コンテンツにスキップ

礼山山城

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
禮山山城から転送)

座標: 北緯36度41分26秒 東経126度49分15秒 / 北緯36.69056度 東経126.82083度 / 36.69056; 126.82083 (礼山山城)

礼山山城
(市道記念物第30号 礼山山城)
各種表記
ハングル 예산산성
漢字 禮山山城
発音 イェサンサンソン
日本語読み: れいざんさんじょう
文化観光部2000年式
マッキューン=ライシャワー式
Yesan Sanseong
Yesan Sansŏng
テンプレートを表示
礼山山城の位置(大韓民国内)
礼山山城
礼山山城
礼山山城
礼山山城の位置(忠清南道内)
礼山山城
忠清南道内での位置

礼山山城(イェサンサンソン、れいざんさんじょう、朝鮮語: 예산산성)は、大韓民国忠清南道礼山郡礼山邑朝鮮語版にある三国時代の山城[注釈 1]である。1982年8月3日忠清南道記念物第30号に指定された。

概要

[編集]

忠清南道礼山郡礼山邑山城里の西北側にある広い平野に聳えている低い端山[注釈 2](丘)に土で築いた城址である[注釈 1]。周囲は655m、城壁の高さは約2.4mであるが、古記録には「烏山城」であるとして、周囲2002尺だとした。

この城は、西から北へくねりながら流れる無限川によって自然の防御施設を形成している。遺物と遺跡は探すことができないながら、土器のかけらと瓦のかけらが時おり見られるのみである。

この城の由来は確実でないが、礼山が百済の「烏山」あるいは「孤山」であった点に見て、百済の時、この地域の中心地だったようだ。さらに百済復興軍が唐軍を迎えて戦った所であると伝えられてきており、百済の時、作られた城と見ている。

脚注

[編集]

出典

[編集]

注釈

[編集]
  1. ^ a b 単に山の上に築かれているので「山城(さんじょう、산성(サンソン)」なのであって、日本の城郭用語である山城(やまじろ)ではない。文化財庁の説明文(とそれに基づく以下の文)を読めば分かるように、日本の城郭用語に当てはめれば実質的には平山城である。
  2. ^ 原文は야산(野山)(ヤサン)で、小学館の「朝鮮語辞典」によれば、平野部にぽつんとある低い山のことで、日本語では端山(はやま)というらしい。

参考文献

[編集]