編集しにくくなるとかを声を出して。この手の編集をしているのは実質貴方だけ、小学館漫画賞も貴方の編集ですよね?

番号に関しては連載開始順だったら1.1.3.4.5.5.5.8みたいに変則的な数列になるはずでしょう。現状は同時スタートの場合は50音順で並べてるのは分かるけど、これは独自の番号を当ててるようにしか思えない。ソートのために必要な数字というのは分からなくもないけど、僕は表化自体の廃止提案をしているわけで、なんていうか、カレーを食べるのはもう止めようと議論している時に、福神漬けがあるからカレー必要だよ、福神漬けはカレーがなきゃ食べれないんだよって言われてる的な感じ?読み仮名に関してもそう。これらは微妙な感じの「すり替え」。

脚注の件は、週刊少年サンデーのように ××! (○○太郎) 200x年xx号 -  だけで十分だと言ってるのに、何をどう判断したらWikipedia:すぐに古くなる表現は使わないを見ろ!なんて言葉が出てくるの?それはむしろこっちのセリフで、200x年現在みたいな表記がされてる現状の方が問題でしょう。--119.150.8.2 2009年6月17日 (水) 15:54 (UTC)[返信]

当然読んでいますのでご安心を。それらを踏まえた上で、表である事のメリットの方が高いと判断しているから作成しているのです。
「無意味だ」という事を理由とした表の廃止提案を受けまして、「無意味ではない事」を説明して表の廃止理由に反論し、「何故表である必要であるのか」という事を説明しております。あまり良い例えではないですが、例示頂いた形になぞらえるのでしたら、「カレー食べるのなんて馬鹿らしい。カレーを食べるのをもうやめよう。」という提案に対し、「カレーには栄養があるので馬鹿馬鹿しくはない。カレーは美味しいし、食べ続けるべきだ。」と答えているわけでして、何もすり替えは行なっておりません。
小学館漫画賞も私の編集ですが、PJ:漫画雑誌の範疇ではありません。「マクガイアの編集に問題がある」として取り扱いたいのでしたらWikipedia:コメント依頼等をご利用されてはいかがでしょうか。--マクガイア 2009年6月17日 (水) 22:00 (UTC)[返信]
横レス失礼します。ここで2人の方が編集しにくいと感じられているのは事実ですよね。マクガイアさんのように表の作り方を熟知されている方であればなんでもないことなのでしょうけど、初心者の方もたくさん編集されるわけです。それを考えますとハードルが高いように感じます。「編集の仕方が分からないのであれば、ノートでお知らせ頂ければ対応致しますし」とおっしゃっていますが、ノートで質問が必要なほど難しいものでしたら編集をミスして無駄に版を増やしたり、編集そのものをあきらめてしまったりということが出てくるのを危惧します。
読者あっての記事ですから読者の利便性を優先すべきというお考えには賛成します。ただこの表は複雑で、編集に慣れた上級者向けのように感じます。いまさら申し上げるまでもないとは思うのですが、Wikipedia はいくつかのルールを守りさえすればどなたでも編集が可能であり、多くの方によって作り上げられる百科事典で編集者なしには記事が成り立ちません。初心者を排除すべきでないと思います。もっと気軽に編集できたほうがよいのではないでしょうか。
「それらを踏まえた上で、表である事のメリットの方が高いと判断しているから作成しているのです」とはマクガイアさんのお考えですが、編集の難しさを考えますと五十音順のリストでもかまわないのではないでしょうか。漫画作品に限らず、カテゴリでは五十音順でソートされています。読者の利便性にそこまでこだわらなければ五十音順の一覧記事のような形式でも問題はないとわたしは思います。プロジェクト本文などで表の使用を推奨と明記することには賛成できません。--長月みどり 2009年6月19日 (金) 18:38 (UTC)[返信]
まず、「表の使用により編集のハードルが上がる」というデメリットがあるのはまぎれもない事実です。この点は私も表を使用し始めた当初より認識していますので、私自身で提案致しましたWikipedia:ウィキプロジェクト 漫画雑誌#連載作品においても「状況に応じて(ソート可能な)テーブルを活用しても良い。」とあくまでオプション的な位置づけとして提案致しました。またデータが出揃っていない雑誌の場合は、「後から途中への追加」はハードルがかなり高くなるため使うべきではないとも考えていますし、今後においても「PJで推奨」を提案するつもりも全くありません。
しかしこの手の一覧はデータがほとんど動的ではないため、一度揃ってさえしまえば「過去のデータの修正」はほとんど必要がなく、新規追加用の雛形を用意する事によってハードルをかなり下げる事が可能です。実際に週刊少年ジャンプ連載作品の一覧履歴をご覧頂ければお分かり頂けると思うのですが、最近の私の編集は「その時点では不正確となるフライング編集の是正」程度で既に私の手をほとんど離れておりますが、入れ替わりの激しい同誌であっても様々な方の手によって作品の追加や連載終了の更新はコンスタントに行なわれ続けています。こうした現状を踏まえますに、前述のデメリットは「表の使用を禁止にしなければならないほどの大きなデメリット」ではなく、データが出そろった整備可能な記事においてまで使用制限する必要は無いと考えています。
また、一覧という物は比較的安易に手を出される場合も多いのですが、単にデータを追加するだけではなく「揃えたデータをどのような形でより分かり易く提示するか」というある程度高度な判断が必要な物であり、そもそもとして通常の記事に比べてかなりハードルの高い物であると私は認識しています。よってテンプレート等と同様に、「慣れていない方には迂闊に編集に手を出して頂かない方が無難なもの」であり、雛形によって軽減された程度のハードルであればあっても問題はないのではないかとも考えています。
そして何よりも、この手の一覧を表によってソート可能な形で提示する事は、上記の通り読者に取って非常に大きなメリットであると考え、読者のメリットと執筆者のデメリットではよほどの事情がない限り前者を優先すべきであると考えています。
これらを総合的に判断し、「使用には慎重な判断が必要であり推奨はできないが、しっかりとした整備が可能ならばデータが出揃っている物に対しては禁止する必要は無い。」というのが現状における私の立場です。--マクガイア 2009年6月20日 (土) 02:00 (UTC)[返信]
お考えは理解いたしました。マクガイアさんは表のデメリットについてほとんど触れられていなかったようですので、その点コメントさせていただきました。
ひとつお尋ねしますが、Wikipedia:表のガイドライン#非常に長い、または非常に短い一覧に「一覧が非常に長いか、逆にごく簡素な場合には箇条書きを使って下さい。長い一覧は、表の中に書かれると保守が大変になりますし」とあります。この文書はまだ草案で拘束力はないとなっていますが、ここでは長い一覧には表ではなく箇条書きを使用することが推奨されています。週刊少年ジャンプ連載作品の一覧には500以上の作品が並んでいますが、「長い」という言葉には主観も入るとはいえ、500以上というのはさすがに長いように感じます。この文書との関係についてはいかがお考えでしょうか?
マクガイアさんはプロジェクトでの議論において、プロジェクト外のガイドラインを根拠としてご意見を述べられることが多かったように感じていますので、その点から質問させていただきました。--長月みどり 2009年6月20日 (土) 18:46 (UTC)[返信]
まず、『ジャンプ』の一覧が「長い」との判断に対して異論はありません。ただ、ガイドラインにおいて長い一覧を避けるのは「保守が大変になるため」ですので、雛形を使用して保守を容易にする事によりこのガイドラインとの擦り合わせはできていると考えています。私としましてはあくまで推奨対象であるガイドライン(の草案)である事から、字面で守るのではなく、その理由に抵触しないようにと対策をする事によって遵守していたつもりです。
しかし、これがガイドライン軽視であると捉えられる得るのも理解できますし、今にして思えば前もってガイドライン側の方で提案すべき部分があったと思います。これはしっかりと反省すべき点です。
上述のとおり私としては擦り合わせが出来ていると考えていましたが、今回の様なご指摘を受けますと、「ただ長いだけ」で禁止であるように捉え得る現状の文面を改訂する必要がある様に考え始めています(これについては近々提案の予定です)。表が効果的な一覧であれば長いものほど読者にとっては「表で提示される事のメリット」は大きくなりますし、ざっと見た限りですので正確ではないかもしれませんが英語版の秀逸な一覧ではテーブルを使っていない一覧の方が少ないように見受けられます。「長いだけ」で禁止が可能とも取りうる現状は「誰でも編集できる」という手段のために「質量ともに最高の百科事典を創り上げる」という目的を阻害し得る可能性を感じております。--マクガイア 2009年6月21日 (日) 03:20 (UTC)[返信]
お答えどうもありがとうございました。確かに理由に抵触しなければ対象にはならないというお考えは理解できますし、まだ草案の段階で拘束力がないということを考えますと、厳密に守らなければならないというものでもないと思います。しかしながら、今までこのガイドラインを見直すべきだというご意見が出てこなかったことからしますと、「長い一覧は表にすべきではない」につきましては、消極的かもしれませんがおおむね支持されていたとも取れるのではないでしょうか。
ただ、合意は将来にわたって有効というわけではなく、変更も可能ですから、Wikipedia‐ノート:表のガイドラインで提案されるのでしたらそのほうがよろしいかと思います。プロジェクト外のガイドラインを根拠とされたほうが説得力が高まるのではないかということからです。今の文面ではおっしゃるように単に長いというだけで表の使用が非推奨ととれますので、ガイドラインを軽視していると受け取られる可能性があると思います。--長月みどり 2009年6月21日 (日) 18:22 (UTC)[返信]

