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このウィキでページ「男子の本領」は見つかりませんでした。以下の検索結果も参照してください。
- 歩兵の本領(ほへいのほんりょう)は、1911年(明治44年)に発表された日本の軍歌。歩兵を謳った歌であるため歩兵の歌とも呼称される。 作詞は当時の陸軍中央幼年学校(のちの陸軍予科士官学校)第10期生であった加藤明勝、作曲(原曲)は永井建子の軍歌『小楠公』の流用である(後述)。加藤が在校時に制作し、1…12キロバイト (1,962 語) - 2024年3月21日 (木) 16:35
- 那須郡のうち - 16村 明治維新後に、茨城郡21村(幕府領6村、旗本領17村)、新治郡1村(旗本領)、相模国三浦郡1村(寺社領)、鎌倉郡11村(寺社領6村、幕府領5村、旗本領2村)、天塩国苫前郡、天塩郡、中川郡、上川郡、北見国利尻郡が加わった。なお相給も存在するため、村数の合計は一致しない。 関ヶ原の…19キロバイト (2,828 語) - 2024年3月8日 (金) 12:45
- の花形。しかし、その本領はバスケの基本に忠実なプレイであり、眼前のマークにさえ何が起こったのかを悟らせない超高速ノーモーションパスが得意技。赤司の「天帝の眼」を超える「魔王の眼」を切り札としている。一方で反則に手を染めることはなく、潔く敗北を受け入れる精神性の持ち主。…214キロバイト (29,644 語) - 2024年2月4日 (日) 06:29
- 村上隆 (ゴルファー) (カテゴリ 日本の男子プロゴルファー)クラブ沿革 ^ a b 男子トーナメント年度別一覧表(1926年~1972年) | 日本プロゴルフ殿堂 ^ a b c d e f g h i j 【日本男子の海外挑戦記・昭和編28】猛追及ばず、2度目の世界一を逃す――1972年ワールドカップ ^ 村上隆(パリス) 男子プロゴルファー “札幌とうきゅうオープンゴルフ” 最終日…34キロバイト (4,228 語) - 2024年3月30日 (土) 04:02
- 城井鎮房 (カテゴリ 織豊政権の大名)の受け取りを拒否し秀吉の怒りを買い、新たに豊前6郡の領主となった黒田孝高と不穏な空気が流れることとなった。鎮房の心情を良く知る毛利勝信は、鎮房に一度、城井谷城を出て、その後に秀吉への嘆願を行うことを提案し、鎮房は城井谷城を明け渡した。しかしたび重なる腹背に業を煮やした秀吉は頑として城井氏の本領…11キロバイト (1,702 語) - 2023年12月11日 (月) 04:00
- の本領とは独立して統治される(本領を治める当主がトスカーナ大公を兼ねない)ことになり、フランツ・シュテファンから次男レオポルト2世へ、レオポルトが帝位を継いだ後はその次男フェルディナンド3世へと大公位が継承された。フェルディナンド3世をもってトスカーナ大公家(ハプスブルク=トスカーナ家)の始まりとする。…75キロバイト (4,285 語) - 2023年10月30日 (月) 09:20
- 源義康 (カテゴリ 平安時代の武士)平安後期に前九年の役・後三年の役で活躍した源義家の三男・義国の次男として誕生。 父義国から下野国足利荘を相続し、足利を名字とした。父の本領である八幡荘を相続した異母兄の義重は、父と共に上野国新田荘を開墾し新田氏の祖となる。義康は熱田大宮司藤原季範の養女(実孫)を娶り、河内源氏の同族源義朝と相聟の関係になり同盟を結んでいる。…4キロバイト (484 語) - 2022年12月6日 (火) 18:17
- 宇都宮朝綱 (カテゴリ 治承・寿永の乱の人物)元暦元年(1184年)5月24日、朝綱は平家の家人・平貞能のとりなしで帰国を許されて頼朝に従い、本領安堵のうえ伊賀国壬生野郷の地頭に任じられた。同年11月14日)、平氏追討の功で佐々木盛綱等とともに西国に所領を賜る。 元暦2年(1185年)7月7日、平家一門の都落ち後に行方不明になっていた平貞能が頼朝への助命を求めて突如朝綱の…8キロバイト (1,001 語) - 2024年4月1日 (月) 08:15
- 佐藤信之 (カテゴリ 日本の男子長距離走の選手)のシドニーオリンピック男子マラソン代表に選出された。五輪本番では、周囲のプレッシャーや大会の雰囲気に呑まれた格好で本領発揮とは行かず、中盤を過ぎてからメダル・入賞争いからも脱落し、2時間20分52秒で41位に終わった(川嶋は21位、犬伏は途中棄権、男子3選手とも入賞出来なかった)。…5キロバイト (596 語) - 2024年2月4日 (日) 18:42
- 加藤光泰 (カテゴリ 織豊政権の大名)男子:加藤光吉 - 一柳可遊の子で、光泰の室の甥に当たる。若い頃、加藤光泰には男子が無く、光吉を婿養子に迎えた。その後、実子の貞泰が生まれたため家老となった。光泰が甲斐国24万石を得た際には4万石を与えられた。光泰の死後、伊予国大洲に転封された後も家老として仕え、2000石を知行した。 [脚注の使い方]…9キロバイト (1,357 語) - 2022年10月24日 (月) 09:57
