SERA-CD

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CDプジョー

SERA-CDSociété d’Etudes et de Réalisations Automobiles - Charles Deutsch )はフランスにかつて存在した自動車メーカーである。

エコール・ポリテクニーク出身の秀才シャルル・ドゥーチェCharles Deutsch )はDBの創業者の一人となったが、創業者仲間だったルネ・ボネRené Bonnet )と設計方針で対立して1962年にDBを辞し、CDを起こした。1962年のル・マン24時間レースにはパナールベースで3台のレーサーを送り込み、ルネ・ボネオトモビル・ルネ・ボネと相見え性能指数賞とE850クラス優勝を争って勝利[注釈 1]、その市販型をパナールのためパナール・CDとして設計した[1]

その後シャルル・ドゥーチェは一時フランス道路公団のエンジニアをしていた。ル・マンのブガッティ・サーキットの設計にタッチしている。

しかしレースへの情熱は断ちがたく、プジョーの協力を得てプジョー・204をベースにCDプジョーを設計し3台製作して1966年のル・マン24時間レースに参戦した。SOHC1,130ccエンジンは1,149ccに拡大され100hp/8,000rpm、横置きのままミッドシップされた。シャシは軽合金ツインチューブを主体とするモノコック。ボディーは繊維強化プラスチック製で、高速時の直進安定性のために高いフィンを加えるなど高度に空力に配慮したが、完走できなかった。1967年のル・マン24時間レースにも2台を参戦させたがこれも完走とならず、レースから手を引くことになった[2]

注釈

  1. ^ ただしこの時性能指数賞を争うと見られていた高性能ライバル、ロータス・23は不明瞭な理由で車検失格とされ出場できなかった。

出典

  1. ^ 『世界の自動車-11 シムカ マートラ アルピーヌ その他』p.48。
  2. ^ 『世界の自動車-11 シムカ マートラ アルピーヌ その他』p.49。

参考文献

  • 大川悠『世界の自動車-11 シムカ マートラ アルピーヌ その他』二玄社