(報告)上記の通り、Wikipedia‐ノート:表のガイドラインの方にガイドラインの改訂提案を提出させて頂きました。--マクガイア 2009年6月22日 (月) 22:30 (UTC)[返信]

『ジャンプ』と『サンデー』の連載作品一覧の比較

以下の文章は、Wikipedia‐ノート:表のガイドラインにおける週刊少年サンデー連載作品の一覧に対する週刊少年ジャンプ連載作品の一覧のメリットの優位性が分からないとのご指摘に対する返答です。まとめた内容が「表のガイドライン」という一般論にはあまり関係のない、「漫画雑誌の連載作品の一覧」に集中していたため、場所を変えこちらでの返答とさせて頂きました。

週刊少年ジャンプ連載作品の一覧週刊少年サンデー連載作品の一覧等の箇条書きと比較しソート以外でのメリットという事ですが、記事の質に対しては副次的な要素であるサイズ以外において、メリットしかないと私は考えています。

まず、これらの連載作品一覧は現状のガイドライン草案でも表を使うのが良いとしている「データが予め行と列で表せる形式」のデータであり、かつ「多項目に渡る情報の一覧」ですから、「表にするのが最もいいやり方」である典型的なパターンに当てはまります。作品名・作者名・連載開始・連載終了と多項目に渡っているこの手の一覧では、例えソートがなかったとしてもテーブルを使用する事により縦の軸が通り、視認性だけではなくデータの使い勝手も大幅に向上します。

これにソートが加わる事によってデータを多角的に提示する事が可能となり、様々なメリットが出てきます。具体的には

  • デフォルトの順番はあるものの、ソートできる事により執筆者POVを軽減できる。
  • 開始時・終了時のソートを併用する事により、同時期の連載作品や作品の雑誌史的な位置づけを浮き上がらせる事が容易になる。
  • 作品名を五十音順で並べる事により、掲載作品の索引としても使用出来る。
  • 作者名をソートできる事により、雑誌におけるその作者の位置づけを読み取る事が出来るようになる。

といった所でしょうか。なお週刊少年サンデー連載作品の一覧についてですが、私はこの一覧は「百科事典を構成する一覧」としては不十分かつ「このままでは完成し得ない」一覧であると考えています。同一覧は掲載時期が併記されておりさらに一通り作品が揃っているようですので「まだまし」な部類ではありますが、五十音順に固定されていることにより多くのデータが使い勝手の非常に悪い「死に体」になっており、作ること自体が目的化した「単なるデータベース」もしくはせいぜい「連載作品索引」に過ぎないものとなっています。もちろんないよりはあった方が良いですが、雑誌本記事の理解を助けるための子記事としては積極的に機能していません。『ジャンプ』3代目編集長西村繁男氏へのインタビューをまとめた『まんが編集術』でもそうですが、雑誌解説の補助資料としてはその歴史を浮き上がらせる掲載順がもっとも適当な形であると私は考えます。これは賞と雑誌という違いはありますが、賞の解説を行なう漫画賞の記事において年代順のものが作られても五十音順の一覧が作られる事がないと言う点からもご理解頂けるのではないかと思います。雑誌記事で五十音が使われるのは、年代順の一覧はデータが揃い切っていないと作れず、データが揃い切っていない状態からデータの補完を目指す際には都合が良いという一時的な都合のためであって、この手の一覧の完成形とはほど遠いものであると考えています。--マクガイア 2009年6月28日 (日) 07:30 (UTC)[返信]

