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ノート:織田裕二

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中立的な視点

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全体的に「と思われる」や「ようである」などという憶測が多いと思います。特に、本文中に『ちなみに演技面でも性格的にも最も息が合った女優は深津絵里。また演技面以外で息が合った女優は水野美紀。』とありますが、これは何か基準があっての記述なのでしょうか? --Whity-82 2006年2月24日 (金) 10:09 (UTC)[返信]

編集の報告:主観的記述の除去20061028

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主観的(ファンの目から見た)な記述は敢えて削除・修正させて頂きました。良い方向に書きたいお気持ちは解かりますが、落ち着いて下さい。--東武経験者 2006年10月28日 (土) 23:50 (UTC)[返信]

編集の報告:「リップサービス」とする記述の除去

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  • 大森一樹監督によれば「日本映画で数少ない、名前で客を呼べる俳優」。同様に、2007年12月公開の映画『椿三十郎』の森田芳光監督は「今、映画スターといえば織田裕二しかいない」と発言している。(リップサービス)

実際にリップサービスであったのかもしれませんが、そうでないのかもしれません。大森監督と森田監督の発言は事実ですが、発言した本人が「あれはリップサービスであった」と説明したのでもない限り、敢えて断定的に「リップサービス」と特筆する根拠はないので削除しました。--Odorudingdong 2010年1月14日 (木) 18:11 (UTC)[返信]

イタリア語と映画『アマルフィ 女神の報酬』

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  • 映画『アマルフィ 女神の報酬』のイタリアロケでは、現地の習慣に悩まされた。イタリア語堪能な役どころであったが、実際は「イタリア語セリフを減らしてほしい」とスタッフに要求していたほど苦手。特に共演したイタリア人俳優が取り直しの度にアドリブを変える芝居についていけず、最終的には「この単語だけは抜かさないでくれ」と頼み込んで、そのタイミングに合わせて撮影を乗り切った。

織田が現地の習慣に悩まされたという事実はなく、むしろ「イタリアに生まれた方が良かったと思うくらい性に合ってる」と新聞インタビューにて発言しています。また「イタリア語が苦手」なのではなく、製作報告会見で「私はパスタくらいしか分からない男で」と発言したように本来イタリア語は話せないにもかかわらず、撮影のためにイタリア語のセリフを覚えて演じたということに過ぎません。「もともとイタリア語は話せない」ことが前提で「にもかかわらず演じた」というのが事実です。したがって事実に則していないので削除しました。もしどうしてもこのアマルフィの撮影でのイタリア語について記載するならば、「もともとイタリア語は話せないにもかかわらず、イタリア語堪能な役どころのため特訓をし、最終的にはイタリア人俳優のアドリブに「この単語〜(略)」と頼み込んでタイミングを合わせて撮影を乗り切った」と書くのが事実に沿った適切な文章だと思われます。--Odorudingdong 2010年1月19日 (火) 17:48 (UTC)[返信]

