検索結果

(前の20件 | ) (20 | 50 | 100 | 250 | 500 件) を表示
  • 歩兵の本領(ほへいほんりょう)は、1911年(明治44年)に発表された日本軍歌。歩兵を謳った歌であるため歩兵歌とも呼称される。 作詞は当時陸軍中央幼年学校(ちの陸軍予科士官学校)第10期生であった加藤明勝、作曲(原曲)は永井建子の軍歌『小楠公』流用である(後述)。加藤が在校時に制作し、1…
    12キロバイト (1,962 語) - 2024年3月21日 (木) 16:35
  • 肥前国のサムネイル
    肥前国 (肥前からのリダイレクト)
    長崎裁判所管轄地域が長崎府管轄となる。 旗本領一部(五島氏領)が福江藩領となる。 明治2年 6月20日(1869年7月28日) - 長崎府管轄地域が長崎県管轄となる。 8月7日(1869年9月12日) - 府中藩が改称して厳原藩となる。 明治3年(1870年)9月 - 旗本領残部(松浦氏領)が長崎県の管轄となる。…
    21キロバイト (3,258 語) - 2024年4月7日 (日) 16:56
  • 水戸藩のサムネイル
    水戸藩 (水戸三田からのリダイレクト)
    那須郡うち - 16村 明治維新後に、茨城郡21村(幕府領6村、旗本領17村)、新治郡1村(旗本領)、相模国三浦郡1村(寺社領)、鎌倉郡11村(寺社領6村、幕府領5村、旗本領2村)、天塩国苫前郡、天塩郡、中川郡、上川郡、北見国利尻郡が加わった。なお相給も存在するため、村数合計は一致しない。 関ヶ原
    19キロバイト (2,828 語) - 2024年3月8日 (金) 12:45
  • 花形。しかし、その本領はバスケ基本に忠実なプレイであり、眼前マークにさえ何が起こったかを悟らせない超高速ノーモーションパスが得意技。赤司「天帝眼」を超える「魔王眼」を切り札としている。一方で反則に手を染めることはなく、潔く敗北を受け入れる精神性持ち主。…
    214キロバイト (29,644 語) - 2024年2月4日 (日) 06:29
  • 村上隆 (ゴルファー) (カテゴリ 日本男子プロゴルファー)
    クラブ沿革 ^ a b 男子トーナメント年度別一覧表(1926年~1972年) | 日本プロゴルフ殿堂 ^ a b c d e f g h i j 【日本男子の海外挑戦記・昭和編28】猛追及ばず、2度目世界一を逃す――1972年ワールドカップ ^ 村上隆(パリス) 男子プロゴルファー “札幌とうきゅうオープンゴルフ” 最終日…
    34キロバイト (4,228 語) - 2024年3月30日 (土) 04:02
  • 城井鎮房のサムネイル
    城井鎮房 (カテゴリ 織豊政権大名)
    受け取りを拒否し秀吉怒りを買い、新たに豊前6郡領主となった黒田孝高と不穏な空気が流れることとなった。鎮房心情を良く知る毛利勝信は、鎮房に一度、城井谷城を出て、その後に秀吉へ嘆願を行うことを提案し、鎮房は城井谷城を明け渡した。しかしたび重なる腹背に業を煮やした秀吉は頑として城井氏の本領
    11キロバイト (1,702 語) - 2023年12月11日 (月) 04:00
  • ハプスブルク=ロートリンゲン家のサムネイル
    の本領とは独立して統治される(本領を治める当主がトスカーナ大公を兼ねない)ことになり、フランツ・シュテファンから次男レオポルト2世へ、レオポルトが帝位を継いだ後はその次男フェルディナンド3世へと大公位が継承された。フェルディナンド3世をもってトスカーナ大公家(ハプスブルク=トスカーナ家)始まりとする。…
    75キロバイト (4,285 語) - 2023年10月30日 (月) 09:20
  • 源義康 (カテゴリ 平安時代武士)
    平安後期に前九年役・後三年役で活躍した源義家三男・義国次男として誕生。 父義国から下野国足利荘を相続し、足利を名字とした。父の本領である八幡荘を相続した異母兄義重は、父と共に上野国新田荘を開墾し新田氏祖となる。義康は熱田大宮司藤原季範養女(実孫)を娶り、河内源氏同族源義朝と相聟関係になり同盟を結んでいる。…
    4キロバイト (484 語) - 2022年12月6日 (火) 18:17
  • 宇都宮朝綱のサムネイル
    宇都宮朝綱 (カテゴリ 治承・寿永人物)
    元暦元年(1184年)5月24日、朝綱は平家家人・平貞能とりなしで帰国を許されて頼朝に従い、本領安堵うえ伊賀国壬生野郷地頭に任じられた。同年11月14日)、平氏追討功で佐々木盛綱等とともに西国に所領を賜る。 元暦2年(1185年)7月7日、平家一門都落ち後に行方不明になっていた平貞能が頼朝へ助命を求めて突如朝綱
    8キロバイト (1,001 語) - 2024年4月1日 (月) 08:15
  • 佐藤信之 (カテゴリ 日本男子長距離走選手)
    シドニーオリンピック男子マラソン代表に選出された。五輪本番では、周囲プレッシャーや大会雰囲気に呑まれた格好で本領発揮とは行かず、中盤を過ぎてからメダル・入賞争いからも脱落し、2時間20分52秒で41位に終わった(川嶋は21位、犬伏は途中棄権、男子3選手とも入賞出来なかった)。…
    5キロバイト (596 語) - 2024年2月4日 (日) 18:42
  • 加藤光泰のサムネイル
    加藤光泰 (カテゴリ 織豊政権大名)
