日本のロック
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日本のロック(ジャパニーズ・ロック、邦楽ロック)は、日本人によって創作または演奏されるロック、ロックンロールのことである。ロックの範囲には様々な定義が考えられるが、ここではポップスなども含めた広い意味でのロックを指すこととする。
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[編集] 日本のロック史
[編集] ロカビリー・ブームからカヴァー・ポップスへ
英語圏の文化であるロックやロックンロールが日本に輸入されて広まったのは、一般的に1950年代後半のロカビリー・ブームが起源とされる。これ以前にも1955年にダークダックスがロック・アラウンド・ザ・クロックをカヴァーするなど、ロックンロールのカヴァーは存在していたが、初期のカントリー・ミュージックであるヒルビリーの流行下にあった日本では大衆に受け入れられなかった。こうした中、ロックンロールとヒルビリーとが融合した音楽であるロカビリーが日本でブームとなった。
1956年にエルヴィス・プレスリーのハートブレイク・ホテルを小坂一也が日本語でカヴァーしたのを皮切りとして、ロカビリーのカヴァーが相次いだ。ジャズ喫茶から始まったロカビリー・ブームは、1958年2月8日に開催された第一回日劇ウエスタンカーニバルで一気に広まった。ロカビリー三人男と呼ばれたミッキー・カーチス、平尾昌晃、山下敬二郎などの日本のロカビリー・シンガーたちが、アメリカ合衆国のロカビリーを英語や日本語でカヴァーした。
1950年代末には、カヴァーではない日本のオリジナル曲が多数ヒットし、ロカビリー・ブームは急速に沈静化した。1960年代に入ると、ロックンロールを中心とするアメリカ合衆国などのポップ・ミュージック全般をポップスと呼んで盛んに日本語でカヴァーするカヴァー・ポップスの時代になった。また、この頃から、ラテンやジャズとロックンロールを合わせた日本独自のジャンルが確立し、ムード歌謡として定着した。
この時期には、内田裕也や尾藤イサオといったヒルビリーやカントリー・ミュージックからの影響がないロックンロール専門の歌手が多数現れた。一方、ブームは落ち着いたものの、依然としてロカビリー・シンガーはオリジナル曲を中心に健在であり、1963年には坂本九が歌うオリジナル曲「上を向いて歩こう」が「SUKIYAKI」としてアメリカ合衆国のビルボード・チャートで3週連続1位、キャッシュボックスで4週連続1位になっている。
[編集] エレキ・ブームとグループ・サウンズ
1960年代の中盤には、エレキ・ギターを主体としたバンド・ブームであるエレキ・ブームが到来した。これは、アメリカ合衆国のサーフ・ロック・バンドであるアストロノウツやザ・ベンチャーズの影響によるものであり、ヴォーカル以外の楽器が注目を集めたことが大きな特徴である。このような、エレキ・ギターを主役としてヴォーカルを排したインストゥルメンタルの音楽はエレキと呼ばれ、日本各地で次々とアマチュアのエレキ・バンドが結成された。
1962年にロカビリー・バンドとして結成された寺内タケシとブルージーンズは、1963年にメンバーを一新し、3本のエレキ・ギターを中心とした日本初のエレキ・バンドになった。また、1964年頃には藤本好一らがアストロノウツやザ・ベンチャーズの曲に日本語の歌詞を乗せて次々とヒットさせた。さらに1965年には加山雄三が主演する『エレキの若大将』が大ブレイクし、ザ・ベンチャーズの来日もあって、エレキブームは最高潮に達した。
こうして起こったエレキ・ブームは、1966年のビートルズの来日をきっかけとして、リバプール・サウンドの影響を受けたグループ・サウンズ・ブームへと移行する。ビートルズに先駆けて、1964年にリバプール・ファイブが、1965年にアニマルズが来日したり、1964年に結成された東京ビートルズがビートルズをはじめとしたイギリスのバンドの日本語カヴァーを行うなど、アメリカ合衆国の影響下にある日本のロックにおいて、イギリス志向のロックが徐々に現れた。
そして、1965年に寺内タケシとブルージーンズがいち早く日本オリジナルのリバプール・サウンドの楽曲を作り、同年のザ・スパイダース、翌年のジャッキー吉川とブルーコメッツのデビューによって、グループ・サウンズが成立した。ビートルズの来日とフォーク・ロック・ブームによってグループ・サウンズはエレキ・ブームに代わる新たなムーブメントとなり、ザ・タイガースやザ・テンプターズといったバンドが活躍した。
