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このウィキでページ「死者たちの一日」は見つかりませんでした。以下の検索結果も参照してください。
- の他の一部の教派でも「諸聖人の日」に相当する祝日・祭日を定めている教会があるが、呼び名や日付は必ずしも一致しない。 カトリック教会の典礼暦では11月1日が諸聖人の日で、続く11月2日が死者の日となっている。死者の日は「万霊節」とも呼ばれていた。諸聖人の日は、かつては「守るべき祝日」の一…9キロバイト (1,238 語) - 2023年11月1日 (水) 13:39
- ジェイムズ・ジョイス (カテゴリ 英語版ウィキペディアからの翻訳を必要とする選り抜き記事)の使用や登場人物の外的環境よりも精神的現実への言及の優先といった、後の作品に多く見られる手法の萌芽もこの作品において散見される。 戯曲『追放者たち』と詩篇 最初期には演劇に深い関心を寄せていたにもかかわらず、ジョイスが発表した戯曲は『追放者たち』一篇のみである。この作品は「死者たち…46キロバイト (6,988 語) - 2024年4月30日 (火) 12:34
- 千年王国 (カテゴリ ヨハネの黙示録)者たちの魂を見た。この者たちは、あの獣もその像も拝まず、額や手に獣の刻印を受けなかった。彼らは生き返って、キリストと共に千年の間統治した。その他の死者は、千年たつまで生き返らなかった。これが第一の復活である。第一の復活にあずかる者は、幸いな者、聖なる者である。この者たちに対して、第二の死は何の…35キロバイト (6,621 語) - 2024年4月22日 (月) 11:45
- 日本語訳仏典 (カテゴリ すべてのスタブ記事)(慈経(Mettā-sutta): 小誦経第9章あるいはスッタニパータ第1章第8経) 『原訳「法句経(ダンマパダ)」一日一話』 佼成出版社 2003年 『原訳「法句経」(ダンマパダ)一日一悟』 佼成出版社 2005年 『原訳「スッタ・ニパータ」蛇の章 』 佼成出版社 2009年 『スッタニパータ 第五章「彼岸道品」』 全4巻 サンガ…13キロバイト (1,838 語) - 2024年4月2日 (火) 17:54
- 日本一の一覧(にほんいちのいちらん、にっぽんいちのいちらん)は、日本で一番(一位)と評価可能な各種事物の一覧。 以下の日本一については、それぞれの記事をご覧ください。 日本最古の一覧 - 日本一古い(日本最古の)事項 日本初の一覧 - 日本一早い(日本初の)事項 日本最後の一覧 - 日本一遅い(日本最後の)事項…174キロバイト (21,183 語) - 2024年5月30日 (木) 14:49
- この素晴らしい世界に祝福を! (この素晴らしい世界に祝福を!〜希望の迷宮と集いし冒険者たち〜からのリダイレクト)されている。「エリス祭」というお祭りが開催されるほどの人気があり、信者の数も膨大で、特に通貨単位になるほど知名度も高いが、アクシズ教の信者たちからは嫌悪されている。また、ダクネスも信者の一人であり、その証である首飾りを所持したり、望みを願う際や死者が出た時も教義に従ってお祈りしていた。 アクシズ教…244キロバイト (36,508 語) - 2024年6月6日 (木) 22:36
- 復活 (キリスト教) (キリストの復活からのリダイレクト)の初穂として死人の中から復活したことが信仰されている(コリントの信徒への手紙一、15: 20)。キリストが復活し、キリストの復活によって全ての人が生きるとされ(コリントの信徒への手紙一、15: 21 - 22)、死者は復活するとされる(テサロニケの信徒への手紙一、4: 13 -…35キロバイト (4,710 語) - 2024年3月1日 (金) 02:39
- 名古屋市郊外に日本ケンタッキー・フライド・チキンの第1号店(名西店)がオープン。 1974年 - 長嶋茂雄が巨人軍監督に就任。 1978年 - 江川卓が読売ジャイアンツと契約。(空白の一日事件) 1986年 - 11月15日からの伊豆大島・三原山の噴火に伴い、全島民が一時島を脱出。 1989年 -…36キロバイト (4,088 語) - 2024年6月2日 (日) 21:13
- 赤川次郎 (カテゴリ すべてのスタブ記事)幽霊バスツアー」シリーズに改題・集英社みらい文庫 「闇からの声」シリーズ(教室の正義・悪夢の果て) 「当節怪談事情」シリーズ 死者の学園祭(1977年6月、ソノラマ文庫)のち角川文庫 マリオネットの罠(1977年7月、文藝春秋)のち文春文庫 赤いこうもり傘(1978年6月、ソノラマ文庫)のち角川文庫 死者…38キロバイト (5,256 語) - 2024年1月30日 (火) 03:57
