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  • 北陸白寿観音霊場 越後三十三観音霊場 越中観音霊場 高岡市新西国三十三箇所 金沢三十三観音霊場 能登国三十三観音霊場 若狭観音霊場 信濃三十三観音霊場 信州筑摩三十三カ所観音霊場 仁科三十三番札所 遠州三十三観音霊場 飛騨三十三観音霊場 西美濃三十三霊場 東海白寿三十三観音霊場 愛知梅花三十三箇所観音霊場 伊勢西国三十三所観音霊場…
    11キロバイト (1,479 語) - 2024年6月3日 (月) 13:18
  • 奥州三十三観音霊場(おうしゅうさんじゅうさんかんのんれいじょう)は、旧陸奥国内(現在の岩手県・宮城県・福島県)にある33ヶ所の観音霊場である。「奥州」は陸奥国の別称。 平安時代初期に始まった「奥州古札所」とは別に平安時代後期に設けられ、江戸時代中期に再興された。…
    14キロバイト (345 語) - 2024年1月26日 (金) 05:53
  • 京都府京都市中京区にある紫雲山頂法寺(西国三十三所第18番札所)の別名。 宮城県気仙沼市にある白樺山補陀寺(奥州三十三観音霊場第30番札所)にある観音堂。 宮城県登米市にある大嶽山興福寺(奥州三十三観音霊場第10番札所)にある洋風建築。 群馬県渋川市にある五徳山水澤寺(坂東三十三箇所第16番札所)にある地蔵堂。…
    3キロバイト (498 語) - 2023年1月12日 (木) 09:21
  • 三十三観音めぐり 〜巡礼を通して観た往時の会津の文化〜」として日本遺産に申請し、認定された。 「極上の会津」公式サイトでは、会津若松駅から車を使って一泊二日で巡るコースをモデルコースとして紹介している。 奥州三十三観音霊場 坂東三十三箇所観音霊場 秩父三十箇所観音霊場 西国三十三所 四国八十八箇所…
    8キロバイト (229 語) - 2022年5月17日 (火) 13:22
  • 清水寺 (花巻市)のサムネイル
    清水寺 (花巻市) (カテゴリ 奥州三十三箇所)
    大同2年(807年)、征夷大将軍坂上田村麻呂による開基と伝わる。 奥羽三十三箇所第1番札所で、西国三十三所札所である京都市にある清水寺および兵庫県加東市にある清水寺に並ぶ日本清水の一つとされる。 本堂(御前立ち…不動尊) 山門 - 昭和2年(1927年)建立、2階に奥州三十三箇所の写し霊場がある。阿形・吽形の仁王像が祀られている。…
    3キロバイト (282 語) - 2022年5月9日 (月) 13:33
  • 秋田六郡三十三観音霊場のサムネイル
    三十三観音霊場、奥州三十三観音霊場、最上三十三観音霊場、信達三十三観音霊場、安積三十三観音霊場などがひらかれ、各地で信仰とレジャーを兼ねた三十三箇所めぐりがさかんとなった。 1987年(昭和62年)には、享保年間に定められた「秋田六郡三十三観音霊場」を基に、秋田魁新報社が「秋田三十三
    13キロバイト (682 語) - 2024年5月5日 (日) 16:29
  • 信達三十三観音霊場(しんたつさんじゅうさんかんのんれいじょう)は、福島県中通り北部を占める信達地方(信夫郡および伊達郡)、すなわち、福島盆地に所在する三十三箇所の観音菩薩を巡拝する民間信仰である。 11番の天王寺は奥州三十三観音霊場の11番、19番の観音寺は同12番、22番の大聖寺は同13番と重複する。…
    6キロバイト (311 語) - 2024年4月14日 (日) 05:53
