蕭子夏

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蕭 子夏(しょう しか、永明10年(492年)- 永泰元年1月25日[1]498年3月3日))は、南朝斉皇族。南郡王。武帝蕭賾の二十三男。は雲広。

経歴[編集]

蕭賾と何充華のあいだの子として生まれた。子夏は武帝の諸子のうちで最も幼く、晩年の武帝に諸子にまして愛された。

永泰元年正月丁未(498年3月3日)、明帝の命により殺害された。享年7。

脚注[編集]

  1. ^ 『南斉書』巻6, 明帝紀 永泰元年正月丁未条による。

伝記資料[編集]