ご指摘ありがとうございます。「現地の習慣に悩まされた」という記述は、宣伝のために出演された「笑っていいとも」の生放送の中で織田さんは「イタリア語が苦手」「男同士のキスが気持ち悪かった」「スタッフ用のコーヒーを通行人が勝手に飲んで去る」などとおっしゃられていた事と、トリビアでの現場の交通整理を主演俳優がしないといけなかった情報など、決して楽な撮影ではなかった事を総合して短くまとめた文です。間違った記述ではないと思います。一方「イタリアに生まれた方が良かった」と言われたその新聞の出典元は知りませんでしたが、フジテレビの複数の番組で本人自らが語っていた話と矛盾しますね。新聞はどの時点でのコメントなのかも不明ですが、心境の変化も考えられます。語学の練習量については、事前に特訓と呼べるほど練習をされたのか、撮影時にその場でスタッフの口真似をしただけなのか根拠がないため、記述できませんでした。また、「イタリア語セリフを減らしてほしいってスタッフに言ってたんですよ」とタモリさんに語った事と、トリビアでのアドリブのタイミングを頼み込んだ事を合わせると、客観的な記述をする上では、私が記述した内容で間違ってないと思います。--鼓・動 2010年1月20日 (水) 05:57 (UTC)[返信]
織田出演の「笑っていいとも」の録画を確認いたしました。番組中のイタリア語についての話では、「減らして欲しいと言った」「まったく分からなかった」に始まり「セリフの文章で覚えようとしてもダメで単語から憶えないといけない」、「ずっと通訳の人がついてくれて教えてもらっていた」、「セリフを理解すると今度はキャラクターに合った言い方を考えた」、などとイタリア語がまったく分からないところからキャラクターに合ったセリフを話せるようになるまでの苦労は語っていますが、「イタリア語が苦手」とは発言していません。「男同士のキス」の話は劇中のシーン撮影の時の話で「慣れないので恥ずかしいし、ヒゲが当たるのが気持ち悪かったが、後に再会したときには普通に出来た」という話でした。「スタッフ用のコーヒー」の話は悩まされたというよりは面白いエピソードとして(他の複数の番組でも)話しています。また織田が出演した「いいとも」の時の話し相手はタモリさんではありません。うろ覚えの内容を元に、「楽な撮影でない=イタリアの習慣に悩まされた」というまとめ方は乱暴に過ぎますし適切ではないと思います。
「イタリアに生まれた方が〜」のコメントは撮影後半の2月上旬時点での現地取材の新聞記事であり、その後も織田本人からの「習慣に悩まされた」あるいは同様の発言もありませんし、心境の変化などは勝手な推測に過ぎません。
イタリア語の特訓については、複数の番組やインタビューなどで「常に通訳兼イタリア語の先生の人についてもらって空き時間があればずっと練習していた」と紹介されていますし、地方番組のインタビューにて「本場のイタリア語の発音に近づけるために、ホテルの部屋でもずっとイタリア語の討論番組を見て勉強していた」とも発言しています。まったく話せないところから「イタリア語が流暢な役柄」のために特訓した結果が作品中のイタリア語のセリフであり、相手のセリフとして憶えた脚本に書かれたセリフ以外のイタリア語は理解できないのが当然であるので、アドリブには対応できないということです。「苦手」なのではなく「できない」のです。
したがってこの織田裕二の項で記述するべき事実に即した内容としては、「もともとイタリア語は話せないにもかかわらず、イタリア語堪能な役どころのため特訓をし、最終的にはイタリア人俳優のアドリブに「この単語〜(略)」と頼み込んでタイミングを合わせて撮影を乗り切った」が正しく、また「現地の習慣に悩まされた」という記述は不適切であると考えます。
お互い表現を譲歩できないのであれば編集合戦ということになりかねないので、この件に関しては記載しないということにしてはいかがでしょうか。それでもどうしても記載したいという特別な理由でもおありなのでしょうか --Odorudingdong 2010年1月20日 (水) 19:19 (UTC)[返信]
笑っていいともの相手役はタモリさんでなく、たまたま関根勤さんでしたね。失礼しました。当時、関根さんが織田さんにやけに緊張して、ただのインタビューコーナーになっていた事などを思い出しました。特訓の件、了解しました。出典があるのであれば、その番組名など出典元を明記して加筆していただいて全く構いません。ただ私は出典を存じないので自分で記述はできませんし、出典がないので検証もできないだけです。「イタリア語が苦手」は本人の発言でなく、発言の要点趣旨です。きちんと「などと」と補足を申し上げたつもりです。試行錯誤の苦労があったというわけですから、そのように解釈できると思います。もちろん記事には元々「イタリア語」が苦手とは書いておりませんでした。「習慣に悩まされた」は、面白いおかしい土産話的なな側面も含めて、イタリアでの情報をまとめて簡潔に記述した一文です。乱暴でしょうか?習慣の違いに悩まされていないという根拠があるのでしょうか。「スタッフ用のコーヒー」や「交通整理」などは習慣の違いですよね。せっかくのイタリアロケ大作映画に出演したのですから、おそらく調べれば、ご指摘の通り番組など出典も豊富でしょうし、他にもいろいろ裏話の記述が充実すればいいと思いました。--鼓・動 2010年1月20日 (水) 21:38 (UTC)[返信]
乱暴でしたので編集しなおしておきました。録画を見直したところ発言の要点としては、「イタリアに住みたい」でしたので。--印旛沼 2010年1月21日 (木) 17:55 (UTC)[返信]