- 伯方島 (カテゴリ 日本の地理関連のスタブ項目)の集落。港の近傍には造船所2社があるほか、停泊している船舶も多い。ここの2Km沖で瀬戸内海汽船の今尾連絡船「第十東予丸」が遭難、死者397名を出す県内最悪の海難事故となった。これがしまなみ海道架橋の契機となった。曹洞宗禅興寺に慰霊塔が有る。 快速船 今治港 - 土生港(因島)間の航路が寄航している。寄港地は上記に加え、今治…9キロバイト (1,405 語) - 2023年2月24日 (金) 11:33
- 地上を旅すれば、それを考え聞く耳が持てたであろうに。まことに心の盲目である。あの者たちはおまえに懲罰を急かす。神のもとでの一日は、おまえたちにとっての千年のようなもの。どれほどの不正なる町を猶予してきたか。それを捕らえ、行き先は神のもと。 - 46節、47節、48節…19キロバイト (2,976 語) - 2022年6月9日 (木) 15:50
- 悲劇の一週間(ひげきのいっしゅうかん、スペイン語: Semana Trágica、カタルーニャ語: Setmana Tràgica)とは、1909年7月25日から8月2日まで続いた、スペイン軍とカタルーニャの労働者たちが衝突した事件の名称である。 1902年、スペイン王アルフォンソ13世は親政を開…10キロバイト (1,502 語) - 2022年8月12日 (金) 23:44
- ルーマニア革命 (1989年) (カテゴリ ルーマニアの政治)者たちの一部は、のちにセクリターテから殴る蹴るの暴行を受けたり、懲役刑を宣告されたりした。また、およそ4000人の労働者が解雇されたという。懲役刑が終わった者たちの多くは治安当局の厳格な監視下に置かれ、何年にもわたって嫌がらせを受けた。 1981年、鉱山労働者たち…257キロバイト (31,639 語) - 2024年5月31日 (金) 09:35
- ベルゲン・ベルゼン強制収容所 (カテゴリ ナチス・ドイツの強制収容所 (ドイツ))英軍将校ピーター・クームズは収容所の状況を見て「誰もがこの場所に来て、彼らの顔を、歩き方を、弱りきった動きを見るべきだと思う。一日に300人ものユダヤ人が死んでいくが、彼らを救う手立ては何もない。もう手遅れだったのだ。小屋の側にはたくさんの死体が転がっている。収容者たちはせめて太陽の下で死のうと小屋から最後の…23キロバイト (2,943 語) - 2024年6月4日 (火) 13:25
- ガブリエル (カテゴリ 天使の個体)キリスト教において、最後の審判のときにラッパを鳴らし、死者を甦らせる天使はガブリエルである。 ユダ王国の滅亡からバビロン捕囚時代を舞台に書かれた旧約聖書の『ダニエル書』の中で、預言者ダニエルの幻の中に現れるのがガブリエルであり、神がその名前を呼ぶ場面がある(8章15節…16キロバイト (2,264 語) - 2023年3月14日 (火) 06:53
- イースター蜂起 (カテゴリ 20世紀の反乱)たちは蜂起はその始まりから軍事的敗北が決まっており、またアルスター統一主義者たちの英国に留まろうとする決意を見誤っていたと主張した。「修正主義歴史家」たちはこれを「血の犠牲」の言葉で書くようになった。 蜂起とピアースら指導者たちの行動が共和主義者たち(シン・フェイン党やIRAの…58キロバイト (8,461 語) - 2024年3月13日 (水) 07:23
- トゥルー・コーリング (カテゴリ 英語版ウィキペディアからの翻訳を必要とする記事)一日をやり直す力には二種類あり、トゥルーの場合は助けを求められると普通に一日が戻るだけだが、ジャックの場合は、一日が戻ると同時にトゥルーに助けを求めた者の死ぬ前の一日が見える。そのため、より多くの情報を掴み、常にトゥルーに先んじていた。しかし第24話「運命の…17キロバイト (1,973 語) - 2024年2月14日 (水) 22:28
- たちの目の前から消えていったのです。 私は、その最後の解散の瞬間にも、私の想像を絶する安らかな表情があったことを、生きている限りうれしく思います。 ドラキュラ城は赤い空に映え、壊れた城壁の石一つ一つが夕日の光に照らされて浮かび上がっていた。 ジプシーたちは、私たちが死者の異常な失踪の原因であるかの
- 先従隗始(先づ隗より始めよ)とは、故事成語の一つ。 (まず かいより はじめよ。) 元々は『戦国策』「燕策」の一つである。 本文は『十八史略(原作者曾先之(そう せんし)』より。 燕(えん)の国の人々は太子の平を立てて王とした。これが昭王(しょうおう)である。戦死者を弔い(とむらい)、生存者を見舞い、へりくだった言葉遣いをし、多くの
- ということは、現場の情勢がつかみ得なかったことの現状というものを申し上げたわけです。 衆議院予算委員会 平成07年01月26日 阪神大震災への対応のまずさについて「政府がとった措置は最善の策だった」との答弁を追及されて。 もしも死者が出たら白装束で遺族の下にお詫びに行く覚悟だ。