松野登十郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

松野 登十郎(まつの とうじゅうろう、1777年安永6年) - 1821年文政4年))は、江戸時代武士摂津国長柄代官田安徳川家の家臣。諱は祐吉。幼名は七之助。

生涯[編集]

1777年安永6年)、江戸で生まれる。田安徳川家に仕えていたが、1820年文政3年)に大坂南長柄の田安家領地の代官に任命された[1]

しかし翌年の1821年(文政4年)に南長柄一帯が大飢饉となり、農民の苦境を見かねた登十郎は、田安家に使者を送って年貢の軽減を願い出るも田安家から拒絶され、登十郎は上申書を残して代官屋敷で割腹した。享年48[2]。墓所は大阪府大阪市北区長柄西光明寺[3]

脚注[編集]

  1. ^ 長柄拾遺物語”. 大阪あそ歩. 2023年10月17日閲覧。
  2. ^ 『大阪府史蹟名勝天然記念物』(大阪府学務部、1931年
  3. ^ 大阪市北区:寺院 (…>文化・観光施設>名所・旧跡)”. 大阪市. 2023年10月17日閲覧。