浅野直道

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浅野 直道(あさの なおみち、生年不詳 - 宝暦13年5月13日1763年6月23日))は、大石良雄の娘大石るりの夫となった武士

生涯[編集]

広島藩浅野家の一族の者であり、浅野忠吉の叔父長季の子孫。広島藩では組頭(1000石)をつとめていた。通称は長十郎、修理、庄左衛門、堅物など。初名は信之といった。宝永6年(1709年)12月、半平重興の家督を相続。正徳3年(1713年)に大石良雄の三男大石大三郎の広島藩浅野家仕官が決まると、大石良雄の次女大石るりも母香林院とともに広島へ移ってきた。その翌年に藩主浅野吉長の命令があり、るりを正室として娶った。しかしるりとの間には一女にしか恵まれず、天野伝兵衛の子直郷をこの女子と結婚させて婿養子に入れたが、家督前に病死。るりも寛延4年(1751年)6月29日に広島で死去。

結局、宝暦9年(1759年)、直道の妾腹の女子と結婚させた婿養子一興(蓑浦興知三男)に家督を継がせた。没後はるりと同じ広島の禅林寺に葬られた。昭和20年(1945年8月6日原爆投下で禅林寺本堂が焼失、るりと直道の墓も全焼全壊した[1]。のちに浅野直道家の歴代墓が、境内の檀家墓地に再建されている。

参考文献[編集]

  • 林保登著『芸藩輯要』

脚注[編集]

  1. ^ 『廣島縣史』「廣島市史社寺史」禅林寺

関連項目[編集]