お答えどうもありがとうございました。両者のメリットとデメリットはよく理解できました。マクガイアさんは以前Wikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト 漫画/過去ログ20060811-20081011#漫画作品カテゴリの見直し提案2においてそれぞれの案のメリットとデメリットを述べられていましたが、今回は同様に一覧に表を使用した場合と箇条書きを使用した場合とを比較して述べられましたので、とてもわかりやすかったです。わたしとしましては特に異論はありません。これまでの議論も含め、わたしとマクガイアさんとの百科事典観(もしくは Wikipedia における編集方針)の違いが現れているのかなと感じています。--長月みどり 2009年6月28日 (日) 19:03 (UTC)[返信]
早い段階でこうした説明をすべきでした。申し訳ございません。 Wikipedia‐ノート:表のガイドラインの繰り返しとなってしまいますが、私も「アクセシビリティを考えなくて良い」とは当然考えてはいないものの、質と両立できない際にどちらを取るかというところでスタンスの違いがあるのだと思います。
Wikipedia‐ノート:表のガイドラインでのご指摘の通り、表を使わない事メリットとしてもう一点「マークアップが簡易になり、編集が簡単になる」というものもありますね。自分でも過去に出していながら忘れていました、すいません。ただこれも記事の質と言う点では副次的なものですし、ジャンプの一覧であれば前述の通り雛形を設ける事によって解決できていると私は考えています。
「何としてもページサイズを軽減しなければならない」という事を客観的なデータなりに基づき提示して頂けるのであれば、私としても表をやめないサイズ軽減方法などの対案を提示する事は考えております(サイズはむしろ増えてしまいますが、データへのアクセシビリティ向上を目指す方法は、近々実際に反映してみようと準備しています。)。ただ、WP日本語版において『ジャンプ』の一覧よりもページサイズが大きい記事が80以上あり、最大の記事と比べれば半分以下であるという状況では(特別:長いページ)、「その大きさだけを理由として何としてもページサイズを軽減しなければならない」とは言い難く、この形である事のメリットを捨ててまでサイズ軽減を考える段階にはないのではないかというのが現状での考えています。こういうデータは「揃っていれば良い」というものではなく、いかに「使える形で提示するか」というのが重要だと思いますので。--マクガイア 2009年7月1日 (水) 22:01 (UTC)[返信]

改めて表使用の是非について

Wikipedia:表のガイドライン側の改訂が済み、「サイズが大きい事」自体は表を廃止する理由とはならなくなりましたので、改めて、問題の確認を。全体としてこれまでの発言と重複した内容となっている事をご了承願います。

「質を低下させずにサイズをより減らす」という提案であれば私も大いに賛同するのですが、表の単純廃止は一覧の質を著しく低下させるという大きなデメリットを伴います(詳細は#『ジャンプ』と『サンデー』の連載作品一覧の比較をご覧下さい)。従ってサイズを理由として表の廃止をルール化したいのであれば、「大きな代償を支払ってまでもサイズを押さえなければならない」ということを、廃止派の方々からしっかりと説明して頂く必要があると考えています。

現時点での私のサイズに対する考えとしましては、

  1. 連載作品一覧の中で最大サイズである週刊少年ジャンプ連載作品の一覧よりも長い記事が90近くある(特別:長いページ
  2. ‎最大サイズである政教分離の歴史はジャンプ一覧のおよそ2倍のサイズがある。さらにノート:政教分離の歴史でも一緒である事のメリットを優先して分割反対意見がついている。

といった状況を踏まえ、確かに大きなサイズではある物の「大きな代償を支払ってまでもサイズを押さえなければならない」という状況とは言い難いと捉えています。

なお、週刊少年ジャンプ連載作品の一覧につきましては、一覧が長くて目的の物を探しにくいと言う点に対する対処としまして、en:List of Nintendo 64 gamesを応用して、目次を作成してみました。--マクガイア 2009年7月13日 (月) 12:31 (UTC)[返信]