  • 奥州七観音(おうしゅうななかんのん)は、旧陸奥国内(現在の福島県、宮城県、岩手県、青森県)にある7ヶ所の観音霊場。三迫の新長谷寺並びに六箇寺、六ヶ寺とも。 ここでは奥州七観音と関係の深い奥州三観音(田村観音)や気仙観音についても記述する。 奥州七観音は、東北地方の田村語りと密接な関係にある華足寺…
    20キロバイト (3,446 語) - 2023年12月15日 (金) 20:39
  • 三十人政権 30人の戦い 三十番神 もえっくす30 三十二身分 三十二相八十種好 太極拳老譜三十二解 立花家三十二槍柱 三十二番職人歌合 西国三十三所観音霊場 新西国三十三箇所観音霊場 播磨西国三十三箇所観音霊場 坂東三十三箇所観音霊場 飛騨・美濃さくら三十三選 飛騨・美濃紅葉三十三三十三観音…
    50キロバイト (5,545 語) - 2024年5月15日 (水) 05:57
  • 鞍馬寺のサムネイル
    鞍馬寺 (カテゴリ 新西国三十三箇所)
    ま)。本尊は「尊天」。「尊天」とは毘沙門天王、千手観世音菩薩、護法魔王尊の三身一体の本尊であるという。開山は鑑真の高弟・鑑禎(がんてい)。新西国三十三箇所第19番札所。 京都盆地の北に位置し、豊かな自然環境を残す鞍馬山の南斜面に位置する。鞍馬は牛若丸(源義経)が修行をした地として著名であり、能の『…
    30キロバイト (5,172 語) - 2024年6月9日 (日) 00:15
  • 奥州三十三観音霊場 信達三十三観音霊場 坂東三十三箇所観音霊場 秩父三十箇所観音霊場 佐野板東三十三箇所観音霊場 四国八十八箇所 篠栗四国八十八箇所 島四国八十八箇所 巡礼 [脚注の使い方] ^ 安積三十三観音|日本を巡礼する ^ 安積三十三観音めぐり|郡山観光交通株式会社…
    9キロバイト (151 語) - 2019年11月21日 (木) 01:21
  • 横蔵寺 (加古川市)のサムネイル
    横蔵寺 (加古川市) (カテゴリ 播磨西国三十三箇所)
    増長天像 法道仙人像 持国天像 弁財天像 イボ取り地蔵石像 播磨西国三十三箇所 28 観音寺 - 29 横蔵寺 - 30 圓通寺 〒675-0101 兵庫県加古川市平岡町新在家900 JR神戸線 東加古川駅 徒歩10分 播磨西国三十三カ寺巡礼 藤木 明子 著、金田 弘 監修 神戸新聞出版センター 1984…
    5キロバイト (605 語) - 2022年3月11日 (金) 14:12
  • 聖福寺 (八幡平市)のサムネイル
    境内に奥州三十三箇所三十一番所札所白坂観音堂がある。もと鹿角街道沿い七時雨山麓にあったが、大正8年(1919年)観音堂別当南嶽院の還俗によって聖福寺に移されたものである。この堂は、神亀5年(728年)に聖武天皇の勅願により行基が創建したと伝えられ、桂清水(天台寺)、御堂観音(正覚院)とともに、観音あるいは兄弟観音と呼ばれている。…
    4キロバイト (390 語) - 2022年6月5日 (日) 16:52
  • 盛岡市のサムネイル
    奥州総大将として斯波家長を下向させた。これが「奥州斯波氏」である。将軍家と同格のため、奥州では「奥州惣奉行」葛西氏と並ぶ一族であった。三戸南部氏(のちの盛岡南部氏)はこのころ、対立していた厨川工藤氏(元の奥州工藤氏)が領有してきた岩手郡三十三
    126キロバイト (13,943 語) - 2024年6月13日 (木) 03:44
  • 名護屋城のサムネイル
    本丸は東西五十六間、南北六十一間、総高さ三十二間一尺五寸であった。 乾の角に天守台があり、高さ十五間。海より池まで十二間一尺、池より三の丸まで十四間三尺五寸。三の丸より本丸まで五間三尺五寸、以上右高さ也。池の長さ百六十三間也、巾十一間より三十一間まであった。…
