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  • アラミスのサムネイル
    『ダルタニャン物語』(鈴木力衛訳、全11巻、講談社文庫) 佐藤賢一『ダルタニャンの生涯』(岩波新書) [脚注の使い方] ^ 『二十年後 我は王軍、友は叛軍』第11章で女性から「ルネ」と、『ブラジュロンヌ子爵 将軍と二つの影』第17章でバザンが「ルネ猊下」と呼んでいる。 ^…
    7キロバイト (954 語) - 2024年1月23日 (火) 04:47
  • 、大河原町の病院で脳内出血のため死去。78歳。 『とべない沈黙』(1966年) - 脚本 『ねじ式映画 私は女優?』(1969年) - 監督 『叛軍No.4』(1972年) - 監督 『眠れ蜜』(1976年) - 監督、編集 『モゥモ チェンガ』(2002年) - 監督 『チベット2002 ダラムサラより』(2002年)…
    5キロバイト (443 語) - 2023年5月2日 (火) 12:43
  • (デュマ、講談社) 1968 - 1969。のち講談社文庫、ブッキング、復刊ドットコム 『友を選ばば三銃士』 『妖婦ミレディーの秘密』 『我は王軍、友は叛軍』 『謎の修道僧』 『復讐鬼』 『将軍と二つの影』 『ノートルダムの居酒屋』 『華麗なる饗宴』 『三つの恋の物語』 『鉄仮面』 『剣よ、さらば』…
    9キロバイト (1,038 語) - 2023年7月19日 (水) 04:07
  • 安藤輝三のサムネイル
    とせず、直前の23日になって参加を決断した。だが反乱に巻き込まれた部下達は、後に忌避され前線に送られ死ぬ者が多かった。 決断後は積極的に同志を集め、叛軍中最大勢力である歩3を統率して見せた。歩3からは全反乱部隊の総兵力の60%が参加した。 午前5時頃に鈴木貫太郎を襲撃した。はじめ安藤の姿はなく、下士…
    13キロバイト (2,018 語) - 2023年11月13日 (月) 08:12
  • 4年)に後を追うように亡くなった。 ^ 赤坂2010,157-159頁 ^ 『元史』巻123列伝10阿児思蘭伝,「阿児思蘭、阿速氏。初、憲宗以兵囲阿児思蘭之城、阿児思蘭偕其子阿散真迎謁軍門。帝賜手詔、命専領阿速人、且留其軍之半、余悉還之、俾鎮其境内。以阿散真置左右。道遇闍児哥叛軍
    5キロバイト (879 語) - 2019年10月5日 (土) 12:08
  • 『ダルタニャン物語』 復刊ドットコム 全11巻。※講談社文庫を一部表記修正した選書版(新版2011年) ※第二部『二十年後』は三部構成、第3巻『我は王軍、友は叛軍』、第4巻『謎の修道僧』、第5巻『復讐鬼』。 フロンドの乱 - 物語に深く関わる史実の事件 ピューリタン革命 - 物語に深く関わる史実の事件。 新・三銃士/華麗なる勇者の冒険…
    22キロバイト (3,603 語) - 2023年6月27日 (火) 02:28
  • 害・凶器準備集合・爆発物取締罰則違反」の容疑で一斉に家宅捜索を行う。 9月18日:杉並署高円寺駅前派出所が爆破される。杉並区上萩の陸橋の交通看板に「叛軍」「成田空港建設反対」と墨で上書きしたうえに同陸橋が火炎瓶で放火される。 9月19日:友納知事が報道陣に対し警備陣の疲れなどを理由に代執行を21日に…
    83キロバイト (13,209 語) - 2023年11月22日 (水) 09:31
  • 伝えに行くも、民どころか自身の兵のことも顧みない命令を下される。ベナウィはケナシコウルペのオムツィケルとして、最後の務めを果たすため、またハクオロ達叛軍に対する最後の壁として、ハクオロ逹と最後の一戦を交える。自身の限界まで戦い、ハクオロ達を見定め、そして自分以外のほとんどの兵が投降したのを見定めてか…
    168キロバイト (26,399 語) - 2023年10月23日 (月) 11:42
  • 二・二六事件のサムネイル
    ととなり、のちに富永が「東條の腰巾着」などと揶揄されるほど重用されるきっかけともなった。 一方、事件に対する陸軍の責任をめぐっては貴族院で「それでは叛軍に参謀本部や陸軍省が占領されて、たとえ二日でも三日でも職務を停止させられた、その責任はだれが負うか」と追及されたが、結局うやむやにして、だれも責任を取らず、裁判にもかけなかった。…
    217キロバイト (33,994 語) - 2024年5月2日 (木) 05:27
  • を握るのはマザラン枢機卿である。フロンドの乱が起こり国内の貴族が対立する中で、かつての四銃士たちも敵味方に分かれる。イギリスで起こった清教徒革命が、4人の運命に大きく関わってくる。 フランス語版ウィキソースに本記事に関連した原文があります。 Le Vicomte de Bragelonne 仏: Le…
    18キロバイト (2,136 語) - 2023年11月24日 (金) 23:12
  • 。1518年(正徳13年)正月辞表を提出して恩典を辞退したが、また許されず。1519年(正徳14年)6月初め福州に軍隊の叛乱が起こる。9日勅を奉じて叛軍の鎮定に赴き、15日南昌府からほど遠からぬ豊城県に著いた。知県の顧佖は寧王宸濠の叛逆を報じた。豫てかくあらむことを覚悟して居た陽明は動じなかった。敏…
    68キロバイト (14,180 語) - 2022年7月7日 (木) 06:40
  • 己を除こうとしているのを知り先手を打ったのである。一説にはまた、太子疾との共謀によるのだともいう。 荘公は城門をことごとく閉じ、みずから城楼に登って叛軍に呼びかけ、和議の条件を種々提示したが石圃は頑(がん)として応じない。やむなく寡(すくな)い手兵を持って禦(ふせ)がせているうちに夜に入った。