陳叔献

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

陳叔献(陳叔獻、ちん しゅくけん、光大2年(568年)- 太建12年12月29日[1]581年1月19日))は、南朝陳皇族。河東王。宣帝陳頊の九男。は子恭。

経歴[編集]

陳頊と銭貴妃のあいだの子として生まれた。太建5年(573年)12月、河東王に封じられた。太建7年(575年)、宣毅将軍の位を受け、佐史を置いた。太建12年(580年)4月、散騎常侍・軍師将軍・都督南徐州諸軍事・南徐州刺史となった。12月庚辰(581年1月19日)、死去した。享年は13。侍中・中撫将軍・司空の位を追贈された。は康簡といった。

子の陳孝寛が後を嗣ぎ、河東王となった。

脚注[編集]

  1. ^ 『陳書』巻5, 宣帝紀 太建十二年十二月庚辰条による。

伝記資料[編集]