[編集] ニュー・ロック
1960年代末、グループ・サウンズが徐々に廃れていく中、演劇や映画、前衛芸術などでアングラな文化が脚光を浴び始める。それに合わせて日本のロックもアングラなシーンから変革を始め、ニュー・ロックの時代を迎える。1968年、アングラなフォーク・シーンから登場したジャックス (バンド)とザ・フォーク・クルセダーズが日本オリジナルの楽曲で構成されたアルバムをリリースし、日本語ロックのさきがけとなった。
1970年、すべての楽曲の歌詞を日本語で書いたはっぴいえんどがアングラ・レコード・クラブからデビューした。一方、内田裕也のプロデュースのもとに同年デビューしたフラワー・トラベリン・バンドは、英語詞でカナダに進出した。この2バンドを軸として、日本のロックは日本語と英語のどちらで歌うべきかを議論する日本語ロック論争が起こった。1971年に発売されたはっぴいえんどの『風街ろまん』は高く評価され、日本語でのロックを決定付けた。
1969年には「10円コンサート」として知られるニュー・ロック・ジャム・コンサートが開催されており、それ以降さまざまなロック・コンサートが開かれた。また、この時期は自らのアルバムを自らプロデュースするセルフ・プロデュースが増えたことも特徴で、日本オリジナルの独自の音楽を追求するバンドが続出した。たとえば、頭脳警察、村八分、外道、四人囃子、裸のラリーズ、クリエイションなどである。
はっぴいえんどは1972年に解散して、細野晴臣と鈴木茂はティン・パン・アレーを結成し、大瀧詠一はナイアガラ・レーベルを設立した。彼らのプロデュースのもとに荒井由実、矢野顕子、山下達郎、はちみつぱいらがデビューし、日本語ロックを定着させた。一方、それとは独立にザ・フォーク・クルセダーズの流れを汲むサディスティック・ミカ・バンドやキャロル、ザ・モップス、カルメン・マキなども活躍した。
[編集] 1970年代ジャパニーズ・ロックのメジャーシーン
1970年代に入ると、、つのだひろ、RCサクセションなどが活躍した。また、元ザ・タイガースの沢田研二はカテゴリに囚われることなく、ロック色を携えたシングル・アルバムを発表する。この頃好セールスを記録したロックといえば、ボブ・ディランのようなバックバンドにロックバンドを従えたフォークシンガーやカントリー・ミュージックを大幅に取り入れ始めたフォーク・ロックの後期に影響されたバンド等なのかも知れない。最も顕著な例として、吉田拓郎や井上陽水などが挙げられる。また、一般的にフォークとして捉えられている赤い鳥やガロ、NSPなどは、明らかにクロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤングなどやソフト・ロックなどの影響下にあった。歌謡曲にロック的な要素が強くなった時期もこの頃である。そして70年代中ごろになると、ロック色の強いダウン・タウン・ブギウギ・バンド、カルメン・マキ&OZ 、甲斐バンド、浜田省吾やクールスなども活躍したが、ロックが国民に広く浸透したとは言えなかった。
その状況を変えたのは、キャロルから独立した矢沢永吉、「ロック御三家」と呼ばれた、世良公則&ツイスト、原田真二、Charであり、また、1978年にデビューした、サザンオールスターズである。彼らやTHE ALFEE、ブレイク以後のゴダイゴ(シングルに限定)、沢田研二等の作品はロックを日本人に親しみやすくしたものだった。
また、山口百恵(主に宇崎竜童作品)などの歌謡曲や、ロックを大胆に取り入れ始めたフォークシンガーの動きも見逃せない存在である。
1970年代末から1980年代初頭にかけて、寺尾聰、クリエーション、町田義人、ジョー山中、柳ジョージ&レイニーウッド、RCサクセション、もんた&ブラザーズ、上田正樹、桑名正博、ロック色を強めたオフコース、チューリップ、甲斐バンド、浜田省吾らが大ヒットを飛ばす。この頃からシティ・ポップスやAORが人気になっている。尚、1980年に佐野元春がデビューしている。
ロックがメジャーになるにつれ、歌謡曲の中にもロックの影響が顕著になり、フォーク・ニューミュージックと歌謡曲、ロックの区分が不明瞭になっていった。これにより1990年代にJ-POPという言葉が誕生することとなる。
[編集] ニューウェーブ(新しい波)