    20キロバイト (3,209 語) - 2024年5月6日 (月) 13:18
  • 益子町のサムネイル
    2009年度から塙地区山車が参入。 2010年度に山本地区の山車は祇園祭から撤退した。 西明寺 - 楼門・三重塔・本堂内厨子(いずれも国の重要文化財) 西明寺は坂東三十三箇所の一(20番札所)であり、その堂塔は関東三大仏塔の一といわれる。また、珍しい「笑い閻魔」像がある。 地蔵院 - 本堂(国の重要文化財) 円通寺 -…
    24キロバイト (2,770 語) - 2024年6月12日 (水) 07:39
  • 陸奥国分寺のサムネイル
    陸奥国分寺 (カテゴリ 仙台三十三観音霊場)
    額に「准胝堂」、石碑に「准胝観音」、堂の縁起に「準胝観音」。小倉博「木の下国分寺準胝観音堂調査記」20-21頁(通巻770-771頁)。 ^ 吉岡一男『仙台の三十三観音』51頁。 ^ a b 『奥州国分寺縁起記』、『護国山国分寺来由記』、黒沢泰輔『陸奥国分寺』の17頁・26頁。 ^ 『護国山国分寺来由記』、黒沢泰輔『陸奥国分寺…
    64キロバイト (10,723 語) - 2023年12月13日 (水) 06:57
  • 三十三箇所第二十三番札所。 正法寺 (宇和島市) – 愛媛県宇和島市三間町黒井地(くろいじ)にある高野山真言宗の寺。歡喜山。 正法寺 (奥州市) – 岩手県奥州市水沢黒石町字正法寺(奥州江刺郡黒石村字正法寺)にある曹洞宗の本山。大梅拈華山圓通正法禪寺。曹洞宗
    10キロバイト (1,263 語) - 2024年6月12日 (水) 08:49
  • 寿福寺のサムネイル
    寿福寺 (カテゴリ 鎌倉三十三観音霊場)
    三十三観音霊場の第24番。鎌倉二十四地蔵の第18番。境内は「寿福寺境内」として、国の史跡に指定されている。 源頼朝が没した翌年の1200年(正治2年)、妻の北条政子が葉上房栄西(明菴栄西)を開山に招いて創建した。 もともと現在の寿福寺のある付近は、奥州
    15キロバイト (1,944 語) - 2024年6月1日 (土) 18:45
  • 源頼朝のサムネイル
    鎌倉を本拠地として関東を制圧する。弟たちを代官として源義仲や平家を倒し、戦功のあった末弟・源義経を追放の後、諸国に守護と地頭を配して力を強め、奥州合戦で奥州藤原氏を滅ぼす。建久3年(1192年)に征夷大将軍に任じられた。 これにより、朝廷と同様に京都を中心に権勢を誇った平氏政権とは異なる、東国に独…
    131キロバイト (22,091 語) - 2024年6月14日 (金) 07:51
  • ← 巻第三十二 巻第三十四 → 太平記 巻第三十三 巻第三十三 274 京軍事 昨日神南の合戦に山名打負て、本陣へ引返ぬと聞へしかば、将軍比叡山を打おり下て、万余騎の勢を卒し、東山に陣をとる。仁木左京大夫頼章は、丹後・丹波の勢三千余騎を順へて、嵐山に取上る。京より南、淀・鳥羽・赤井・八幡に至るまで
  • 源氏の一族で頼朝のいとこですが、父親を頼朝の兄により殺されています。 ^ 「陸奥国(むつのくに)」のことです。 ^ 貴族の藤原氏とは別の氏族で、「奥州藤原氏」といわれます。 ^ 馬では越えられないと思われていた崖(がけ)を馬で下り降り,平氏の陣の後方に出て、平氏をはさみうちにした『鵯(ひよどり)越(ご)え』などが有名です。
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