    男子:加藤光吉 - 一柳可遊子で、光泰甥に当たる。若い頃、加藤光泰には男子が無く、光吉を婿養子に迎えた。その後、実子の貞泰が生まれたため家老となった。光泰が甲斐国24万石を得た際には4万石を与えられた。光泰死後、伊予国大洲に転封された後も家老として仕え、2000石を知行した。 [脚注使い方]…
    9キロバイト (1,357 語) - 2022年10月24日 (月) 09:57
  • 千葉胤泰 (カテゴリ 書きかけある項目)
    たねやす、生没年不詳)は、南北朝時代人物。千葉氏第9代当主千葉宗胤次男。九州千葉氏(肥前千葉氏)祖。 祖父千葉頼胤に代って父宗胤が肥前国に赴いた間に叔父千葉胤宗が千葉介家の本領千葉荘を領有し、胤宗子で従兄弟貞胤が千葉氏家督を継いだ。兄胤貞は、下総国千田荘を本拠として貞胤と千葉氏
    2キロバイト (236 語) - 2024年2月1日 (木) 01:48
  • 最上氏のサムネイル
    最上氏 (カテゴリ 東北地方氏族)
    十五里ヶ原戦いで敗れ庄内へ影響力を失う。義光は惣無事令違反を訴えたが豊臣家裁定により庄内は上杉領に確定し この裁定は両家に禍根を残した。 1590年(天正18年)に覇業を推し進める豊臣秀吉小田原征伐を機に臣従して本領
    22キロバイト (2,347 語) - 2024年4月21日 (日) 07:45
  • 佐原義連のサムネイル
    佐原義連 (カテゴリ 治承・寿永人物)
    1973年1月10日、義連墓と伝わる「伝佐原義連廟所」が横須賀市重要文化財に指定された。 父:三浦義明 母:不詳 正室:武田信光娘 次男:佐原盛連 生母不明 男子:景連 男子:佐原家連 男子:重連 男子:胤連 男子:助連 男子:政連 男子:広連 男子:泰連 伝佐原義連廟所(満願寺裏山観音堂右手、横須賀市岩戸1₋4₋9)…
    10キロバイト (1,271 語) - 2023年11月13日 (月) 16:20
  • 島津義虎 (カテゴリ 鹿児島市画像提供依頼)
    領有としている(なお、義虎は同7月8日には忠兼を謀殺している)。 永禄10年(1567年)より羽月城を守備、肥後相良氏備えについた。永禄12年(1569年)、相良氏が島津方和睦使者を殺害し、菱刈氏と連合軍が挙兵すると、義虎は詰めていた羽月城を退去し、本領出水へ退却したため義久
    6キロバイト (797 語) - 2023年11月13日 (月) 10:56
  • 本堂氏のサムネイル
    本堂氏 (カテゴリ 日本氏族)
    中郡(現在仙北郡南東部)11か村、8,983石余知行地が本領安堵された(『本堂宛秀吉知行朱印状』)。忠親は九戸政実乱に際しては大谷吉継に属し、秀吉朝鮮出兵にあたっては肥前名護屋におもむいた。文禄2年(1593年)に「牧使城」(晋州)攻撃(晋州城戦い参照)
    20キロバイト (2,244 語) - 2023年11月24日 (金) 05:54
  • 青山宗俊のサムネイル
    青山宗俊 (カテゴリ 岩槻藩人物)
    000石を加増され、合計3万石大名となり、信濃小諸藩主となる。また本領とは別に信濃国内に幕府領1万5,000石を預かる。小諸藩では御影用水・新田開削という大規模な工事に着手し、民衆も苦しんだが田地は増大して増産効果をもたらした。 寛文2年(1662年)3月29日、大坂城代に任じられたため、所領を2万石加増されて合計5万石
    5キロバイト (481 語) - 2023年1月15日 (日) 04:11
  • 慶長8年(1603年)、祖父で垂水城主島津以久が徳川家康より佐土原を与えられた。この時、以久は本領垂水地を久信に譲った。慶長9年12月15日(1605年2月2日)に久信は垂水城に移った。鹿屋は兼領した。 慶長15年(1610年)に以久が没すると、家康は佐土原を久信に与えようとしたが、久信がこれを断ったたため、以久三男である島津忠興が佐土原藩主を継いだ。…
    4キロバイト (459 語) - 2023年11月15日 (水) 11:29
  • 加賀美遠光のサムネイル
    加賀美遠光 (カテゴリ 治承・寿永人物)
    武将。甲斐源氏祖と源義光子の義清四男(兄清光子とする説もあるが実際は猶子とされる)。 加賀美氏初代であり、武田氏初代武田信義叔父(あるいは義弟)となる。甲斐国巨麻郡加賀美郷(現在山梨県南アルプス市一部)一帯に所在する加々美荘を本領とした。 保元2年(1157年)、同族
    5キロバイト (637 語) - 2023年11月4日 (土) 09:47
  • 足立遠元 (カテゴリ 治承・寿永人物)
    遺児・源頼朝より前もって命を受けており、頼朝が下総国から武蔵国に入った10月2日に豊島清元・葛西清重父子らと共に武蔵武士で最初に迎えに参上して、頼朝が鎌倉入りした直後8日、武蔵国足立郡を本領安堵された。これは、頼朝による東国武士への本領安堵最初である。…
    9キロバイト (1,251 語) - 2024年2月29日 (木) 09:41
  • の本色にして、大に男子に異なり、又異ならざるをえず。我輩飽くまでも勧告奨励する所にして、女徳根本、唯一の本領なりと雖も、其柔順とは言語挙動柔順にして、卑屈盲従意味に非ず。大節に臨んでは父母命(めい)を拒(こば)み夫所業に争うことある可し。例えば家計云々
(前の20件 | ) (20 | 50 | 100 | 250 | 500 件) を表示