初めのほうで、「ます表を採用している目的は、ソート可能とすることにより、データを客観化する事にあります。「作品順で並べるのか良いか?」・「開始順で並べるのか良いか?」・「作者順で並べるのか良いか?」というのは読者がどのような情報を求めているかによって異なり、一つのデータ集を多角的に読者に提示するためのテーブル化です。」
とおっしゃっていますが、Wikipedia:管理者/管理者一覧でもアルファペット順と就任順とで並べ替え合戦のようなことが起き、結局表を使用することで落ち着いています。表の使用によりアルファベット順と就任順のいずれにも容易に並べ替えることが可能となっていて、このような使い方なら便利ですし、並び順に客観性もあって適切な使用法だと個人的には思いました。このことからマクガイアさんのご意見には説得力を感じますし、賛成します。
サイズに関しまして、「週刊少年ジャンプ連載作品の一覧よりも長い記事が90近くある」とのことですが、Wikipedia日本語版の記事の数は先日60万を突破したようです。60万もの記事の中で90位前後というのはかなり上位と言えますし、長すぎるという水準ではないでしょうか。インターネットの環境なども人によって異なりますので、これぐらいのサイズになってきますと無条件で賛成はできないのですが、目次を採用したという点はよかったと思います。
ただ、ジャンプの一覧を例外的なケースと考えてよいかもしれません。全ての漫画関係の表がこれほどまでにサイズが大きくはならないでしょうから、ジャンプの一覧のサイズにあまりこだわることもないのかなとも思っています。--長月みどり 2009年7月13日 (月) 19:11 (UTC)[返信]
ジャンプ一覧が『雑誌一覧』の中でも例外的に長いというのは私も同じように考えています。「週刊」・「40年の歴史」に加え「容赦ない打ち切り」がある事により、同じ週刊で歴史では10年の差がある『サンデー』『マガジン』よりもデータ数が多い状況ですし、これよりも長くなる一覧はおそらくないであろうと思います(『サンデー』は近い長さにはなりそうですが)。あとは短期連載が多い少女漫画誌で網羅しようとするとひょっとしたら長くなるかもしれませんが、この辺は詳しくない物で見当がつきません。
今後としましては、もうしばらく様子を見まして、「テーブルの使用を禁止すべき」とお考えの方から御意見が頂けない様でしたら、本件についてはクローズしたいと思います。なお、以前申し上げた「サイズ抑制案」につきましては、一度他の方の御意見も伺ってみたいところもありますし、一ケ月以内を目標として直接反映されるノート:週刊少年ジャンプ連載作品の一覧の方での提案を考えています。また、『サンデー』『マガジン』『コロコロ』につきましてはデータ自体はほぼ揃っていますので、そのうちテーブル化したいなと考えていますが、仕込みにかなりの時間が必要ながら私のキャパが追いついていない状態ですので、当面は難しそうです。--マクガイア 2009年7月15日 (水) 22:16 (UTC)[返信]
こんにちは。読み仮名になっていない中途半端なソートキーは閲覧者の可読性を下げ、そのデメリットはデータの多角的な提示というメリットを上回るという立場の者です。例えばdisplay:none属性を使ってみたらどうでしょうか。
<span style="font-size:90%;">くしらのたいこ</span><br />[[くじら大悟]]
と、なっている所を、
<span style="font-size:90%;display:none;">くしらのたいこ<br /></span>[[くじら大悟]]
と、したらどうでしょうか。--110.1.191.253 2009年7月16日 (木) 17:48 (UTC)[返信]
非常に良い案であると思います。ただ、少しお尋ねしたい事が。「<span style="font-size:90%;">」と「<br />」を残されているのは環境にこのタグが働かない事を考慮したものという事でしょうか? そうした問題がないのでしたらいっそのこと「<span style="display:none;">くしらのたいこ</span>[[くじら大悟]]」とできると記事サイズの面からも良いように思います。--マクガイア 2009年7月20日 (月) 03:52 (UTC)[返信]
「display:none」が効かない環境向けというのが半分と、マクガイアさんにこだわりがあるかもという気持ちが半分でした。言われてみれば「font-size:90%」は不必要ですね(displayは効かないけどfont-sizeは効くという環境はほとんど無いでしょうから)。ただ「display:none」が効かない環境向けの配慮を全くしないというのはいかがなものかとは思います。例えば括弧をつける「<span style="display:none">(くしらのたいこ)</span>[[くじら大悟]]」、または、せめて空白を空ける「<span style="display:none">くしらのたいこ </span>[[くじら大悟]]」などはどうでしょうか。「display:none」の後ろの「;」は無くても良いようです。--110.1.191.253 2009年7月20日 (月) 06:15 (UTC)[返信]

(インデント戻します)私としてこだわりがあるのは「ソートできる事」でして、仮名はソートのために仕方なく入れていただけのものにすぎません。ソート可能なままで非表示に出来るのであれば願ってもない事です。CSSはほとんど知識がない物でよく分からないのですが、<span>タグ内の<br />は<span>の無効な環境では働くのでしょうか? であれば<span>の無効な環境での視認性を考えますと、<br />を残して「<span style="display:none">くしらのたいこ<br /></span>[[くじら大悟]]」とする方が良い様に思えてきました。前回の発言時には「<span style="font-size:90%;display:none;">くしらのたいこ</span><br />[[くじら大悟]]」と<br />が<span>の外にあるように見間違っておりましたため、「これでは表示できる量は変わらないのでは?」と勘違いしておりました。申し訳ございません。

2009年7月15日 (水) 22:16 (UTC) の私の発言で申し上げていた、「後から提案しようとしてたサイズ制限案」もご提示頂いた方法と組み合わせて有効な方法である様に思いましたので、この場で提案させて頂きまます。私が提案を考えていたのは、ソート用の仮名はあくまでソートに問題なければ良い事から、「ソートに事足りる範囲で文字数を減らし、データ量を圧縮する」という方法です。やってみない事には何とも言えませんが、データ数がかなり多い事から「ちりも積もれば」ということでそこそこの結果が期待できるのではないかと考えています。具体的には以下の2案です。

  1. ソートを数字で代用する
    • 全てを通し番号としてしまうととてつもなくメンテナンスが大変となるため、「あ01」「い01」……とするのが現実的かと。ただこれでも新規追加の度に「あ」といった頭文字の範囲内でのデータの修正が原則として必要であり、メンテナンス性と言う点では劣ります。
  2. ソート用の仮名の文字数を制限する。
    • ソートに事足りる範囲という事で6文字あたりで制限する。サイズ制限と言う点では1案に劣るが、メンテナンス性ではこれまでとほぼ変わらない。ただし文字数を幾つにするかによって、制限数内で区別が出来ない物に文字数を増やすメンテナンスが必要となる。例えば『ジョジョの奇妙な冒険』と『ジョジョの奇妙な冒険 Part6 ストーンオーシャン 』の様な場合に「しよしよのき 」と「しよしよのき6」といった形で対応。なお、6文字としたのは「しようねん」で始まる作品にメンテナンスを不要とするためであり、これも個別対応範囲とするのであれば、4や5辺りまで減らしても良いかもしれません。また逆にメンテナンス性をより重視するという事であれば、サイズ抑制の効果は減りますが10文字あたりにしても良いかもしれません。

御意見よろしく御願い致します。--マクガイア 2009年7月20日 (月) 22:13 (UTC)[返信]

