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このウィキでページ「楠公父子〜桜井の訣別〜」は見つかりませんでした。以下の検索結果も参照してください。
- の正行を河内国に帰らせたと伝えている(「楠木正成#兵庫への下向と決戦前夜」および「桜井の別れ」を参照)。 桜井駅跡には、陸軍大将・乃木希典筆「楠公父子訣別之所」の碑(1913年〈大正2年〉建立)、元帥海軍大将・東郷平八郎筆「子わかれの 松のしづくに 袖ぬれて 昔をしのぶ さくらゐの…8キロバイト (998 語) - 2024年3月13日 (水) 16:42
- 桜井の別れ(さくらいのわかれ)は、西国街道の桜井駅(桜井の駅、さくらいのえき)で、楠木正成・正行父子が訣別する逸話である。桜井駅で別れた後、正成は湊川の戦いに赴いて戦死し、今生の別れとなった。桜井の駅の別れ、桜井の訣別ともいう。 古典文学『太平記』の名場面のひとつで、国語・修身・国史の…7キロバイト (943 語) - 2023年11月25日 (土) 14:45
- 正成が湊川の戦いに赴く途中に味わって飲んだという伝説があった「楠公の井戸」の跡地に碑がある。 能 四番目物の侍物。 桜井(さくらい、喜多流) 桜井駅(さくらいのえき、金剛流) 楠露(くすのつゆ、観世流) 浄瑠璃 『楠公櫻井の訣別(楠公)』常磐津節 唱歌 『桜井の決別』 - 正成と息子正行との…155キロバイト (20,612 語) - 2024年4月2日 (火) 11:14
- 和田厳足 (カテゴリ 江戸時代の歌人)巻頭「長歌短歌日詠々草」(ながきみじかきひにけによめるうたのしるしぶみ) 「長歌短歌日詠々草」安政2年(1855年)1月1日より 「鐙之記草案」 「滝見記」 「酔のすさひの独言」嘉永6年(1853年)3月22日 「桜百首」 「日詠三十首」文政13年(1830年)閏3月 「今様」 楠公父子桜井の駅にて訣別せる画に」安政5年(1858年)3月20日…7キロバイト (1,127 語) - 2023年11月16日 (木) 12:02
- 乃木希典 (カテゴリ 上士階層出身の明治期の著名人)乃木は楠木正成を深く崇敬した。乃木の尽忠報国は正成を見習ったものである。乃木は正成に関する書物をできる限り集め考究した。正成が子の正行と別れた大阪府三島郡島本町の史蹟桜井駅跡の石碑の「楠公父子訣別之所」という文字は乃木によって書かれたものである。そして、乃木は楠木正成について次のような歌を詠んでいる。 いたづらに立ち茂りなば楠の木も…146キロバイト (22,669 語) - 2024年4月16日 (火) 06:50