「決して楽な撮影でなかった事を総合して短くまとめた」のが「悩まされた」と書かれた理由との事ですので、より近い表現に修正しました。織田本人が悩んだかどうか判断のつく根拠がありませんので結局「悩んだ」も「悩んでない」も推測に過ぎないと考えます。--Odorudingdong 2010年1月21日 (木) 19:29 (UTC)[返信]

修正ありがとうございます。記述の趣旨が変わったので、撮影時のエピソードは、別項目に書く事にしました。--鼓・動 2010年1月22日 (金) 00:50 (UTC)[返信]

イタリア語の特訓の件につき、数点の出典を明記の上加筆し、修正しました。--Odorudingdong 2010年1月22日 (金) 19:17 (UTC)[返信]

すみません、記述の論旨が成立していません。これだと「特訓した結果、最終的にイタリア語のアドリブを理解できないのでタイミングをお願いした」という矛盾した意味になっています。元々の趣旨は「イタリア語が理解できないから、自分のセリフを減らしてとお願いをしたけど、アドリブには困った」という内容ですので、こうなると特訓の話は別項目に記述された方がいいのではないでしょうか。私の文章に加筆しなければいけない理由はありますか。--鼓・動 2010年1月22日 (金) 23:44 (UTC)[返信]
ご指摘に従い修正しました。これで元の文章の大意をベースに特訓について加筆した文章として矛盾は解消されたと考えます。--Odorudingdong 2010年1月23日 (土) 10:28 (UTC)[返信]
別項目にしました。特訓したのに、イタリア語が分からないから、この単語を抜かされないで、と頼み込む話は、やはり一つの文章では相反していて読んでも成立しませんでした。芸歴が長い織田さんですから、日本語でのアドリブ芝居は慣れていると思いますし、頼み込んだのはイタリア語だったから、というのがポイントになると思いましたので、そちらの文意で記述しました。--鼓・動 2010年1月24日 (日) 07:37 (UTC)[返信]

同じ「アマルフィ」でのイタリア語に関する内容ですので別項目にする必要はなく、むしろ項目はひとつにまとめるべきだと思います。また、「減らしてくれと頼むほどイタリア語が分からないから特訓した。それでも対応のできない部分では「単語を抜かさないで」と頼んで乗り切った」という文章ならば話は一貫していると考えますので、そのように修正しました。--Odorudingdong 2010年1月24日 (日) 18:40 (UTC)[返信]

追記:「イタリア語が分からない」ので「減らしてくれと頼んだ」「特訓して演じた」「それでも出来ないところでは○○と頼み込んだ」という構図だと考えます。--Odorudingdong 2010年1月24日 (日) 18:58 (UTC)[返信]
ひとつの項目にまとめたいのはやまやまですが、まとめるには追記でおっしゃられるような恣意的な記述にならざるを得ないみたいですね。「セリフを減らしてほしい」と頼んだ時期と、特訓を始めた時期との、時系列順が正しいかどうかの根拠が必要になってきます。それを時系列的にわかる出典がない以上、特訓の記述を記述されるならば、別項目が妥当だと思います。--鼓・動 2010年1月25日 (月) 00:31 (UTC)[返信]