<span>タグ内の<br />は表示されるようです。試しにLynx[1]という古の技を伝えるブラウザで見てみた所、<span style="display:none">タグ内の文字も<br />も表示されました。HTMLブラウザの一般的な実装は「知らないタグは読み飛ばす。ただし知らないタグに挟まれた中身は表示する」が基本だったと思います。ちなみに試して気が付いたのですがLynxでは表の一列が、そのまま普通の一行に展開されます。そのため途中で<br />が入ると行が崩れて見にくかったです。古いブラウザにも優しくという視点から考えると、セル内での改行は使わないほうがいいのかもしれません。en:List of series run in Weekly Shōnen Jumpにて作者欄は「作画/原作」となっており改行が入っておらず、少し見にくいなと思っていたのですが、これは古いブラウザを意識してのことかもしれません。自分がこだわったのは「古いブラウザでソートキーが表示されるのはしかたないとして、とはいえソートキーと作品名または作者名が隙間無くくっつくのはいかがなものか」という点であり、最悪空白一個空けて欲しいと要望したしだいです。どうするかはお任せします。削減案に関しては、どちらにも積極的な異論はありません。どちらかといえば2.が良いだろうなと思います。--110.1.191.253 2009年7月21日 (火) 16:21 (UTC)[返信]
体調を崩していたため返信が遅くなってしまいました。申し訳ございません。了解致しました。来週中にデータ数の少ない『ゲッサン』辺りで試してみまして、問題がなさそうでしたら次の週末を使って『ジャンプ』に反映したいなと考えています。「テーブルタグ非対応の環境までを考えて」となりますとinfoboxなんかも駄目という事になってきますし、そこまでの配慮は多くのユーザに取って飲みやすさと天秤にかけて切り捨てても仕方ないかなと考えています。よって、他の方の異論がないようでしたら「<span style="display:none">くしらのたいこ<br /></span>[[くじら大悟]]」の形で反映したいと思います。
読みがなについては1案ですとメンテナンスのために「分かっている人間の常駐」が必要となってきますし、2案での反映を考えています。ただ、実際どの程度のサイズ抑制が可能であるのかもみたいですし、こちらについてはまた後ほどと考えています。--マクガイア 2009年7月26日 (日) 08:13 (UTC)[返信]
いろいろ意見して申し訳ないのですが、あと二点ほどご相談があります。
まず、一点目ですが、前にも出ている意見ですが、先頭列の数字は要らないのではないでしょうか。元の配列に戻せるためとのご説明でしたが、現状で注釈行(あ行等や、1960年代等)があり元の配列には戻りません(注釈行自体は面白い使い方であり、それ自体には反対ではなく、どちらかといえば賛成の立場です)。また注釈行の存在のせいだと思いますが、数字列でソートを行うと「数字扱い昇順」「数字扱い降順」「文字列扱い昇順」「文字列扱い降順」にてトグルしており、文字列扱い状態では「1,10,100,101,102,...,109,11,...」と並び、意味不明であります。一方、数字列を使わなくとも「作品名昇順」→「年代昇順」とすることで元の配列に戻せます。元の配列に戻す方法が全く無いというのであればいざしらず、二手間かかるとはいえ、ソート付きテーブルの本来の機能で実現できるのであるわけですので、数字列が無いことのデメリットは小さく、それよりは数字列があるがためにメンテナンスがし難いというデメリットのほうが大きいと考えます。
つぎに、二点目ですが、「作者(作画)」列と「原作者など」列は一つの「作者」列にしたほうが良いと思います。現状「原作者など」列は9割がた空欄であり空間を無駄に広げていると思います。(注釈例はしかたがないとしても)このように空欄が多い列ができてしまうということは、WP:TABLEで言う所の「データが予め行と列で表せる形式」とは言い切れないのではないかと思っています。データの多角的な提示という目的は理解しますが、Wikipediaは「既に公表された知識」で、特筆性・重要性のある物を提示する場だと思います。年代順一覧、作品名順一覧、作者別一覧は、探せば「既に公表された知識(=出典)」があるかもしれません。しかしながら「連載作のうち原作者が付いているものを抽出し、それを原作者の名前順でソートした一覧」というものが、それほど世の中でポピュラーな存在としてあるとは思えませんし、世の中でポピュラーでは無いデータ列を、どうしてもWikipedaiで公開しなけらばいけないとは思いません。これらを踏まえて、原作者名でのソートを提供するメリットは、空欄を多く消費するデメリットを下回ると考えます。
上記を両方とも適用しますと、一般的な行では51バイトづつ削減できます。作者欄を統合により新たに増えるであろう「(作画)」や「(原作)」といった記載の追加を考えても、全体としてサイズ削減に効果があると思います。検討いただければ幸いです。--110.1.191.253 2009年7月26日 (日) 19:42 (UTC)[返信]
私としても実験的に試みている面もある記事ですし、こうしたしっかりとした形で御意見を頂けるのは大変ありがたい事です。ただ、今回の2点については、御意見を伺った上でも現状の形を維持した方が良いのではないかなと私は考えます。
先頭の数字については上でも申し上げていますが、「データの総量を示す」という点で重要であると私は考えています。これは冒頭部等で「現在このリストにはxxx個のデータがある」といった形で記述する事も可能ではありますが、これほどの数となってきますと「全てを数えるしか方法がない」というのは正誤の判断が難しい状況となりますし、「間違いがあった時の大変さ」よりも「間違いが見つからない事の大変さ」の方が、メンテナンス性と言う点で大きな問題があると考えています。ソートについては注釈行追加後の確認を怠っていておりました、申し訳ございません。ただ、この点につきましては「001」といった形で数字を修正すれば注釈行のない形でデータ順を元に戻す事が可能となると思います。
原作者列についてですが、梶原一騎武論尊のように原作者として著名な方も(少ないながらも)いらっしゃいますし、そうした方々の作品をまとめられるというのは重要なのではないかなと私は考えています。また、作者列として一つにまとめまるとなりますと奥付表記(多くの場合は原作者・作画者の順)に合わせた順番が自然でしょうし、列が区切られている場合と比べますとソートのために記載順を入れ替えるのは私としては抵抗を感じます。ただ、後者については冒頭部で「ソートの便宜のため」といった注意を書く事で問題はないとは言えるでしょうし、「空白の多いデメリット」が「原作者をソートできるメリット」よりも大きいという考えが一般的であるのであればやむを得ないかもしれません。この点につきましてはもう少し多くの方の御意見を伺いたいというのが現時点での率直な感想です。--マクガイア 2009年7月27日 (月) 11:29 (UTC)[返信]

(報告)取りあえず『ゲッサン』の方で、これまでの議論を反映してみました。この週末でジャンプの側も反映できればと考えています。--マクガイア 2009年8月1日 (土) 01:48 (UTC)[返信]

