浅野節

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浅野 節(あさの まこと、1899年 - 1945年)は浅野部隊隊長(1938-1943年)、関東軍大校(大佐)。

生涯[編集]

関東軍に従軍。1931-1932年の満州作戦に参加。負傷して予備役少校(少佐)に。1938年から1943年にかけて、ロシア革命後の内戦に敗れて逃れてきた白系ロシア人で構成され、形式上は満州国軍の一部であった部隊の隊長となり[1]、中校(中佐)に昇進した。

1941年6月22日のドイツによるソ連攻撃の後、彼はソ連に対する闘争は共産主義者に対する白系ロシア人を含む全人民の闘いであると述べた。1943年末に解任された。

解任後、満州帝国陸軍のロシア人部隊ロシア語版のための徴兵活動に従事。

1945年3月、浅野は「日本人の犠牲的精神は、物質的優位を誇る敵を打ち負かすだろう」と宣言した。「天の力は真実のために戦う者のためにある」。彼は白系ロシア人の兵士たちに、セント・ジョージの騎兵隊や日本の戦士たちを見習うよう促した。

1945年8月の日本降伏時、ソビエト軍の捕虜になることを望まず自殺した。

脚注[編集]

  1. ^ Смирнов С. В., Буяков А. М. (2015). “Русские эмигранты в боях на Халхин-Голе”. Военно-исторический журнал 8: 15. 

参考文献[編集]

  • Луч Азии. — Харбин, 1945. — № 7/133.
  • Наказание без преступления. Чита. 2010.