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#転送 [[倉敷市]]
{{Mergeto|倉敷市| date = 2024-04| t = ノート:倉敷市#分割・統合提案(第三段階)}}
{{Otheruses|[[岡山県]][[窪屋郡]]・[[都窪郡]]に1927年まであった倉敷町(初代)|合併後の倉敷町(2代)|倉敷地域#旧倉敷市|岡山県[[英田郡]]にあった町|林野町}}
{{日本の町村 (廃止)
| 廃止日 = 1927年4月1日
| 廃止理由 = 新設合併
| 廃止詳細 = '''倉敷町(初代)'''、[[万寿村]]、[[大高村 (岡山県)|大高村]] → [[倉敷地域#旧倉敷市|倉敷町(2代)]]
| 現在の自治体 = [[倉敷市]]
| よみがな = くらしきちょう
| 自治体名 = 倉敷町
| 区分 = 町
| 紋章 = [[ファイル:Emblem of Kurashiki, Okayama (1895–1967).svg|75px]]
| 紋章の説明 = [[1894年]]制定<ref>[{{NDLDC|955061}} 一名・自治体の紋章] 近藤春夫 著, 行水社出版, 70頁</ref>
| 都道府県 = 岡山県
| 郡 = [[都窪郡]]
| コード =
| 面積 =
| 境界未定 =
| 人口 = 14209
|人口の出典=[[国勢調査 (日本)|国勢調査]]
| 人口の時点 = 1925年
| 隣接自治体 = 万寿村、大高村、[[帯江村]]、[[粒江村]]
| 木 =
| 花 =
| シンボル名 =
| 鳥など =
| 郵便番号 =
| 所在地 = 都窪郡倉敷町<br />{{Maplink2|zoom=13|frame=yes|plain=no|frame-align=center|frame-width=250|frame-height=180|type=line|stroke-color=#cc0000|stroke-width=2|type2=point|marker2=town-hall|text=旧・倉敷町役場庁舎位置}}<br />[[ファイル:Chuo - panoramio (19).jpg|center|250px|倉敷館観光案内所(旧・倉敷町役場)]]
|座標 = {{Coord|format=dms|type:city(12864)_region:JP-33|display=inline,title|name=倉敷町}}
| 位置画像 =
| 特記事項 = 町役場は市制施行後の1932年まで市役所として使用。現在は倉敷館観光案内所となっている。
}}
'''倉敷町'''(くらしきちょう)は、かつて[[岡山県]][[窪屋郡]]・[[都窪郡]]にあった町・自治体である。

かつて江戸時代に[[港町]]・[[徳川幕府]]領[[倉敷代官所]]の[[陣屋町]]として栄えた[[備中国]]窪屋郡'''倉敷村'''(くらしきそん)が町制施行したものである。

== 概要 ==
現在の岡山県[[倉敷市]]の中心市街地に概ね該当する区域に加え、現在の同市向山や新田を含む範囲を管轄していた。

前身となる倉敷村は、古くは[[吉備の穴海]]の西部にあたる'''[[阿知の海]]'''と呼ばれる海域にあった現在加須山から続く丘陵となっている島嶼にあった港町であった。早い時期より海洋交通の拠点となり、[[加子浦]]に指定されている。[[文禄・慶長の役]]には加子役銀を上納、近世初頭の[[島原の乱]]では浦手御用をつとめたという記録もある<ref name="okayamakennochimei">下中直也 『日本歴史地名体系三四巻 岡山県の地名』(1981年)平凡社</ref>。

中世末期、[[宇喜多秀家]]が家臣の[[岡利勝]]に命じ、阿知の海を干拓したことにより陸続きとなり、倉敷村は運河における河港となる。近世に干拓が引き続き行われ、周囲一帯は平野となり、運河は[[汐入川 (岡山県)|汐入川]]となり、倉敷村はその最上流となる(現在の[[倉敷川]])<ref name="okayamakennochimei"/>。

近世初頭には備中松山の外港として、物資の集散拠点として繁栄。また出張陣屋も建てられ、陣屋町としても発展する。その後、幾度の領地変遷を経て[[天領]](幕府直轄地)となり、延享3年に倉敷代官所が設置された<ref name="okayamakennochimei"/>。

明治になると、[[倉敷県]]の管轄となり、県庁所在地となる。その後、[[小田県]](深津県)を経て岡山県に管轄が変遷。明治9年には、村南部にある向山や新田などの枝村や周辺村の飛地を併合。翌年には窪屋郡役所が村内に設置される。明治20年に町制施行し、倉敷町へ改称。同33年には郡統合により都窪郡に所属が移った<ref name="okayamakennochimei"/>。

昭和2年に都窪郡倉敷町・[[万寿村]]・[[大高村 (岡山県)|大高村]]の3自治体が対等合併し、新しい倉敷町を新設。翌3年に市制施行して倉敷市(旧)になり、のち周囲の町村を次第に編入合併していき、昭和42年に倉敷・玉島・児島の3市が合併し、新しい倉敷市を新設し現在に至っている<ref name="okayamakennochimei"/>。