1980年前後からパンク/ニューウェーブ、テクノポップのバンドやハードロック、ヘヴィメタル(BOW WOW、LOUDNESS、ANTHEM、アースシェイカー、44マグナム、HOUND DOG、子供ばんど等)のバンド、(大雑把な括りで申し訳ないが)オールディーズ・ブームに影響されたバンドなどが注目され始めた。「めんたいロック」のムーブメントとともに、福岡から鮎川誠率いるシーナ&ザ・ロケッツ、THE MODS、A.R.B.、ルースターズ、ザ・ロッカーズ、めんたいロックから外れるが久留米出身のチェッカーズ。ライブハウス・ルイード出身のシャネルズ(ラッツ&スター)。関東のプラスチックスやアナーキー、ジューシー・フルーツ、ザ・ヴィーナス、一風堂、ヒカシュー、P-MODEL、関西では町田町蔵(現:町田康)率いるINUなどがシングル・アルバムをヒットさせたり、あるいは好セールスさせていた。この頃海外に進出したバンドも多く、VOW WOWやプラスチックス、サンディー&ザ・サンセッツなどが好セールスを収めている。
尚、この頃からの日本のヘヴィメタルについてはジャパニーズ・メタルの項を、パンク・ロックについては日本のパンク・ロックの項をそれぞれ参考のこと。
[編集] バンド・ブーム
BARBEE BOYS、THE STREET SLIDERS、タンゴ・ヨーロッパ、横浜銀蝿、安全地帯らや、ロック化した歌謡曲の人気に加え、1970年代末から燻っていたインディーズブーム(インディーズ御三家やザ・スターリン、ナゴム等)などを経て、1980年代後半から大規模なバンドブームが起こる。
1985年には以降の音楽シーンに絶大な影響を与えたTHE BLUE HEARTSがデビュー。彼らやプリンセス・プリンセスやユニコーン、JUN SKY WALKER(S) 、レピッシュ、BOØWY、ECHOES、爆風スランプ、PINK SAPPHIRE、GO-BANG'Sらが大ヒットを飛ばした。80年代後半からのバンドブームの初期は、実際のバンドブームとは無縁なバンドが多く、彼らの多くは、長年ライブハウスを中心に活動していたバンドやYAMAHAなどのバンドコンテストから出てきた実力あるバンドなどである。自らが悪魔であると自称する聖飢魔IIのタレント的なテレビ出演によりヘヴィ・メタルのお茶の間進出が注目された。
1988年にロックユニットのB'zがデビュー。同じ年、RCサクセションの反戦・反核などをテーマにしたアルバム「COVERS」とシングル「ラブミー・テンダー」が何らかの圧力のため発売禁止(実際には発売中止)。そして、1989年には聖飢魔IIとは別の角度でお茶の間進出を果たしたヘヴィメタル系バンドのX (X JAPAN) がデビュー。以後、BUCK-TICKやDEAD ENDなどと共に、90年代中期に流行するヴィジュアル系バンドに多大な影響を与える。インディーズの流れではナゴム系(筋肉少女帯など)や、ストリートロックのフールズが一部で人気を博す。
1980年代末にフリッパーズ・ギターがデビュー。ギターポップ、ネオアコに乗せた当時としては異例の全曲英詩のアルバム発表や、後期におけるサンプリングを多用したその音楽的手法は、後の邦楽界に影響を与えた。そしてピチカート・ファイヴ、オリジナル・ラブらと共に渋谷系ブームをリードした。人気絶頂の当時、彼らに憧れた渋谷系ファッションの若者が多くいた。ブームの後も、Spiral Life、カヒミ・カリィ、嶺川貴子、カジヒデキといったフォロワーを輩出する。
同じ頃、社会に対する疑問や青少年の意見を率直に歌った尾崎豊は、校内暴力が流行った時代とあいまって、一種の社会現象を引き起こした。1989年には日本国内初の音楽専門チャンネルスペースシャワーTVが開局している。
90年代に入ると、日本のフォークやロカビリー、ロックンロールに影響されたTHE 虎舞竜の曲がヒットした。この時期はヴィジュアル系バンドも数多く出現、BY-SEXUALなどが人気を集めていた。
1990年12月イカ天終了後もバンドブームに触発された多数のアーティストがデビューしたが、93年頃から日本のバブル期が完全に終了、CDの売上げも激減した。その結果、メジャーシーンでのロックも変わって行く。
[編集] バンド・ブームの終焉から
1994年に渋谷のライブハウス、ラ・ママ一押しバンドだったMr.Childrenが大ブレイクした。そして、これを皮切りに、90年代中期にはスピッツ、ウルフルズ、THE YELLOW MONKEY、エレファントカシマシといったバンドがチャートを賑わした。
1990年代中期以降から、ヴィジュアル系バンドがメジャーシーンを席巻した。まずLUNA SEAがブレイク、その後黒夢、GLAY、L'Arc~en~Cielらが続き、チャートを大いに沸かせた(詳しくはヴィジュアル系の項を参照)。
