松田月嶺

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松田 月嶺(まつだ げつれい、1880年12月10日 - 1919年1月22日)は、日本俳人

来歴[編集]

山形県谷地町生まれ。1907年曹洞宗大学(現 駒澤大学)、1911年京都帝大文学部卒業。別名・通称、湛堂。山形県谷地町の定林寺巨勢寂湛によって得度。1911年、母校曹洞宗大学講師となる。俳句は大須賀乙字に学び、作家として特異な地歩を占めていた。著書に名和三幹竹編「月嶺句集」がある[1][2]。大正8年1月22日逝去、39歳。

句集・編著[編集]

  • 『月嶺句集』名和三幹竹編

関連[編集]

  • 『松田月嶺氏の肖像とその遺墨』口繪 「懸葵 16(3) 」懸葵発行所 1919.3[3]

出典[編集]