== 行政 ==
=== 歴代首長 ===
{| class="wikitable"
|+ '''(旧)倉敷町長一覧'''
!代!!氏名!!就任年月日!!退任年月日!!備考
|-
|1||植田年||1889年(明治22年)7月19日||1891年(明治24年)6月30日||倉敷村長<br />1891年6月16日町制施行
|-
|2||小山慎平||1891年(明治24年)7月24日||1893年(明治26年)7月14日||
|-
|3||植田年||1893年(明治26年)8月1日||1910年(明治43年)12月7日||
|-
|4||木村和吉||1910年(明治43年)12月13日||1918年(大正7年)12月12日||
|-
|5||[[原澄治]]||1918年(大正7年)12月18日||1924年(大正13年)5月21日||
|-
|6||[[関藤碩衛]]||1925年(大正14年)4月21日||1927年(昭和2年)3月31日||1927年4月1日倉敷町廃止<br />新倉敷町発足後も町長に就任
|-
|colspan="5"|参考文献 - [https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001231321-00 倉敷市史 第11冊](永山卯三郎編著 名著出版 1974 1207頁)
|}

== 沿革 ==
* 明治元年<ref>慶応4年9月8日に明治への改元の詔書が出されたが、慶応4年をもって明治元年とするとしているため慶応4年1月1日に遡って改元された。</ref>5月16日<ref name=date />(1868年7月5日) - [[廃藩置県]]により倉敷県の管轄となり、倉敷村に県庁が設置される。
* 明治4年11月15日<ref name=date>明治5年12月3日の改暦ノ布告までは、旧暦を使用していたため西暦とは日付がずれる</ref>(1871年12月26日) - 県統合により、深津県の管轄となる。
* 明治5年6月7日<ref name=date />(1872年7月12日) - 深津県が小田県へ改称。
* 1875年(明治8年)12月10日 - 小田県が岡山県へ併合。同県の管轄となる。
* 1876年(明治9年)9月 - かつての枝村の新田村、および有城村飛地・帯高村飛地・亀山村飛地を編入合併。
* 1889年(明治22年)6月1日 - [[町村制]]施行により、近世以来の'''倉敷村'''が単独で自治体を形成する。大字は編成せず<ref>[[角川日本地名大辞典]] 岡山県「倉敷村(近代)」</ref>。村長に植田年(みのる)。
* 1891年(明治24年)4月25日 - 域内に[[山陽鉄道]]が開通、[[倉敷駅]]が開業。
[[ファイル:明治末期の倉敷川.jpg|thumb|250px|明治末期の倉敷川([[大原孫三郎]]撮影)]]
* 1891年(明治24年)6月16日 - 倉敷村が町制施行し、'''倉敷町'''となる。2代町長に小山慎平(小山家は綿仲買によって新興した新緑派の商家「浜田屋」)<ref>『伸び行く倉敷』倉敷郷土歴史編纂委員会、1952, p68</ref><ref>[https://kotobank.jp/word/%E6%96%B0%E7%A6%84%E5%8F%A4%E7%A6%84%E9%A8%92%E5%8B%95-1345210 新禄古禄騒動 しんろくころくそうどう]コトバンク</ref>。
* 1900年(明治33年)4月1日 - 窪屋郡と[[都宇郡]]が合併し'''都窪郡'''となり、郡役所が設置される。
* 1917年(大正6年) - 町役場が竣工<ref>[https://www.kurashiki-tabi.jp/see/2265/ 倉敷館(観光案内所)](倉敷市公式観光サイト)</ref>。
* 1920年(大正9年) - 倉敷に14か町その他の通称地名が設定<ref name=kurashikicho>[[角川日本地名大辞典]] 岡山県「倉敷町(近代)」</ref>。
* 1927年(昭和2年)4月1日 - 都窪郡倉敷町・[[万寿村]]・[[大高村 (岡山県)|大高村]]が合併し、新しい'''倉敷町'''を新設。合併各村の15大字を継承、および倉敷を起立して16大字を編成<ref name=kurashikicho/>。
* 1928年(昭和3年)4月1日 - 倉敷町が市制施行し'''倉敷市'''(初代)になる。

== 現在の地域 ==
当時の倉敷町(村)域は、現在は倉敷市[[倉敷地域|倉敷]](本庁管内)となり、以下の通りである。

; 倉敷
: 阿知・鶴形・東町・本町・美和・中央・川西町・稲荷町・南町・船倉町・向山・[[新田 (倉敷市)|新田]]

== 参考文献 ==
* 巌津政右衛門『岡山地名事典』(1974年)日本文教出版社
* 岡山県大百科事典編集委員会『岡山地名事典』(1979年)山陽新聞社
* 下中直也『日本地名大系第三四巻 岡山県の地名』(1988年)平凡社

== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{reflist}}

== 関連項目 ==
* [[岡山県の廃止市町村一覧]]

== 外部リンク ==
* {{Cite journal|和書|author=内藤正中 |date=1954-08 |url=https://doi.org/10.14989/132370 |title=近世村落の構造變化と村方騒動 |journal=經濟論叢 |ISSN=0013-0273 |publisher=京都大學經濟學會 |volume=74 |issue=2 |pages=103-124 |doi=10.14989/132370 |hdl=2433/132370 |CRID=1390572174795418880 |ref=harv}}


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2024年4月20日 (土) 05:27時点における最新版

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