- 千葉胤泰 (カテゴリ 書きかけの節のある項目)たねやす、生没年不詳)は、南北朝時代の人物。千葉氏の第9代当主千葉宗胤の次男。九州千葉氏(肥前千葉氏)の祖。 祖父千葉頼胤に代って父宗胤が肥前国に赴いた間に叔父の千葉胤宗が千葉介家の本領千葉荘を領有し、胤宗の子で従兄弟の貞胤が千葉氏の家督を継いだ。兄の胤貞は、下総国千田荘を本拠として貞胤と千葉氏の…2キロバイト (236 語) - 2024年2月1日 (木) 01:48
- 最上氏 (カテゴリ 東北地方の氏族)の十五里ヶ原の戦いで敗れ庄内への影響力を失う。義光は惣無事令違反を訴えたが豊臣家の裁定により庄内は上杉領に確定し この裁定は両家に禍根を残した。 1590年(天正18年)に覇業を推し進める豊臣秀吉の小田原征伐を機に臣従して本領…22キロバイト (2,347 語) - 2024年4月21日 (日) 07:45
- 佐原義連 (カテゴリ 治承・寿永の乱の人物)1973年1月10日、義連の墓と伝わる「伝佐原義連廟所」が横須賀市の重要文化財に指定された。 父:三浦義明 母:不詳 正室:武田信光の娘 次男:佐原盛連 生母不明 男子:景連 男子:佐原家連 男子:重連 男子:胤連 男子:助連 男子:政連 男子:広連 男子:泰連 伝佐原義連廟所(満願寺裏山観音堂右手、横須賀市岩戸1₋4₋9)…10キロバイト (1,271 語) - 2023年11月13日 (月) 16:20
- 島津義虎 (カテゴリ 鹿児島市の画像提供依頼)の領有としている(なお、義虎は同7月8日には忠兼を謀殺している)。 永禄10年(1567年)より羽月城を守備、肥後相良氏の備えについた。永禄12年(1569年)、相良氏が島津方の和睦の使者を殺害し、菱刈氏との連合軍が挙兵すると、義虎は詰めていた羽月城を退去し、本領の出水へ退却したため義久の…6キロバイト (797 語) - 2023年11月13日 (月) 10:56
- 本堂氏 (カテゴリ 日本の氏族)の中郡(現在の仙北郡南東部)11か村、8,983石余の知行地が本領安堵された(『本堂宛秀吉知行朱印状』)。忠親は九戸政実の乱に際しては大谷吉継に属し、秀吉の朝鮮出兵にあたっては肥前名護屋におもむいた。文禄2年(1593年)に「牧使城」(晋州)攻撃(晋州城の戦い参照)の…20キロバイト (2,244 語) - 2023年11月24日 (金) 05:54
- 青山宗俊 (カテゴリ 岩槻藩の人物)000石を加増され、合計3万石の大名となり、信濃小諸藩主となる。また本領とは別に信濃国内に幕府領1万5,000石を預かる。小諸藩では御影用水・新田の開削という大規模な工事に着手し、民衆も苦しんだが田地は増大して増産効果をもたらした。 寛文2年(1662年)3月29日、大坂城代に任じられたため、所領を2万石加増されて合計5万石の…5キロバイト (481 語) - 2023年1月15日 (日) 04:11
- 慶長8年(1603年)、祖父で垂水城主の島津以久が徳川家康より佐土原を与えられた。この時、以久は本領の垂水の地を久信に譲った。慶長9年12月15日(1605年2月2日)に久信は垂水城に移った。鹿屋は兼領した。 慶長15年(1610年)に以久が没すると、家康は佐土原を久信に与えようとしたが、久信がこれを断ったたため、以久の三男である島津忠興が佐土原藩主を継いだ。…4キロバイト (459 語) - 2023年11月15日 (水) 11:29
- 加賀美遠光 (カテゴリ 治承・寿永の乱の人物)の武将。甲斐源氏の祖と源義光の子の義清の四男(兄の清光の子とする説もあるが実際は猶子とされる)。 加賀美氏の初代であり、武田氏初代武田信義の叔父(あるいは義弟)となる。甲斐国巨麻郡加賀美郷(現在の山梨県南アルプス市の一部)一帯に所在する加々美荘を本領とした。 保元2年(1157年)、同族の…5キロバイト (637 語) - 2023年11月4日 (土) 09:47
- 足立遠元 (カテゴリ 治承・寿永の乱の人物)の遺児・源頼朝より前もって命を受けており、頼朝が下総国から武蔵国に入った10月2日に豊島清元・葛西清重父子らと共に武蔵武士で最初に迎えに参上して、頼朝が鎌倉入りした直後の8日、武蔵国足立郡を本領安堵された。これは、頼朝による東国武士への本領安堵の最初である。…9キロバイト (1,251 語) - 2024年2月29日 (木) 09:41
- の本色にして、大に男子に異なり、又異ならざるをえず。我輩の飽くまでも勧告奨励する所にして、女徳の根本、唯一の本領なりと雖も、其柔順とは言語挙動の柔順にして、卑屈盲従の意味に非ず。大節に臨んでは父母の命(めい)を拒(こば)み夫の所業に争うことある可し。例えば家計云々の