蕭鈞

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蕭 鈞(しょう きん、473年 - 494年)は、南朝斉皇族。衡陽王。宣礼。高帝蕭道成の十一男。

経歴[編集]

蕭道成と区貴人のあいだの子として生まれた。衡陽元王蕭道度の後を嗣いだ。永明4年(486年)、江州刺史となり、散騎常侍の位を加えられた。母が死去すると、喪に服して礼を尽くした。永明6年(488年)、征虜将軍の号を受けた。永明8年(490年)、驍騎将軍の号を受けた。左衛将軍に転じた。武帝と趣味が合って、その知遇は兄弟のうちでも鄱陽王蕭鏘に次いで厚かった。

永明10年(492年)、中書令となり、領石頭戍事をつとめた。散騎常侍・秘書監に任じられたが、受けなかった。隆昌元年(494年)、侍中の位を加えられた。同年(延興元年)、撫軍将軍の号を受けた。10月、殺害された。享年は22。

明帝が即位すると、永陽王蕭子珉が後を嗣いだ。

伝記資料[編集]