一方で、大黒摩季を筆頭に、相川七瀬、Cocco、椎名林檎、矢井田瞳などの実力派女性歌手がロック・シンガーとして活躍する。シンガーソングライターの川本真琴も同時期に登場し、注目を浴びた。また、JUDY AND MARYや、Hysteric Blue、Every Little Thing、the brilliant greenのように、男性メンバーの中に女性ボーカリストを迎えるという形態のバンドが流行した。
時を同じくして、元ブルーハーツの甲本ヒロトと真島昌利を中心としたバンド、THE HIGH-LOWSがブレイク。活動休止するまでヒットを飛ばした。また、Hi-STANDARD、NICOTINE、SNAIL RAMP、KEMURI、POTSHOTといったバンドの活躍により、インディーズシーンにおいてメロコアブームが起こる。特にHi-STANDARDは現在では当たり前の英詞のアプローチをとりいれて、一部のロック界に浸透させた。
この頃に、海外で少年ナイフが人気を博す。以降、日本のロックバンドは気軽に海外へ遠征するようになる。ギターウルフ、BOREDOMS、Ruins、想い出波止場、BORIS、The 5.6.7.8's、チボ・マット、Melt-Banana、ズボンズ、THE MAD CAPSULE MARKETSなどもその一例である。一部を除く、このようなグランジ、ミクスチャー等の音楽性を含むオルタナティブロックミュージシャンが日本でも出現し始め、国内においてはhide(ソロ)、Cornelius、ダブやレゲエの要素を取り入れたフィッシュマンズ、インダストリアル・ロックのSOFT BALLET、Oblivion Dustといったアーティストが、90年代前半に欧米で流行したオルタナミュージックなどの影響を受け、従来にない先鋭的かつ実験的なロックへのアプローチを試みるに至った。
[編集] 大型ロック・フェスティバル時代
90年代中期を過ぎると、ロックバンドの露出方法において、従来のライブハウス主導や、90年代前中期に横行したプロデューサー主導型は影を潜める。それにとって代わるようにフジ・ロック・フェスティバルなどの大型ロックフェス(音楽フェス)が出現。商業的に成功を収めると、それ以後急増する音楽フェスは、J-POPや日本ロックのシーンをリードし続ける事となる。(現在もこの傾向は続いている)
そういった中で、パブロックやロカビリー、ロックンロールなどを消化したBLANKEY JET CITYとThee michelle gun elephantがロックファンを中心に熱狂的な支持を集める。当時、人気を二分した両バンドは90年代後期を代表するロックバンドと評されている。同様に、以前からロックファンの間で評価が高かったthe pillowsも徐々に注目を浴びていく事になる。また、後の一部のバンドに影響を与えるeastern youthやbloodthirsty butchersといったエモーショナル・ハードコアバンドが登場したのもこの時期である。そして、ナンバーガールやスーパーカー、くるりを初め、サニーデイ・サービス、ゆらゆら帝国、TRICERATOPS、GRAPEVINE、ZEPPET STORE、ホフディラン、真心ブラザーズ、中村一義などの、洋楽志向の強いアーティスト達が活躍し始める。ポップデュオのキリンジや、はっぴいえんど等の歌詞及びトラックをラップで引用し話題になったかせきさいだぁ≡もこの時期に登場した。
アコースティックミュージシャンの山崎まさよしやスガシカオ、ソウルミュージックを中心に多彩な洋楽を消化して独創的な世界を築いたUAやCHARAといった女性シンガーソングライターが、日本のロックの独自の展開を示すものとして日本国内外で注目を集めはじめたのもこの時期であった。
1998年、Dragon Ashのヒットで日本におけるラップ、ミクスチャー・ロックといったジャンルの基盤ができたことにより、以降は山嵐やRIZEといたミクスチャーバンドが続々と出現する。
2000年にLOVE PSYCHEDELICOがデビュー。売り上げも好セールスを記録した。
[編集] 2001年から00年代中期
2000年代初期には、メジャーにおけるヴィジュアル系バンドの人気は沈着化し、代わりにインディーズシーンが盛り上がりを見せた。メロコアを基調としたポップパンクや、いわゆる「青春パンク」が若者を中心に流行し、MONGOL800、175R、ロードオブメジャー、ガガガSP、STANCE PUNKS、GOING STEADYといったバンドが第一線で活躍。日本語パンクが一般層に浸透した。また、ラップやスカ等を融合させたミクスチャーロックや、ハードコアパンクも依然人気があり、cocobatやBACK DROP BOMB、YKZ、麻波25、THE BACK HORNなどが活躍。一方で、BUMP OF CHICKEN、ACIDMAN、GOING UNDER GROUNDなど下北系ギターロックバンドや、ストレイテナー、HUSKING BEE、BRAHMANといったエモコアバンド、B-DASHやHawaiian6、SOBUT、10-FEETのようなメロコアバンドの台頭も著しくなっている。