お疲れ様です。ちょっと数点補足させて下さい。
データの総量を示す」点に関しまして(すいません既に出ていた論点であったのに見落としてました)。「データの総量」を示すために数字列を持つことは不要であると思います。まず、「ある雑誌の今迄の連載作品数」といった統計資料を定期的に公表している出典というのは無いのではないかと思います。そういう出典がないのであれば「ある雑誌の今迄の連載作本数」はwikipediaで無理に公表しなければいけない物ではありません(すなわち重要ではない)。また逆に、そのような統計資料の出典があるのであれば、それを出典として「現在までの連載作品数はxxx本である」という記述を行えばよく、数字列を使って検算する必要はないでしょう。
原作者列について、「ある作者が、ある雑誌に連載した作品の一覧を纏めて提示すること」が重要では無いと言っているのではありません。そのような出典は探せばあるでしょう。そうでは無く「ある作者が、ある雑誌に連載した作品の一覧」を「ある雑誌に連載作を持つ原作者順に列挙」する重要性(=ポピュラーな出典)は無いのではないかという事を言っております。すなわち梶原一騎武論尊がジャンプに連載した作品を纏めて見せるのは、それぞれ梶原一騎のページ、武論尊のページで行えば良い話であり、週刊少年ジャンプ連載作品の一覧で、それを行う必要は無いであろうとの意見です。また奥付表記順に関して、その程度の加工は許されるべきだと思います。むしろ、それが許されないのであれば、現状の作画者を前(左)に持ってくる表構成自体が許されなくなるのではと考えます。--110.1.191.253 2009年8月1日 (土) 09:18 (UTC)[返信]
ジャンプの方にもこれまでの議論を反映してみました。
両方に通じる事としまして「資料がないから重要ではない」とは必ずしも言えないのではないでしょうか。もちろんんそういった判断を全否定するつもりはなく、それが独自研究になると言うのであれば話は別ですが、「出典のあるデータ群をどのような形でより分かり易く便利に提示するか」という部分での創意工夫を否定する根拠としては違うと私は考えます。
データの総量については、まず「データ集としての基本事項」であり、そして連載作品数というデータは様々に応用の効く一つの重要なデータであると私は考えています。また通し番号そのものも様々な形で活用できるデータです。
梶原一騎の記事に記載するのは「梶原一騎の作品の中でジャンプに連載されたもの」ですが、一覧に記載されるのは「ジャンプ連載作品の中で、梶原一騎が連載した作品」であり、視点が異なりますので「梶原一騎で行なえば良い」という話であるとは私は考えません。奥付の順番については感覚的な物ですのであまり強く主張するつもりはないのですが、「原作者」と「作画者」として列で区分されている場合と「作者」として総体的に見る場合とではかなり状況が異なると私は感じます。--マクガイア 2009年8月1日 (土) 11:19 (UTC)[返信]
ジャンプ一覧への反映おつかれさまです。
「資料(=それが重要であるという客観的な証拠)が無いけど重要である」というのは執筆者のPOVでしょう。「世にある資料には無い、独創的なデータを示し方」が独自研究の定義に当て嵌まるかはなんともいえませんが、Wikipediaが、そのような「独創的なデータを示し方」の初出のためのサイトとして存在しているかといえば、そうではないと思います。とはいえ「資料が無いようなデータの示し方」だからといって全否定しているわけでもありません。例えば「ある雑誌の連載一覧」において「掲載終了時」にてソートする出典というのはほぼ無いと思っていますが、現状の「掲載終了時」でのソートには異論を唱えていません。それは「リスト形式」であっても「単純な表」であっても「ソート可能な表」であっても、同じくらいの空間を必要とし、ソートさせない事による可読性の向上が見込めないからです。同様に全ての作品に最低一人は存在する作画者でソートさせる事にも異論を出していません。数字列や大部分が空の原作者列により各行が横方向に伸び、結果として「リスト形式」でなら1行で表せたようなデータも無駄に2行に折り返され可読性が低下し、また、ページ全体のバイト数も増やすというデメリットがあるがゆえに、それに比べ「そもそも資料がないのだから重要ではない」と述べているのです。リストにしろ表にしろパッと画面で見て無駄に間延びしないで多くのデータを見れるというのは「分かり易く」「便利」です。これは如何に見やすくするかという創意工夫です。もちろん数字列に関してはメンテナンス性の向上もメリットです。
連載作品数に関しては、出典がないなら、厳密には独自研究だとは思ってます(数えれば分かる(=専門知識がなくとも分別のある大人であれば誰でもその正確性を簡単に検証できる解説)だから独自研究では無いという意味では、独自研究では無いと言えると思いますが、そうであるなら検算用の数字列が必要であるというのは矛盾しています)。
「データの総量がデータ集としての基本事項」とのご意見ですが、例えば英語版の秀逸な一覧でもデータ総量の記載が無いものはいくらでもあります。そもそもウィキペディアは単なる知識ベースではありませんとあり、Wikipediaとは「データ集」を主とするものではありません。単にデータの総量を示すことは重要でないと思います。同様に「連載作品数」「通し番号」も単に「何かの役に立つはず」との理由のみで載せる必要はないと思います。
「梶原一騎の作品の中でジャンプに連載されたもの」と「ジャンプ連載作品の中で、梶原一騎が連載した作品」とが異なる観点であるといえば、そうであろうと思います。その上で、前者は出典が見込める(=重要)が、後者の出典は見込めない(=それほど重要ではない)であろうと申しています。Wikipediaは「考えうる全ての観点を提示する」ものではなく「出典がある観点を、その出典のボリュームに応じて提示する」ものだと考えます。--110.1.191.253 2009年8月2日 (日) 08:16 (UTC)[返信]
まず私は「週刊少年ジャンプへの理解をより深めるために、どのような形でデータを提示すべきか」という観点で表を作成しています。どのようなデータであろうとそれを集めればデータベースであり、それを百科事典にふさわしい「単なるデータベースではないもの」とするには「そのデータベースが百科事典の補助資料としてどのように役に立つのか」という観点が重要であると考えているためです。
またデータというのは基本として、そのデータを目的に向けて加工し解釈して利用する物です。しかし、加工後のデータを掲載する事は独自研究となるためWPでは出来ません。そこでデータ自体には加工をせず、その上で出来得る限り「多面的に読者が加工し易い形」でいかにデータを提示するかというのがWPにおけるデータ記事のあり方であると私は考えています。そしてここでの工夫が通常の記事であれば参考文献を元に自分の文章を構築する部分にあたる物であると捉えています。
これらの観点において、総数が分かる通し番号がある事や原作者でソートできる事は非常に有意義である、と私は考えています。
例えば(他の記事になければ意味はありませんが)総数がある事によって、連載の入れ替わりが早いのか遅いのかという事も容易に分かります。また、通し番号があれば、終了でソートした時の近くの物とのとの数字の差で連載が長かったの短かったのかという事が直感的に分かります。作者でソートした場合にも連載時期の幅が広いのか狭いのかということも掴み易いでしょう。もちろんこれらの情報は開始月等の他のデータを見る事で正確に知る事の出来る物ですが、より直感的に捉えられると言う点で有為な物であると私は考えます。メンテナンス性についてはこれまで問題なく更新が続けられているという実績から問題はないと判断しています。
原作者につきましては「パッと画面で見て無駄に間延びしないで多くのデータを見れる」と言うのももちろん利点ではありますが、私自信はその利点よりも前述の利点の方が高いと考えています。しかし「これらのどちらが便利か」というのは主観による物ですので、「多くの方の御意見を伺いたい」と申し上げました。
独創的という事については私は全くそうは思いません。通し番号については「表計算ソフトのセル番号」と同じ物であると私は考えており、表計算で列や行に通し番号が当たり前に振られているの便利だからです。また、種類の異なるデータ(原作者と作画者)を別の列で扱うというのはデータ処理の基本的な事であり、極めて自然な事であると捉えています。これがその形で提示している出典がないという理由で問題になるのであれば、五十音で連載時期を併記しているリストがないのであれば、五十音順の全ての連載作品一覧は問題があるという事にもなりかねません。
