東鶏冠山北堡塁

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座標: 北緯38度49分52.8秒 東経121度17分9.3秒

東鶏冠山北堡塁の題字
側防窖室の日本軍の爆破跡
コンドラチェンコ戦死の地記念碑。揮毫は鮫島重雄による[1]

東鶏冠山北堡塁(とうけいかんざんきたほるい、簡体字东鸡冠山北堡垒)は、中国大連市旅順口区の東鶏冠山(海抜119m)にある帝政ロシア日本軍の防御の為に建設した堡塁であり、日露戦争の激戦地である。

構造[編集]

1898年帝政ロシアが旅順租借し、1900年、旅順の東側の半永久的な防御線として堡塁を中国人労働者を使役して建設した。天然の岩にコンクリートと石、そして泥土で覆って造られた。内部の構造は複雑で、司令部、兵舎、弾薬庫、治療室、台所などの周りに胸墻、側防窖室が配置され、堡塁は不規則な5角形をして、周囲496m、面積9900平方mである。堡塁の周囲は堀があり、堀の外の斜面には高圧電流が流れる鉄条網を架設した。

戦闘[編集]

日露戦争第1回旅順総攻撃(1904年8月21日)、日本軍第11師団による堡塁の攻略が始った。第11師団は鉄条網を突破することに成功したが、内堀に入ったが土砂に覆われた側防窖室からの近接攻撃により、日本軍は大損害を受けた。その後、数度に渡り坑道を掘り、堡塁の爆破を試みた。12月15日、日本軍の発射した28センチ榴弾砲弾が命中した際、ロシアの司令官コンドラチェンコ少将が戦死した。そして、12月18日、堡塁の正面で2.3tのダイナマイトを爆破させ、これに乗じて日本軍が堡塁を占領した。この戦闘で日本軍はこの堡塁を突破する為、約8,000人の死者を出した。

概要[編集]

旅順日露戦争陳列館が併設されている。

脚注[編集]

  1. ^ 現地案内板より

関連項目[編集]