一部では、ファンク要素を取り入れたSUPER BUTTER DOG、クラムボン、ハナレグミ、ダブバンドPolarisなども人気であった。また、大物女性アーティストから成るMean Machineを始め、GO!GO!7188、detroit7、noodles、あふりらんぽといった、演奏力も兼ね備えた、ガールズバンドないしは、ほぼ女性で構成されているバンド達が注目され、活躍し始める。
一方で、Boom Boom SatellitesやDOPING PANDAのように、テクノ、デジタルロックに傾向したバンドの人気も高まりつつある。また、90年代中期のオルタナの流れを汲み、日本にも90年後期~00年前期にかけてポストロック、エレクトロニカのバンドが出現。OOIOO、envy、downy、toe、MONO、シンリシュープリーム、Buffalo Daughter、ワールズ・エンド・ガールフレンドなどが、海外を含むコアなファン層に支持されている。
[編集] 00年代中期から現在
00年代中期には、商業面で大成功を収めたORANGE RANGEを筆頭に、Aqua Timez、ヘヴィメタルの影響を受けたHIGH and MIGHTY COLOR、ウエストコースト・ロック色が感じられるHYなどのミクスチャーバンドが大いに人気を博している。
そのほか、いわゆる「文系ロック」の代表格とされるASIAN KUNG-FU GENERATIONや、ELLEGARDEN、BEAT CRUSADERS、ART-SCHOOL、LUNKHEADといったエモコアやメロコアスタイルのバンドが支持を集める。同様に、Syrup 16g、54-71などのオルタナ色のあるバンドを初め、サンボマスターやフジファブリック、ZAZEN BOYS、東京事変といった日本語に重きを置く和風テイストなロックバンド、the band apartのような洋楽に接近したバンドや、ザ・クロマニヨンズ、銀杏BOYZ等のパンクバンド、またはMO'SOME TONEBENDER、The Birthday、SPARTA LOCALS、髭(HiGE)のようなストレートなロックンロールバンドも活躍している。 また最近では、ニューウェーブバンドのPOLYSICSや、ガレージロックのザ50回転ズのように海外で人気を博すバンドも少なからず出てきている。
2006年にはヴィジュアル系ヘヴィロックバンドであるDir en greyのPVがPV音楽賞(HEADBANGERS BALL PV 2006)でグランプリを獲得した。また女性歌手では、シンガーソングライターのYUIや、数年のキャリアを経て日の目を見るに至ったBONNIE PINK、再結成のサディスティック・ミカ・バンドに加入した木村カエラ、海外でも人気の高い土屋アンナ、スウェディッシュポップのMiz(現Mizrock)といったアイドル的要素を兼ね備えたロック・シンガーが活躍している。
2007年、内田裕也が主催するニュー・イヤー・ロック・フェスティバルがニューヨークでも開始(時差の関係上ニューヨークでは2006年12月31日)し、日本発のロックフェスが初めてロック発祥のアメリカで開催された。また、B'zが、音楽界などに貢献したアーティストを讃える「Hollywood's RockWalk(ハリウッド・ロック・ウォーク)」の殿堂入りが決定。初めてアジア圏のミュージシャンがハリウッド・ロック・ウォークの殿堂入りをした。
現在メジャーシーンでは、UVERworld、BUMP OF CHICKEN、レミオロメン、ASIAN KUNG-FU GENERATIONがオリコン上位を占め、新世代バンドとしてELLEGARDEN、RADWIMPS、マキシマムザホルモン、Base Ball Bear、チャットモンチー、9mm Parabellum Bulletといったロキノン系バンドなどが支持されている。また一部にではあるが、凛として時雨や、8otto、monobright、dustbox、ミドリといったインディーズバンドも、将来が期待されている。
[編集] 日本のインディーズ・シーン
尚、インディーズの詳細については、インディーズの項で、わずかながら掲載しているので、そちらを参照のこと。