連載作品数については出典なく「連載作品数がxxである」と言う形で書けば独自研究です。これは既存のデータを元に執筆者の解釈が加わっているからです。ですので私は文で説明するのであれば「現在このリストにはxxx個のデータがある」というデータ状況の説明とする形で提案しています。しかし、「連載作品数がxxである」という情報は雑誌理解を深める上で様々な形に応用できる数字であり、それを独自研究にならない形で提示する手段としても通し番号については有益であると考えています。「通し番号自体が独自研究だ」という意見もあるでしょうが、私はそうは捉えていません。これは上述の通り、表計算ソフトのセル番号と同じ物であり数字そのものに意味がある物ではないからです。--マクガイア 2009年8月6日 (木) 14:39 (UTC)[返信]
「単なるデータベースではないもの」とするために「そのデータベースが百科事典の補助資料としてどのように役に立つのか」が重要であるのはそのとおりだと思いますが、その点はウィキペディアは単なる知識ベースではありませんに明確に示されており「百科事典として適切となるよう体系的に整理し、文章による解説をしてください」となっております。しかし「多面的に読者が加工し易い形」で提供されたデータは、「多面的に読者が加工し易い単なるデータベース」にすぎません。ウィキペディアは単なる知識ベースではありませんには「たとえばある駅の記事において定義文とその周辺の施設のリスト、利用客数などの統計のみが書かれているような記事などは歓迎されません」とありますが、「周辺の施設のリスト」や「利用客数などの統計」は「多面的に読者が加工し易い形」で読者に提供されるデータであることは明らかであり、読者はこれらを利用して各種の分析や考察が可能です。「そのような分析・考察(加工後のデータ)は独自研究になるから載せられないが、それに役立つのだから良い」という考え方が正しいのであれば「統計資料や周辺の施設のみで構成される記事」も当然Wikipediaに相応しい記事であるはずですが、明確に「ウィキペディアには要りません」とされています。
「多面的に読者が加工し易い形でいかにデータを提示する」ことを「参考文献を元に自分の文章構築する部分」とするならば「推敲して重要ではない記述を整理し読者に読みやすい形態にする」ことも一般に行われる事です。雑誌の記事に「○○が著述した××という作品はXXXX年XX号からYYYY年YY号まで連載された」という記述があったとして「この××は、原作付きの作品としてはZZ番目のものである」などの記述があれば、それは本当に必要なのかという検討が行われるのは当然でしょう。そこに出典があれば、なるほどその記述は特筆性・重要性があるという話になりますし、また同じく出典があれば、その観点がその雑誌の理解を深めるのに役立つという可能性も示せます。そうでなく、それぞれのWikipedia執筆者が「自分はこの記述が記事の理解を深めると考える」と主張し記載するのであれば、事実であれば何でも記載することが可能ですが、それはウィキペディアは単なる知識ベースではありませんにおいて「また、100%真実だからといって、百科事典の項目に相応しいとは限りません」と否定されています。
「連載の入れ替わりが早いのか遅いのか」は、その雑誌が通常何本の連載を掲載するかというデータと併せなければ有意ではありません。連載期間の長短を一覧として比較する必要があるなら、世の中の連載作一覧にて連載期間が判るようになっているはずであり、その表記方法を参考にすべきでしょう。その最も直感的な方法は「一覧のデータ連載期間を含める」といったやり方であると予想され、「終了時点でソートし、連載開始の通番を利用して長短を比較する」というのは、むしろ非常に迂遠で直感的では無い方法です。
これまで問題なく更新が続けられているからメンテナンス性に問題が無いとは言えないと思います。Wikipediaでは腕ずくで解決しようとしないの考えがあり、問題がある場合に、それを編集によって実証することは推奨されていません。問題がある場合は、ノート等で提案すべきなのです。既に119.150.8.2さんが「通常利用者が手を出し辛くなっている」と指摘し、Cameliaが「編集しづらい」と指摘し長月みどりさんも「複雑で、編集に慣れた上級者向け」と評されています。自分もそう思いますので、既に4人がメンテナンス性に問題があると指摘しているわけです。
「間延びしないで多くのデータを見れる」と言うのと「数字列、原作者ソートのメリット」が主観に違いであることはその通りです。しかしWikipediaでは主観の相違に対しては一般的な対処方法があり、それは出典の有無という客観による判断ですよと申し上げております。
また「原作者ソートの有無」に関しては自分が言い出した話で、自分対マクガイアさんの1対1の意見の相違だと言われれば否定できませんが、「数字列」に関しては(もちろん他の方のご意見を頂くことを望みますが)現状に関して言えば、既に119.150.8.2さん、Cameliaさんが「無意味」「見づらく、無駄に容量を増やしている」と評されており、自分も含めて三人目の意見であり、一方、積極的に「数字列」の必要性を論じているのはマクガイアさんだけであると思います。
「表計算ソフト」に関しまして、まずWikipediaは表計算ソフトではありませんので「表計算ソフトのセル番号と同じ物」であるから必要という意見は成り立たないと思います。加えて、表計算ソフトのセル番号はデータを編集加工する場合は使いますが、結果をプリントアウトするときには使いません。つまり表計算ソフトのセル番号は「メンテナンスのために便利」なのものです。「メンテナンスのために便利」なものを便利だからと加えて、実際のメンテナンス性を下げるのは矛盾しています。加えて「表計算ソフトのセル番号」は「データのソートに追随しない」ものであり、現状の一覧の通し番号とは全く異質なものと思います。
「種類の異なるデータ(原作者と作画者)を別の列で扱うというのはデータ処理の基本的な事であり極めて自然」とありますが、これらは著作者として纏めることが可能なデータであり、体系的に整理する場合にこれらを纏めるのは自然でしょう。もちろん種類の異なるデータでもありますが、その理由により列を分けるとするなら、同じ理由で「作画者と原作者と原案提供者と監修者とSTORY PLANNERと脚本提供者とストーリー提供者」も別の列に分けるべきとなり不自然であると考えます。
「出典がないという理由で問題になるのであれば、五十音で連載時期を併記しているリストがないのであれば、五十音順の全ての連載作品一覧は問題があるという事にもなりかねません」とのことですがWikipediaでは出典が無い記述に対し、出典を要求しなければいけないという規則はありません。だれも出典を要求しなければ記述は残りますし、それはその記述が常識的かつ疑義の余地が無かったということでしょう。
また、漫画雑誌の連載作品一覧を作るうえでさまざまな作り方・観点があり、それらを組合すことになんら異論を唱えていません。例えばこれは著者・連載開始号・連載終了号を伴った連載一覧であり、年代順にソートされています。雑誌が無くなり消えてしまいましたがヤングサンデーの一覧(googleのキャッシュ)も同様の形式です。また一方、このように作品名で50音順に並べた作品一覧もあります。これらを組み合わせると「作品名・著者名・連載開始号・連載終了号を伴い、作品名または連載開始号でソートした一覧」には出典があり、特筆性/重要性があるということが客観的に判ります。また列を考える上で「作品名・著者名・連載開始号・連載終了号」を別の列としている表があり「既に分かれてしまっている列(著者名・連載終了号)」を個別にソートすることにも異論を唱えていません(これは表として別列にするならば、ソートしてもしなくても画面上の空間を消費する量が変わらないからです)。それに対し原作者のある作品を抽出しソートする一覧とする出典はないのではないかと考え、重要性がないであろうと申しています。
また独自研究を避けるために「現在このリストにはxxx個のデータがあるというデータ状況」を示すというのであれば、それは本来記述できないことを断言しないことにより無理に記載しているのであり言葉を濁さないに反すると思います。また既に申しましたが現在一覧に記載されている通し番号とセル番号は異質なものと思います。--110.1.191.253 2009年8月12日 (水) 10:40 (UTC)[返信]

