金宗三

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金 宗三(キム・ジョンサム、朝鮮語: 김종삼1921年 - 1984年12月8日)は、大韓民国詩人本貫安山金氏[1]

生涯[編集]

日本統治時代の黄海道殷栗生まれ。渡日し、豊島商業学校(現・豊島学院高等学校)卒業。 1951年に詩『石の山(原文: 돌각담)』を発表した。1957年には金光林ら3人で『戦争と音楽と希望と』を発刊した[2]。その後『現代詩』で同人活動し、『鐘つき自転車』、『試写会』、『橋の下』、『原色』などを発表し、1968年に文徳守金光林とともに詩集『本籍地』、1969年に個人として詩集『十二音階』を刊行した。 1971年に現代詩学賞[3]、1983年に大韓民国文学賞優秀賞を受賞した。 詩集に『太鼓を叩く少年』『誰かが私に聞いた』などがある。持病により63歳で死去した[4]

他に映画助監督、劇芸術協会演出部の音楽効果、軍事ダイジェスト社記者を務めたことがあり、国防部政訓局放送室の常任演出者を10年間務めた後、1963年から東亜放送製作部で勤務した[1]

脚注[編集]

  1. ^ a b 김종삼(金宗三)”. 韓国民族文化大百科事典. 2022年9月8日閲覧。
  2. ^ 戰爭(전쟁)과音樂(음악)과希望(희망) 金宗三(김종삼)·金光林(김광림) 全鳳健連帶詩集(전봉건연대시집)”. 네이버 뉴스 라이브러리. 동아일보 (1957年5月29日). 2022年9月8日閲覧。
  3. ^ 現代詩學賞(현대시학상)에 曺永瑞(조영서)씨 결정”. 네이버 뉴스 라이브러리. 동아일보 (1972年6月19日). 2022年9月8日閲覧。
  4. ^ 詩人(시인) 金宗三(김종삼)씨 별세”. 네이버 뉴스 라이브러리. 동아일보 (1984年12月10日). 2022年9月8日閲覧。