李公佐

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李 公佐(り こうさ、生没年不詳)は、代(8世紀後半から9世紀初頭)の伝奇作家・官僚。は顓蒙(せんもう、『神仙感遇伝』による)、排行は二十三(『謝小娥伝』)。隴西の人(「古岳瀆経」)。進士に及第するが、年代は不明(『神仙感遇伝』による)。

略歴[編集]

大暦年間(766年 - 779年)、廬州にいた(『酉陽雑俎』諾皋記上)。

785年、襄州にあり、白行簡と婦人の品格について語り、白行簡に『李娃伝』の執筆を勧める(「李娃伝」)。

797年、瀟湘浦・蒼梧山をさすらう(『古岳瀆経』)。

802年8月、蘇州から洛陽に行く。途中、淮浦において『南柯太守伝』(zh:南柯太守傳)を著す(『南柯太守伝』)。

811年、洪州の江南西道都団練観察使従事となり、5月に都に使して、漢南を経て帰る(『廬江馮媼伝』)。813年、江南西道の判官を辞め、建康に遊ぶ。瓦官寺で謝小娥に会う(『謝小娥伝』)。同年冬、常州給事中孟簡を見送り、朱方に行き、浙江西道観察使薛苹のもとに身を寄せる(『古岳瀆経』)。

814年、洞庭湖に遊んで包山に登る(『古岳瀆経』)。

818年夏、長安に帰り、善義寺で謝小娥と再会する(『謝小娥伝』)。

代表作[編集]