(インデント戻します)返答が遅くなってしまい申し訳ございません。まず、どんな一覧であろうとそれ単独であれば「単なるデータベース」です。しかし本件の場合であれば「『週刊少年ジャンプ』を理解する上で重要である」という前提でリストがあるわけで、その時点で「単なるデータベース」ではありません。その上で「多面的に読者が加工し易い形」にすべきだと言っているのです。リストそのものが不要という判断のもと「単なるデータベース」とされている物と比べるのはナンセンスであるように思います(蛇足ながら、「利用客数等の統計」がここに入ってるのは不適切だと私は思います。しばらく改訂提案等を行なう予定はありませんが……)。

推敲の結果として、記述量が増えることもあれば減る事もあります。普通の文章であれば出典を元に自分でその内容を理解して噛み砕き、必要に応じて記述を増やしたり減らしたりするわけです。データ自体に出典のある物にたいして、その提示にあたって必要に応じて記述を増やしているのです。そこに出典の有無は関係ありません。出典にある内容(この場合はデータ)を保持しているのであれば、文体(この場合はデータの提示方法)に出典を求める必要はありません。

「連載の入れ替わりが早いのか遅いのか」は、その雑誌が通常何本の連載を掲載するかというデータと併せればより有為ではありますが、それだけでも有為な情報です。表記方法に付いては前述の通り出典の有無は関係ないと考えます。

過去のメンテナンス性への指摘は「通し番号」への指摘ではなく、「テーブルを使用している事」に対する指摘であり、この点に付いては既に解決済です。また見難いという意見につきましても、Camelia氏の御意見は小学館漫画賞を引き合いとしている事からも、通し番号についての物とは判断できませんし、119.150.8.2氏の御意見に関しましては確かに番号に対するご指摘もありますが、「表を廃止すべきだ」という前提のもとから「無意味で番号が飛んでいないのはおかしい」という全く的外れな指摘を伴っている物ですので、現状の議論において有為な意見であるとは私には思えません。

セル番号と一緒でご不満という事でしたら、図書館等で使用されているコード番号等でも構いません。データを使い易くするための道具ということです。

「種類の異なるデータを分ける事が自然である」という私の主張は「独自研究である」という事への反論であり、これに対し「纏めることが可能なデータ纏めるのは自然」との反論はナンセンスです。状況に応じ、データを分ける事もまとめられる物をまとめることの どちらも自然なことです。「原案提供者」「監修者」「STORY PLANNER」「脚本提供者」「ストーリー提供者」等に付きましてはいずれも大きく見れば漫画の原作作業として扱って問題の無い物と考えていますので、これらが一緒である事を以て原作者も一緒にしなければならないとはならないと考えます(念のために言っておきますが、同じ理屈で「大きく見れば著者であるから一緒にすべきだ」という事も出来ますが、どの程度までまとめるかと言う点で主観の問題だと申し上げているわけです)。

「出典が無い記述に対し、出典を要求しなければいけないという規則はありません」という理由は、現実問題として全てに直ぐに出典をというのは難しいですので個別の出典議論の時には重要な考え方ではあります。しかし「週刊少年ジャンプ連載作品の一覧」が主題とはなっているものの、一応この場は一覧記事の全体性を議論する場ですし、この理由は非常に不適切な物であると考えます (私自身の意見としては、そもそも表の形に出典を求める事がナンセンスであると考えていますが。)。また出典の無い形のものは認められないというのであれば、当然作者欄でソートのために作画者を前にするという事も同じ形の表が無ければ認められないという事になります。

「現在このリストにはxxx個のデータがあるというデータ状況」は全く言葉を濁していません。--マクガイア 2009年8月22日 (土) 14:45 (UTC)[返信]