茂田七右衛門

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茂田 七右衛門(しげた しちえもん、? - 寛文10年(1670年))は、江戸時代初期の治水[1]新田開発[2]

経歴・人物[編集]

上野国北甘楽郡千原村の人[2]寛永13年(1636年越後高田藩の要請で頸城郡美守郷の新田開発にあたる[1][2]。難工事を克服し、正保元年(1644年)迄に大瀁新田(大瀁郷)40ヵ村7576石を拓き、327石を給せられる[1][2]。のち明暦元年(1655年)には大瀁新田に隣接する中谷内の千原新田36ヵ村4036石の開発に協力し、300石の増給を受け士格となり、藩の新田見立奉行となった[1][2]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d デジタル版 日本人名大辞典+Plus(講談社)『茂田七右衛門』 - コトバンク
  2. ^ a b c d e 朝日日本歴史人物事典(朝日新聞社)『茂田七右衛門』 - コトバンク